大門義雄
大門 義雄(だいもん よしお、1901年4月8日 - 1975年5月1日)は、昭和時代の労働運動家。全国一般労働組合委員長。
経歴
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富山県西砺波郡戸出町︵現高岡市︶生まれ。旧姓は安田。幼少時に大門家の養子になった[1]。法政大学専門部中退[2]。1926年上京、1927年東京瓦斯会社︵現東京ガス︶に入社、東京瓦斯工組合に加盟。1931年東京瓦斯工組合教育出版部長[1]。争議を指導してたびたび検束された。1935年東京瓦斯工組合書記長、1938年執行委員長[2]。1941年東京瓦斯会社を退社、1942年日本曹達勤労部に入社、1942年化学工業統制会に勤務。この間、1929年新労農党創立に参加、1931年全国労農大衆党、1932年社会大衆党の結党で中央委員[1]。
1945年10月の全国労働組合結成懇談会に出席、労働組合結成中央準備委員会委員[3]。1946年8月日本労働組合総同盟︵総同盟︶第1回大会で青年対策部長、1947年中央委員・教育文化部長、1948~1950年主事[1]。1950年7月の日本労働組合総評議会︵総評︶結成に参加[2]。総評結成に伴う総同盟分裂の際は左派に所属[4]。1951年6月東京一般中小労働組合連合︵のち全国一般労働組合東京連合会︶結成で会長、1964年まで在任[1]。1955年7月全国一般合同労働組合連絡協議会︵全国一般︶を結成[4]、議長[5]。1956年に全国一般合同労働組合協議会、1958年に全国一般合同労働組合連合に改称した後も議長、1960年に全国一般労働組合に改称した後も委員長を務め、1975年の死去まで在任[1]。この間1945年の日本社会党結党に参加、中央執行委員。1946年全国化学産業労働組合同盟︵化学同盟︶結成で主事[1]。1947年東京都議会議員に当選、以後3回連続当選[2]。1960年11月の第29回衆議院議員総選挙に東京都第4区から社会党公認で立候補するが落選した。