東羽衣駅
大阪府高石市にある西日本旅客鉄道の駅
東羽衣駅(ひがしはごろもえき)は、大阪府高石市東羽衣一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)阪和線東羽衣支線(案内上の路線名は「羽衣線」)の駅である。
東羽衣駅* | |
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![]() 駅正面(2019年8月) | |
ひがしはごろも Higashi-Hagoromo | |
◄鳳 (1.7 km) | |
![]() | |
所在地 |
大阪府高石市東羽衣一丁目18-49 北緯34度32分6.73秒 東経135度26分33.64秒 / 北緯34.5352028度 東経135.4426778度座標: 北緯34度32分6.73秒 東経135度26分33.64秒 / 北緯34.5352028度 東経135.4426778度 |
所属事業者 | 西日本旅客鉄道(JR西日本) |
所属路線 | ■阪和線支線(羽衣線) |
キロ程 | 1.7 km(鳳起点) |
電報略号 | ヒハ |
駅構造 | 高架駅 |
ホーム | 1面1線 |
乗車人員 -統計年度- |
4,700人/日(降車客含まず) -2021年- |
開業年月日 | 1929年(昭和4年)7月18日[1] |
乗換 | 羽衣駅(南海本線・高師浜線) |
備考 |
直営駅 みどりの券売機プラス設置駅 |
阪和線は2015年以降路線記号と駅ナンバリングが導入されたが、当駅はいずれも対象外となっている。また、駅名標や案内表示に阪和線のラインカラーであるオレンジも使用されていない。
接続する鉄道路線
編集以下の路線と徒歩連絡している。
歴史
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●1929年︵昭和4年︶7月18日‥阪和電気鉄道支線開業と同時に、その終点である阪和浜寺駅︵はんわはまでらえき︶として開業[1]。
●1940年︵昭和15年︶12月1日‥南海鉄道への吸収合併により、南海山手線の駅となる[1]。
●1941年︵昭和16年︶8月1日‥山手羽衣駅︵やまのてはごろもえき︶に改称[2]。
●1944年︵昭和19年︶5月1日‥南海山手線が戦時買収により国有化され、運輸通信省︵後の日本国有鉄道︶阪和線の駅となる[1]。同時に東羽衣駅に改称[3]。
●1972年︵昭和47年︶4月1日‥荷物扱い廃止[3]。
●1973年︵昭和48年︶8月31日‥高架駅となる[4][5]。
●1987年︵昭和62年︶4月1日‥国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道︵JR西日本︶の駅となる[1][3]。
●1992年︵平成4年︶11月1日‥みどりの窓口営業開始。
●1998年︵平成10年︶5月27日‥自動改札機を設置し、供用開始[6]。
●2003年︵平成15年︶11月1日‥ICカード﹁ICOCA﹂の利用が可能となる。
●2016年︵平成28年︶12月24日‥4両編成対応およびバリアフリー工事に伴い南側降車専用ホームの供用が終了、閉鎖される。
●2018年︵平成30年︶
●3月17日‥羽衣線の4両運転開始に伴い、北側乗降ホームの有効長を1両分延長し供用を開始。
●3月31日‥この日をもってみどりの窓口が営業を終了[7]。
●4月1日‥みどりの券売機プラスの使用を開始[7]。
●2019年︵令和元年︶8月24日‥2階部分に当駅と羽衣駅とを結ぶ通路が完成[8]。公募で決まった愛称は﹁天女のこみち﹂[8]。
かつて、阪和電気鉄道の駅だった時代には浜寺海岸への海水浴客でにぎわい、南海鉄道との競争も繰り広げられた。阪和電気鉄道#浜寺海岸の抗争も参照。
駅構造
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1面1線の高架駅である。入口より少し上がった中2階部分に改札口がある。以前は線路の両側にホームがあり、北側が乗車用、南側が降車用と分かれていたが、4両対応改築の際に南側のホームは使用中止となり閉鎖された。
直営駅︵鳳駅の被管理駅︶である。みどりの窓口は2018年3月31日をもって閉鎖された。ICカード﹁ICOCA﹂を利用することができる︵相互利用可能ICカードはICOCAの項を参照︶。
ホーム - 改札階ならびに羽衣駅方面通路 - 改札階 - 地上を結ぶエレベーターが設置されている。
のりば
編集のりば | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
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■ 羽衣線 | 鳳・天王寺・関西空港・和歌山方面[9] |
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プラットホーム。右側はかつての降車ホームであり現在は閉鎖されている。(2019年5月)
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末端部(2019年5月)
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4両編成対応のためにホームを延伸した部分(2018年3月)
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改札(2019年5月)
利用状況
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近辺にある羽衣学園中学校・高等学校や清風南海中学校・高等学校などの通学客で朝は大いに賑わう︵ただし、清風南海中・高については、公式にはこの駅を最寄り駅とはしていない︶。また普通運賃に比して定期運賃が割安になることから、すぐそばにある南海本線の羽衣駅からの乗り継ぎ客も多い。
大阪府統計年鑑[10]によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
1997年 | 7,149 |
1998年 | 6,873 |
1999年 | 6,382 |
2000年 | 5,998 |
2001年 | 5,735 |
2002年 | 5,511 |
2003年 | 5,353 |
2004年 | 5,222 |
2005年 | 5,173 |
2006年 | 4,992 |
2007年 | 4,906 |
2008年 | 4,958 |
2009年 | 4,797 |
2010年 | 4,805 |
2011年 | 4,702 |
2012年 | 4,786 |
2013年 | 4,954 |
2014年 | 4,999 |
2015年 | 5,123 |
2016年 | 5,200 |
2017年 | 5,191 |
2018年 | 5,226 |
2019年 | 5,281 |
2020年 | 4,417 |
2021年 | 4,700 |
駅周辺
編集隣の駅
編集- 西日本旅客鉄道(JR西日本)
- ■ 羽衣線(阪和線支線)
- 鳳駅 - 東羽衣駅
脚注
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(一)^ abcde曽根悟︵監修︶ 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編﹃週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR﹄42号 阪和線・和歌山線・桜井線・湖西線・関西空港線、朝日新聞出版︿週刊朝日百科﹀、2010年5月16日、12-13頁。
(二)^ 竹田辰男﹁南海鉄道山手線史の考察﹂﹃鉄道史料﹄第108巻、鉄道史資料保存会、2003年、28頁。
(三)^ abc石野哲 編﹃停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ﹄︵初版︶JTB、1998年10月1日、369頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
(四)^ ﹁羽衣線 鳳-東羽衣間を立体化 あすから新線営業開始﹂﹃交通新聞﹄交通協力会、1973年8月30日、1面。
(五)^ 藤井信夫﹁TOPIC PHOTO﹂﹃鉄道ピクトリアル﹄第23巻第12号、電気車研究会、1973年12月1日、80頁。
(六)^ ﹁JR年表﹂﹃JR気動車客車編成表 '99年版﹄ジェー・アール・アール、1999年7月1日、185頁。ISBN 4-88283-120-1。
(七)^ ab“東羽衣駅 駅情報‥JRおでかけネット”. 西日本旅客鉄道. 2018年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年3月5日閲覧。
(八)^ ab“大阪︶南海とJR結ぶ歩行者デッキ完成 南海羽衣駅”. 朝日新聞. (2019年8月26日). オリジナルの2020年12月26日時点におけるアーカイブ。 2020年12月26日閲覧。
(九)^ “東羽衣駅|構内図‥JRおでかけネット”. 西日本旅客鉄道. 2024年4月3日閲覧。
(十)^ 大阪府統計年鑑 - 大阪府
関連項目
編集外部リンク
編集- 東羽衣駅|駅情報:JRおでかけネット - 西日本旅客鉄道