吉野鉄道モハ201形電車(よしのてつどうモハ201がたでんしゃ)は、吉野鉄道(現在の近鉄吉野線の前身)が保有した電車の1形式である[注 1]

本項では同系車である制御車のサハ301形についても併記する。

概要

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便191319121923125 - 橿1924111橿 - 12.8km1810021161112[2][2]1[1][3]

19283254.4km192921.2km19293201201 - 206301301 - 31420512

車体

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10116m2[4]31使使[3]31[5]

2d1D(1)3(1)D2dD(1)3[6]R1m[7]35600700mm

1200mm1313480mm2610mm[5][8]525mm[9]

11

使1529

主要機器

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750V1111.9kWK7-1503-A[10]4(M)1(T)3MTTT23MTTTM[4]

1101HLM使AMMACM

101KOA[11]301[4]20119414[3]

運用

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吉野鉄道・ 大阪電気軌道

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301[]51使[11]192981

201301使[]19386西23.6km1[]20[12]

HLALF1201[]使301便

関西急行電鉄・近畿日本鉄道

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1941年9月の関西急行鉄道成立に伴う形式称号の整理に際し、モハ201形は全車がモ5201形モ5201 - 5206となり、サハ301形は名古屋線で急行用として使用されていたサハ301 - 310が6000番台のク6501形6501 - 6510となった一方、原形を保って普通列車や支線区で運用されていたサハ311 - 314の4両はク5511形ク5511 - 5514となった。

名古屋線系統

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55115511 - 55144便ABF65116511 - 65141959

使65016501 - 65091959D-166510[13]

196365096501 - 6508[12]19706502 - 650865011972

南大阪・吉野線系統

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520119573252035206[13]

5511651141959[12]

651152035206651165126601(WH)WH-586-JP-5[13]WHALF521152115212

養老線

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使65011959651019636509D-16

19706502 - 6508D-18650965106502 - 650619726507 - 6508

廃車

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[]2使19741977


脚注

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注釈

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(一)^ """" 1A 1980p146 71977P41西1941931調[1]""

(二)^ 5151516154215431

(三)^ 13 - 5 8135

(四)^ 20116852×2735×4135mm38t3013800mm28t

(五)^ 311931

(六)^ [4]

(七)^ 1

(八)^ /3480mm2610mm600mm403560mm[6][7]

(九)^ 201512.5mm[8]1537mm[9]P-6593.6mm[10]100585mm

(十)^ 110116m750V141kW43

(11)^ KO

(12)^ 65016503

(13)^ 750V127kW/815rpm

出典

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  1. ^ a b 『鉄道史料』第7号 p.41
  2. ^ 『鉄道史料』第7号 pp.38・41 - 42
  3. ^ a b 『鉄道史料』第7号 p.40
  4. ^ a b c 『鉄道史料』第7号 p.39
  5. ^ 鉄道史資料保存会 『国鉄電車詳細図集 -鉄道省/鉄道院時代-』 p.293-294
  6. ^ 鉄道史資料保存会 『木製省電図面図集』
  7. ^ 鉄道史資料保存会 『国鉄電車詳細図集 -鉄道省/鉄道院時代-』 p.299-313
  8. ^ 山下和幸『小田急電車形式集.1』p.81
  9. ^ 電気協会関東支部『最新電動客車明細表及型式図集』 p.25
  10. ^ 電気協会関東支部『最新電動客車明細表及型式図集』 p.38
  11. ^ 『近鉄電車80年』 p.21
  12. ^ a b 『鉄道史料』第7号 p.43
  13. ^ a b 『鉄道史料』第7号 p.44

参考文献

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80 801990 



50VII71977723 - 46 



関連項目

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