大江光
日本の作曲家 (1963-)
大江 光 | |
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出生名 | 大江 光 |
生誕 | 1963年6月13日(61歳) |
出身地 |
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ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 作曲家 |
活動期間 | 1973年 - |
人物
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東京都出身[1]。幼少時から野外の鳥の声を正確に聞き分けて鳥の名前を当てたり[2]、クラシック音楽に極めて強い関心を示したりしたこと[3]から、11歳のときピアノの教師、田村久美子からピアノレッスンを受け始める。13歳で作曲を始める。作曲理論を加羽沢美濃に師事。 1992年10月に発表した最初のCD﹁大江光の音楽﹂、1994年9月にリリースした第2集﹁大江光ふたたび﹂が日本ゴールドディスク大賞を受賞した。1996年には伯父の伊丹十三監督の﹁静かな生活﹂で、日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞した。1998年に第3集のCD﹁新しい大江光﹂を、そして7年の時を経て2005年に第4集のCD﹁もう一度 大江光﹂をリリースした。父の講演に同行し、登壇する機会も多い。
父の著作との関係
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大江健三郎は、光が知的障害者で生まれた時の苦悩を﹃個人的な体験﹄として、作品にした。"A Personal Matter"の題で英訳、﹃万延元年のフットボール﹄などと共にノーベル賞受賞の道筋をつけた。健三郎はその後も、﹃新しい人よ眼ざめよ﹄のように自分と光をモチーフにした作品をいくつも執筆、﹁イーヨー﹂や﹁アカリ﹂といった様々な名を与えられ、大半の作品にキーパーソンとして登場する、大江健三郎の文学にとって重要な存在である。
作風
編集主として調性によるメロディーと伴奏による作品が多い。“ノーベル賞作家の息子が作曲した”という話題性から、父親の文学との関連で取り上げられることが多く、ドイツのSWRなどのFM放送でも取り上げられている。
大江光(をモデルとした人物)を演じた俳優
編集脚注
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(一)^ ﹃読売年鑑 2016年版﹄︵読売新聞東京本社、2016年︶p.501
(二)^ 大江の﹃静かな生活 ﹄に父親の講演として出てくる話である。鳥の声を録音したNHKのレコードをテープにとって繰り返し聞かせていたが、鳥の鳴き声と共に、鳥の声を紹介するアナウンサーの声が入っていた。避暑で訪れた軽井沢の杜の中を、息子の光を肩車して散策している時に、鳥にの鳴き声が聞こえて、その後に、頭の上から﹁クイナ、です。﹂と、アナウンサー口調の声が聞こえたという。一瞬何が起こったのか…わからなかったが、生まれて初めて聞いた息子の﹁声﹂だったが、幻聴かもしれないと思い、もう一度クイナが鳴かないかな、と祈った。
(三)^ 絶対音感があった。