妻女山

日本の長野県にある山

妻女山(さいじょさん)は、長野県長野市松代町千曲市土口が境を接する山。第4次川中島の戦いにおいて上杉謙信の軍が陣を張った地として知られるが、異論として「斎場山」(さいじょうざん)についても併記する。

妻女山
妻女山
岩野駅方面より望む妻女山(赤坂山)
標高 411 m
所在地 日本の旗 日本
長野県長野市
位置 北緯36度33分40.7秒 東経138度10分17.2秒 / 北緯36.561306度 東経138.171444度 / 36.561306; 138.171444座標: 北緯36度33分40.7秒 東経138度10分17.2秒 / 北緯36.561306度 東経138.171444度 / 36.561306; 138.171444
妻女山の位置(日本内)
妻女山
妻女山の位置
プロジェクト 山
テンプレートを表示

概要

編集

武田信玄が築いた海津城川中島平を見下ろすことができる位置にあり、上杉謙信はこの山上から海津城に立ちのぼる夥しい炊煙を見て武田方の攻撃を察知したとされる。そして秘かに山を下り、夜陰に紛れて雨宮の渡しから千曲川渡河して敵の裏をかいたと伝えられる。また頂上にある古墳上で猿楽を舞ったとの伝承や西の土口将軍塚古墳方面に下る緩斜面上にあった瑠璃寺を宿所としていたため戦後武田軍によって寺は焼き払われたとの言い伝えもある。

なお現在「妻女山」とされて展望台や甲越合戦の解説板が設置されている所は、斎場山の尾根上の頂(元は「赤坂」又は「赤坂山」と呼ばれた)であり、謙信配下の殿(しんがり)部隊甘粕近江守景持が陣を敷いた場所とされる。この場所には忠霊殿、忠魂碑もあるが何れも戊辰戦争以来の戦死者960人余を祀るもので、ここで幕末期に松代藩士らが銃撃訓練をした縁で松代藩主によって建立された。そこでは明治期以来、新政府樹立に寄与した功績を称えて盛大に春秋の祭礼が行われた。従って、以来この場所に集うことを「妻女山に行く」こととされるようになったようである。しかし、その招魂社拝殿は2023年12月に取り壊された。

名称について

編集



西西西西西

西西10km西西[1][]

西西

40

その他

編集

10158233退退


関連項目

編集

外部リンク

編集