東京英和学校(とうきょうえいわがっこう)は、青山学院の前身校。

東京英和学校構内(1885年頃)

概要

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メソジストの指導者を多数輩出した。「時計台のある神学校」とも呼ばれた[1]

沿革

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青山学院青山キャンパス内フィランダー・スミス・ビブリカル・インスティテュートの石碑
 
ガウチャーホール(1887年建設)、現存せず
 
青山学院野球部(1910年)
 
東京英和学校初期の卒業生

1878118811879S1882F使[2]318831894[3]1927E[4]

時計台のある神学校

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当時、東京英和学校は「時計台のある神学校」とも呼ばれた。それは1886年建築の「フィランダー・スミス・ビブリカル・インスティテュート」という建物があったためである[1]。それは、煉瓦3階建で、中央の尖塔は文字盤が4面にはめ込まれた時計台となっていた。この建設にあたり、ロバート・S・マクレイ総理(青山学院初代院長)が募金運動を行い、その募金によってまかなわれた。当時としては珍しい美しい洋風建築が、人目を引いたと伝えられる。しかし、関東大震災で大破した。

黎明期の野球

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東京英和学校は外国人の教員も多かったため、日本で最も初期に野球を行っていた数少ない教育機関の一つであった[5]

旧制一高や東京英和学校のほか、明治学院旧制学習院高等科慶應義塾などで早くに野球部が組織化された。東京英和学校の後身にあたる現在の青山学院大学硬式野球部東都大学野球連盟に加盟している。

出身者

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教員

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参考文献

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脚注

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  1. ^ a b 主な建物の紹介|青山学院
  2. ^ 『青山学院九十年史』 118頁
  3. ^ 『青山学院九十年史』 202頁
  4. ^ 東京神学大学の伝統と歩み|東京神学大学
  5. ^ 「スポーツの世界は学歴社会」(橘木俊詔・齋藤隆志、PHP新書、2012年)p.70

外部リンク

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