狩野一信

1816-1863, 江戸時代後期の絵師

  131816 - 39221863113[1]  歿
狩野一信
誕生日 1816年
国籍 日本の旗 日本
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2122 214021242122100

100

伝記

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増上寺本「五百羅漢図」のうち第51幅(右)・第52幅(左)。第51幅からの10幅は「神通」、すなわち羅漢たちの神通力を描く。第51・22幅は干上がった川に羅漢たちが神通力で水を注ぎ、食べられそうになる魚たちを助ける場面。
 
増上寺本「五百羅漢図」のうち第61幅(右)・第62幅(左)。第61幅からの10幅は「禽獣」、羅漢たちが霊獣たちを手懐け、聖なる動物をも意のままにできる神通力を示す。未だ100幅完成まで先は長いが、60幅代から画の質が落ち始めており、一信の病いが次第に重くなっていく様が想像できる。

画歴

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3

11寿寿[2]

逸見舎人と妻との出会い

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7183622[3]25婿32185533185010

五百羅漢図の制作へ

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618533退930003185621862

姿[4][5]

96908048

羅漢図のその後

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129611311187868調

2019455[6]581983調調2012M272015410282016[7]

姓名について

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  2718948西27[8][9]

作品

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法橋叙任以前

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作品名 技法 形状・員数 所有者 年代 款記・印章 備考
羅漢図 紙本著色 1幅 ミネアポリス美術館(クラーク日本美術・文化研究センター旧蔵) 「一信之印」朱文重郭印
踊り骸骨図 絹本墨画淡彩 1幅 ボストン美術館 「一信之印」朱文重郭印 賛者不明
五条橋の牛若丸弁慶図扁額 紙本著色扁額 絵馬1面 東京・浅草寺 弘化4年(1847年)4月 款記「弘化四丁未夏四月 顕幽齋源一信謹寫」/「顕幽齋」白文方印・「一信之印」朱文方印
頼朝千羽鶴放生会図 板絵著色扁額 絵馬1面 北海道留萌市・礼受(れうけ)厳島神社 款記「顕幽齋 源一信筆」/「顕幽齋」朱文方印・「弌信」朱文方印
羅漢図 紙本著色 4面(元壁貼付) フランスギメ美術館
弐福神図 絹本著色 1幅 個人 嘉永6年(1853年) 款記「嘉永癸丑春 顕幽斎一信筆」/「弌信」白文方印・「顕幽斎」朱文方印
源平合戦図屏風・龍虎図 紙本金地著色・紙本墨画 六曲一双 板橋区立美術館 嘉永6年(1853年) 「源平合戦図」の裏に「龍虎図」が描かれている
趙雲図 絹本著色 1幅 大英博物館 款記「顕幽斎一信筆」/「弌信」白文方印・「顕幽斎」朱文方印
天神図 絹本著色 1幅 リンデン美術館ベルツ・コレクション) 款記「源一信謹筆」/「弌信」白文方印・「顕幽斎」朱文方印
鍾馗図 絹本著色 1幅 ボストン美術館 款記「應需信楽主人 顕幽斎畫」/「顕幽斎」白文方印・「一信」朱文方印
東照大権現像 絹本著色 1幅 徳川記念財団 安政2年(1855年
寿老人・山水図 絹本墨画金彩 3幅対 個人 款記「顕幽斎一信筆」 高崎藩安藤家伝来[10]
十六羅漢図 紙本墨画金泥 2幅(元壁貼付) 千葉成田山新勝寺

法橋叙任以後

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作品名 技法 形状・員数 所有者 年代 款記・印章 備考
釈迦文殊普賢菩薩四天王十大弟子図 紙本墨画金泥 1幅(元壁貼付) 千葉県・成田山新勝寺 全体の構成は、養がい徹定が弘化5年(1848年)に購入した「五百羅漢図」(知恩院蔵、高麗末~李氏朝鮮初期)の中央部分にほぼ一致する。
釈迦堂天井画 雲龍図・伎楽天図・風神雷神図 板絵墨画金泥・板絵著色・板絵著色 1面・2面・2面 千葉県・成田山新勝寺 安政3年(1856年
力士図 絹本著色 1幅 個人
西王母図 絹本著色 1幅 個人
観瀑図 紙本墨画淡彩 1幅 個人
唐子図 紙本著色 1幅(元屏風か) 大英博物館
布袋唐子図 絹本著色 1幅 個人
七福神図 絹本著色 1幅 個人
旭日瑞祥亀図 絹本著色 1幅 福山市・萬年寺 款記「法橋一信筆」
群馬図 紙本著色 双幅 大英博物館
苦行釈迦図 絹本著色 1幅 カンザス大学スペンサー・ミュージアム
大黒舞図 絹本著色 1幅 個人
村林彦治郎像 絹本著色 1幅 個人 村林彦治郎については未詳。
五百羅漢図 絹本著色 100幅 東京・増上寺 港区指定文化財
五百羅漢図 絹本著色 50幅 東京国立博物館 増上寺本とほぼ同じ図柄で、一幅に二図描かれ、一図の大きさは増上寺のものの約半分の作品。明治42年(1909年)、富美宮允子内親王泰宮聡子内親王より東京帝室博物館の表慶館に下げ渡され、8500円で買い上げられた。かつては増上寺本の下絵か、一信の最晩年に増上寺本と並行して作られたとも言われたが、最近は画風や落款書体の相違から、弟子の一純や妙安が一信没後に制作したという見方が強まっている。

脚注

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(一)^ 2011p.15

(二)^  1437pp.32-34

(三)^  1900

(四)^ 西  220123pp.61-78

(五)^  2013pp.185-187

(六)^ 2011

(七)^ ︿

(八)^ 2013pp.230-231

(九)^  1437p.28

(十)^    2009pp.34-3597

参考資料

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論文
  • 河合正朝 「増上寺蔵・一信筆「五百羅漢図」との出会いと、その後」(『千葉市美術館紀要 採蓮』第16号、2013年9月、pp.7-18)
  • 梅沢恵 「増上寺蔵 一信筆五百羅漢図における図像の継承と「新様」」矢島新編 『近世の宗教美術─領域の拡大と新たな価値観の模索』 竹林舎、2015年3月1日、pp.195-213、ISBN 978-4-902084-62-7
  • 白木菜保子 「逸見一信筆「五百羅漢図」と近世後期における戒律復興」『美術史』第179冊、美術史學会、2015年10月30日、pp.133-151
  • 白木菜保子 「逸見家旧所蔵資料と増上寺蔵五百羅漢図の制作について」、小澤絵理子 「平成二十八年度港区指定文化財 「狩野一信関連資料〈逸見家伝来〉」一括について」『研究紀要19 (平成28年度)』 港区 教育委員会事務局 図書・文化財課 文化財係(港区立港郷土資料館)、2017年3月31日
  • 白木菜保子 「逸見(狩野)一信筆五百羅漢図における梵土表現の調査研究」『鹿島美術研究(年報第34号別冊)』 公益財団法人 鹿島美術財団、2017年11月15日、pp.1-11
画集・美術全集
展覧会図録
  • 『幕末の怪しき仏師─狩野一信の五百羅漢図』 東京国立博物館、2006年
  • 法然上人八百年御忌奉賛 増上寺秘蔵の仏画 五百羅漢 幕末の絵師 狩野一信』 江戸東京博物館、2011年
  • 『大本山増上寺蔵 五百羅漢図─幕末の鬼才 狩野一信』 山口県立美術館、五百羅漢展実行委員会、2013年10月10日

外部リンク

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