原 鵬雲(はら ほううん、天保6年(1835年) - 明治12年(1879年8月1日)は、幕末から明治時代に活躍した絵師文久遣欧使節に随行した絵師だと考えられ、初めて西洋美術を目撃した日本人絵師。帰国後は、日本洋画草創期の画家の一人となった。

略伝

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184741854

文久遣欧使節の絵師

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18622 使使[1]使西使西調使

[2][3]殿使使[4]

帰国後

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187031872518747197912


作品

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作品名 技法 形状・員数 所有者 年代 款記・印章 備考
喜根井善種像 1幅 個人 1850年8月(嘉永3年中秋) 署名無し/「原隺亭印」白文方印(回文印)・「隺鳴于九皐聲聞于天」朱文方印 賛者は徳島藩儒の岡本晤叟。像主・喜根井善種は藩の鉄砲組に務める武士で、多くの生徒に恵まれた書道の先生でもあった。「印文の「隺鳴于九皐聲聞于天」とは『詩経』の文句で、「賢人は身を隠してもその名声は広く世間に知れ渡る」という意味で、当時16歳だった若き鵬雲の志がうかがえる。
徳島藩大森羽田出陣絵巻 紙本墨画彩色 1巻 徳島県立博物館 1854年(安政元年)
翠蘭嶋釈仏墓表之図 絹本淡彩 1幅 個人 1865年文治2年)
気球図 紙本墨画淡彩 1幅 徳島市立徳島城博物館 幕末明治頃 款記「西土経歴中所目撃気球沖空之図 鵬雲」/「原」白文方印・「西游一斑」
喇叭 紙本墨画淡彩 1幅 東福寺美術館 (徳島県つるぎ町) 幕末明治頃 賛者は徳島藩校教授で洋学者だった高鋭一
楠公桜井駅図 和紙油彩 1面 徳島県立近代美術館 1877年(明治10年) 旧蔵者の言い伝えによると、旧広島藩浅野家からの拝領品だという。図様は、青野桑州の石版画「楠公桜井自訣子図」(1874年(明治7年)、陸軍省参謀局刊)をほぼそのまま踏襲している。

脚注

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(一)^   19857p.781使簿43

(二)^ 

(三)^ 使西西姿2013pp.100-101

(四)^ p.242   使 ︿20088p.201

参考文献

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展覧会図録
  • 『特別展 西洋美術との出会い-徳島の4人 原鵬雲 井上辨次郎 守住貫魚 守住勇魚』 徳島県立近代美術館、2013年10月5日

関連項目

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