山北由希夫
東京都新宿区出身の作詞家
生涯
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中央大学経済学部卒業。1958年に雑誌﹃平凡﹄の懸賞募集作詞へ入選し、コロムビアより﹃乙女の十字架﹄︵唄‥青山和子︶が発売になる[1]。作詞家の松井由利夫に師事し、1961年に﹃上野発故郷行﹄︵唄‥高城丈二、ポリドール︶及び﹃すてきなワルツ﹄︵唄‥松山恵子、マーキュリー︶でデビューを果たす。その後は松井の紹介で同人誌﹃新歌謡界﹄に入門し、ローカル作品コンクールで発表した﹃夕焼け水車﹄が入選。そこで曲を付けた川上英一の師匠・吉田矢健治に出会い、1965年1月にはキングレコード専属作詞家となる。後にフリー[2]。
現在はJASRAC評議員、日本作詩家協会事務局長・理事、日本音楽著作家連合常務理事。
2024年2月6日に腹部大動脈瘤破裂のため東京都新宿区の病院で死去。92歳没[3]。
主な作品
編集- 大月みやこ「なみだ星」
- 春日八郎「花かげの恋」「さよならコペンハーゲン」「嫁ぐ娘に」
- 沢ひろしとTOKYO99「愛のふれあい」「好きなの」「朝日のくちづけ」「さよならまた明日」
- 二宮ゆき子「男心の唄」
- 倍賞千恵子「愛のククル」
- バーブ佐竹「女心の唄」
- ボニージャックス「男次郎長」
- 和田弘とマヒナスターズ「一人静」
脚注
編集- ^ a b 歌ネット:言葉の達人 第46回
- ^ 日本作詩家協会公式サイト「作詞家への道」第十九回より
- ^ “作詞家・山北由希夫氏死去、92歳 「女心の唄」など”. サンスポ (2024年2月8日). 2024年2月8日閲覧。