大中臣能宣
日本の歌人
大中臣 能宣 | |
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大中臣能宣(狩野尚信『三十六歌仙額』) | |
時代 | 平安時代中期 |
生誕 | 延喜21年(921年) |
死没 | 正暦2年(991年)8月 |
官位 | 正四位下・神祇大副 |
主君 | 村上天皇→冷泉天皇→円融天皇→花山天皇 |
氏族 | 大中臣氏 |
父母 | 父:大中臣頼基 |
妻 | 藤原清兼娘 |
子 | 輔親、輔長、輔□、宣理、源兼澄室 |
経歴
編集人物
編集逸話
編集能宣が敦実親王(宇多帝の子)の子の日の祝いに招かれたとき、「千とせまで 限れる松も 今日よりは 君にひかれて よろづ代や経む」と歌を詠んだ。能宣はこの歌を自賛して父の頼基にこれを告げた。頼基は数度この歌を吟じたが、突然能宣に枕を投げつけて「帝に招かれたら、これ以上のどのような歌を詠むのだ」と怒鳴りつけたという[2]。
官歴
編集注記のないものは「中臣氏系図」(『群書類従』巻第62所収)による。