宝塚歌劇団11期生(たからづかかげきだん11きせい)とは、1921年(大正10年)に宝塚歌劇団(当時の名称は宝塚音楽歌劇学校/宝塚少女歌劇団[注釈 1])に入団し、1922年(大正11年)もしくは1923年(大正12年)に初舞台を踏んだ21人を指す[2]。なお1921年に入学許可が出たのは20名である[3]

概要

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小夜福子の初舞台は月組公演『春の流れ』『春日舞姫』『鼻の詩人』『成吉思汗』『酒茶問答』[4]であり、雲野かよ子の初舞台は月組公演『琵琶記』『あこがれ』[4]である。

一覧

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※同じ初舞台グループで分けている[2]

1922年初舞台

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芸名[2] 読み仮名[2] 誕生日 出身地 出身校 芸名の由来 愛称 役柄 退団年[2] 備考
小夜福子 さよ ふくこ 3月5日 静岡県沼津市 百人一首 イイダ
リンゴちゃん
男役 1942年 歌手・俳優
夫は東郷静男[5]
妹は雲井千草[6]
関守須磨子 せきもり すまこ 二代目を襲名 1926年 松竹少女歌劇団振付師・藤間勘美
外山霞 とやま かすみ 神奈川県横浜市栄区[7] 百人一首 1931年
芸名[2] 読み仮名[2] 誕生日 出身地 出身校 芸名の由来 愛称 役柄 退団年[2] 備考
九重京子 ここのえ きょうこ 百人一首 1929年 在団中に死去
村雨まき子 むらさめ まきこ 1月2日[8] 大阪府大阪市浪速区[7] 百人一首 男役 1935年
芸名[2] 読み仮名[2] 誕生日 出身地 出身校 芸名の由来 愛称 役柄 退団年[2] 備考
伊吹かく子 いぶき かくこ 7月3日[8] 東京都北区[9] 百人一首 1938年
川霧朝子 かわぎり あさこ 百人一首 1925年
浪速つくし なにわ つくし 百人一首 1928年
芸名[2] 読み仮名[2] 誕生日 出身地 出身校 芸名の由来 愛称 役柄 退団年[2] 備考
大山いく子 おおやま いくこ 福井県坂井郡本荘村 百人一首 1929年 姉は高峰妙子
高嶺浦子 たかね うらこ 埼玉県秩父市[9] 百人一首 1931年
久野光子 ひさの みつこ 百人一首 1924年 娘は瞳うらゝ[6]
三室葉子 みむろ ようこ 百人一首 不明
山野みよ子 やまの みよこ 1924年 在団中に死去[10]

1923年初舞台

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芸名[2] 読み仮名[2] 誕生日 出身地 出身校 芸名の由来 愛称 役柄 退団年[2] 備考
岩打民子 いわうち たみこ 百人一首 1925年
雲野かよ子 くもの かよこ 8月20日[8] 東京都千代田区 百人一首より小林一三が命名 華ちゃん 娘役 1942年 姉は天津乙女・妹は池邊鶴子[6]
宝塚コドモアテネ日本舞踊講師
宝塚音楽学校古典演劇講師
宝塚歌劇団日本舞踊振付家
瀬尾はやみ せお はやみ 百人一首 1926年
芸名[2] 読み仮名[2] 誕生日 出身地 出身校 芸名の由来 愛称 役柄 退団年[2] 備考
神田千代子 かんだ ちよこ 百人一首 1926年
立山峰子 たてやま みねこ 百人一首 1928年
筑紫美保子 ちくし みほこ 百人一首 1928年
橋立芙美子 はしだて ふみこ 百人一首 1931年
芸名[2] 読み仮名[2] 誕生日 出身地 出身校 芸名の由来 愛称 役柄 退団年[2] 備考
浜野袖子 はまの そでこ 百人一首 1925年

脚注

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注釈

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  1. ^ 1939年に分離されるまで学校と劇団は一体的に運営されており、入学イコール入団であった[1]

出典

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(一)^ 90 2004, p. 180.

(二)^ abcdefghijklmnopqrstuvw100() 2014, p. 8.

(三)^ 94

(四)^ ab19504

(五)^ I (191432)601976113055 

(六)^ abc80 1994, p. 196.

(七)^ ab1923125P88

(八)^ abc19331154

(九)^ ab192911106

(十)^ 100() 2014, p. 76.

参考文献

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  80199499ISBN 4-924333-11-5 

  90200441ISBN 4-484-04601-6 NCID BA66869802:20613764 

100  201441ISBN 978-4-484-14601-0