北畠神社
北畠神社︵きたばたけじんじゃ︶は、三重県津市美杉町上多気にある神社。国の史跡﹁多気北畠氏城館跡﹂に鎮座し、初代伊勢国司として南朝奉護に尽くした北畠顕能を主祭神とする。建武中興十五社で唯一、近世以来の由緒を持つ。
北畠神社 | |
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![]() 拝殿 | |
所在地 | 三重県津市美杉町上多気1148 |
位置 | 北緯34度31分06.86秒 東経136度17分55.93秒 / 北緯34.5185722度 東経136.2988694度座標: 北緯34度31分06.86秒 東経136度17分55.93秒 / 北緯34.5185722度 東経136.2988694度 |
主祭神 | 北畠顕能 |
社格等 | 別格官幣社・別表神社 |
創建 | 寛永20年(1643年) |
別名 | 国司さん |
例祭 | 5月5日、10月13日 |
地図 |
歴史
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由来書によれば、北畠具房の4代孫鈴木孫兵衛家次が寛永20年︵1643年︶3月、旧縁の地に小祠を設けて北畠八幡宮と称したのが創祀という。ただし、当初は八幡神の勧請のみで、顕能を奉祀したのは元禄年間に下るとの説もある[1]。やがて八幡三神に倣い、北畠親房・顕家を合祀する。1881年︵明治14年︶11月村社北畠神社に改称。1907年︵同40年︶12月多芸村内の16社を合祀し、1916年︵大正5年︶宝庫・社務所などを整備。1928年︵昭和3年︶10月社殿を新造して主神を遷座し、11月10日別格官幣社に昇格した。別当寺の真善院が現在の庭園の位置にあったが、天保11年︵1840年︶春に火災に遭い、再興しないまま1898年︵明治31年︶廃絶した。
祭神
編集祭事
編集境内末社
編集多芸神社(たげじんじゃ)
- 1907年(明治40年)に合祀された多芸の産土神
留魂社(りゅうこんしゃ)
文化財
編集史跡(国指定)
編集名勝(国指定)
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●北畠氏館跡庭園
上記の史跡・名勝は1936年︵昭和11年︶9月、﹁北畠氏館跡庭園﹂として国の史跡及び名勝に指定された。北畠氏の居城跡は別途﹁霧山城跡﹂として同年に国の史跡に指定された。2006年︵平成18年︶7月に﹁北畠氏館跡庭園﹂と﹁霧山城跡﹂の2件を統合し、指定地域を追加の上、﹁多気北畠氏城館跡 北畠氏館跡 霧山城跡﹂の名称で改めて国の史跡に指定された[2][3]。
交通
編集- JR名松線比津駅から徒歩60分、またはタクシーで約10分
- JR名松線家城駅から津市コミュニティバス (美杉地域)で約45分、「北畠神社前」下車(1日4便)
脚注
編集関連図書
編集関連項目
編集外部リンク
編集- ウィキメディア・コモンズには、北畠神社に関するカテゴリがあります。