天野修一
三重県出身の発明家・実業家、アマノ創業者
略歴
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三重県鈴鹿郡石薬師村︵現在の三重県鈴鹿市石薬師町︶出身。1911年︵大正元年︶、23歳の時に﹁A式綴紙器﹂を発明して特許を取得。1931年︵昭和6年︶、東京蒲田に天野製作所を設立してタイムレコーダー・気象用計器の製造を開始した。1938年︵昭和13年︶に海軍から雷道計の開発・製造を請け負い横浜菊名に新工場を建設し、1942年︵昭和17年︶には海軍管理工場に指定されて本社を菊名工場に移転したが、敗戦により工場閉鎖。1947年︵昭和22年︶、第23回衆議院議員総選挙に神奈川県第1区から出馬するが落選。
1949年︵昭和24年︶、企業再建整備法によって天野製作所は解散させられた。しかし、天野はすぐに横浜機器株式会社︵現在のアマノ株式会社︶を創立してタイムレコーダーの生産を再開。国鉄に納入するなど実績を積み、1964年︵昭和39年︶にはニューヨークに現地法人アマノ・タイムシステムズを設立するなど海外へも販路を拡大していった。
1959年︵昭和34年︶紫綬褒章、1961年︵昭和36年︶横浜文化賞、1965年︵昭和40年︶勲三等瑞宝章を受章。没後の1977年︵昭和52年︶にアマノ本社敷地内に功績をたたえる天野記念館︵現在の天野修一メモリアルホール︶が設立された。墓所は多磨霊園。
著書
編集- 『航空の知識』 博文館 (1926年)
- 『鈍根運:天野修一自伝』 天野特殊機械 (1963年)
関連項目
編集外部リンク
編集- タイムレコーダー資料館のご案内 - アマノ株式会社