大和絵

平安時代に発達した日本独自の絵画様式


「山水(せんずい)屛風」(神護寺) 

概念

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3



14[1]使

歴史

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平安時代

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平等院 中品上生 東扉

907[]894使109991030

調1211

1242



 - 殿1069

 - 1053

 - 

 - 

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 - 

 - 

鎌倉時代

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西
竹崎季長「蒙古襲来絵詞」(1293年ころ)
 
肖像画の傑作「神護寺三像」のうち「伝源頼朝像」[注釈 1]




室町時代

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31506[][?]西[]

戦国・安土桃山時代

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16[2][8][8]

江戸時代

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土佐光起は父と共に寛永11年(1634年)、18歳で父と共に京都に移り以降は京を拠点とした。承応3年(1654年)3月10日、38歳で従五位下左近衛将監に叙され、この際に絵所預職となったとされる。土佐派中興の祖と呼ばれる光起以降、土佐派は江戸時代を通し朝廷の絵所預職を勤めた。

画像集

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脚注

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注釈

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  1. ^ 1995年以降美術史家の米倉迪夫や歴史学者の黒田日出男が伝源頼朝像は足利直義像であるとの説を発表している。
  2. ^ 土佐光信以降の土佐派が凋落したという見方は、1970年代以降、否定されている[2][3][4][5][6][7]

出典

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  1. 秋山光和「『唐絵』と『やまと絵』」(『平安時代世俗画の研究』)

参考文献

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1923

1998194246

20021964

1996

,   13 1982122-132 

, 247 1986 

, , 12 1992 
, 1992170-177 

, 1992178-185 

, -1992186-193 

,  2003ISBN 4434036440 

2004

2007

,  2008ISBN 4642079068 

2013

2020

関連項目

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  1. ^ 「世界美術小辞典22 日本編」
  2. ^ 吉田 1982, pp. 122–132.
  3. ^ 千野 1992, pp. 170–177.
  4. ^ 相澤 1992, p. 181.
  5. ^ 並木 1992, p. 186.
  6. ^ 亀井 2003, pp. 24–57.
  7. ^ 亀井 2003, pp. 68–74.
  8. ^ a b 森屋 2002, p. 64.