武家屋敷

武家が所有した邸宅
侍屋敷から転送)






概要

編集
 
江戸初期の武家屋敷が数多く描かれる江戸図屏風

殿殿

殿殿

姿姿

御所

編集






御所の例

編集

など

大名屋敷

編集
 
越前福井藩松平忠昌上屋敷(龍ノ口屋敷)再現模型
 
旧因州池田屋敷表門(重要文化財)
 
大名屋敷の門
加賀藩上屋敷御守殿門
東京大学構内、重要文化財)

宿[1]

殿殿

使

使

殿16351216573


旗本屋敷

編集

旗本屋敷(はたもとやしき)は旗本が主君の知行に置いた屋敷を意味するが、狭義では「江戸幕府に仕える直参旗本の屋敷」の意味である。俗に「旗本八万騎」と言われた江戸には故に、多くの旗本屋敷が建ち並び、旗本屋敷街と呼べる区域が形成されていた。これらは個人の所有ではなくあくまで幕府の所有であり、役職や知行の変更などの理由によって、割と頻繁に屋敷替えが行われた。

陣屋

編集

大名のうち、3万石以下の城を持たない大名は無城大名あるいは陣屋大名と呼ばれ、城の代わりに陣屋と呼ばれる屋敷を構え「大名陣屋」と呼ばれた。

大名陣屋は堀や櫓を持つなど旗本の陣屋に比べ大規模なものもあった。

旗本がその知行に置いた陣屋は旗本陣屋と呼ばれた。

武家町

編集
 
江戸の武家町。幕末に愛宕山から撮影。

武家町は江戸や大坂、京都などに武家屋敷が集中し形成された街並みである。特に江戸には数多くの武家屋敷が設置され、江戸の面積の約50パーセントが武家屋敷で占められていた。明治以降、武家屋敷と共に武家町も消滅したが、現代では侍町を武家町と呼ぶことが多くなっている。

侍屋敷

編集

侍屋敷の概要

編集





西


侍町

編集
 
秋田県仙北市角館の武家屋敷通り
 
篠山伝建地区の御徒士町武家屋敷群
 
島根県松江市の塩見縄手
 
長崎県島原市の武家屋敷街
 
鹿児島県南九州市知覧町郡の武家屋敷通り




その他

編集

平家の落人伝承を持つ徳島県三好市東祖谷(旧東祖谷山村)、長崎県五島市福江島)にも「武家屋敷」と呼ばれる住まいがある。東祖谷の外観は農家と同じく、五島市は民家の門塀にのみ面影を残す。

侍屋敷の関連項目

編集

足軽屋敷

編集


脚注

編集
  1. ^ 東京都市史研究所編 『比較考証 江戸東京古地図散歩』 新人物往来社 1999年

参考文献

編集

関連項目

編集