白浜久
略歴
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西南学院大学文学部在学中に、THE MODS の前身バンド THE MOZZ のギタリストとして活動。大学卒業後、法務教官として就職し、非行少年の教育を行う。
1985年、ソロ・アルバム﹃NONFICTION﹄でデビュー。
1986年、ARBに3代目のギタリストとして加入。作曲面でも大きく貢献。﹃ONE and ONLY DREAMs﹄︵1986年︶、﹃ROCK OVER JAPAN﹄︵1987年︶、﹃PAPERS BED﹄︵1988年︶、﹃SYMPATHY﹄︵1989年︶の4枚に参加。並行してソロ活動も継続。
1990年、ARB解散。福山雅治のデビュー・アルバム﹃伝言﹄をプロデュース。
2001年から3年間、木暮武彦︵ex.レベッカ︶率いるサイコデリシャスのベーシストとして活動。
2004年、田中一郎︵ex.ARB、甲斐バンド︶、斉藤光浩︵ex.ARB、BOWWOW︶と共にARBギタリストによる﹁三色丼ツアー﹂を行う。田中一郎とのユニット﹁一久﹂結成、不定期にライブ実施。
2006年はオーストラリアの民俗楽器・ディジュリドゥと和楽器・尺八と三味線をフィーチャーしたグループ﹁和豪﹂結成。ギタリスト、作曲家、プロデューサーとして貢献。
2007年和豪シドニー公演。この公演を最後に脱退。日本テレビ人気番組﹃太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。﹄に出演し、少年法について語る。
2008年、BOWWOW の斉藤光浩をギタリストに迎え、H.Shirahama Project を再始動。翌2009年も半年ペースでライブを続け、2010年には斉藤光浩プロデュースによる12枚目となるソロアルバムが発売される。
2009年、ソロプロジェクトと並行し、尺八、箏、三味線とのコラボレーションを小学校の特別授業や自治体の文化活動の場で披露。
2010年、26th Mid-Atlantic Song Contest (U.S.A) において﹁Golden Years﹂(Open Category)、﹁Human Flight﹂﹁Wonderful World﹂(Rock Category)の3曲が Honorable Mention 同時受賞。現在、SAW︵ワシントンD.C.作曲者協会︶の正式会員。
2011年、27th Mid-Atlantic Song Contest (U.S.A) において﹁Cold Flame﹂(Rock Category)が Finalists︵優秀賞︶を受賞︵日本人初︶。またプロデュースした中島えりな﹁Etranger﹂もOpen Categoryで Gold︵最優秀賞︶を受賞︵日本人初︶。
田中一郎、斉藤光浩等とソロプロジェクト再始動︵8月6日 Live Gate にてデビュー25周年ライブ︶。6月、歌人・枡野浩一のイベントに山川健一、藤井良樹、長嶋有等と出演、文壇とも積極的に交流。7月よりTBS系テレビアニメ﹁輪るピングドラム﹂︵監督‥幾原邦彦︶の挿入歌にARBの﹁Rock Over Japan﹂︵白浜久作曲︶、挿入歌およびEDテーマに﹁灰色の水曜日﹂︵石橋凌・白浜久作詞 / 白浜久作曲︶が使用される。同テレビアニメ声優によるユニット Triple HサウンドトラックCDが12月21日発売、オリコン初登場15位。iTunesダウンロード2位。白浜久作品が再評価される。
2012年、28th Mid-Atlantic Song Contest (U.S.A) において﹁Himawari﹂が Instrumental Category にて Gold Winner︵最優秀賞︶獲得。水川寿也との共作﹁Sakura﹂も Instrumental Category にて Honorable Mention 受賞。﹁Unknown Soldier﹂Rock/Alternative Categoryにて Honorable Mention 受賞。この年から母の介護のため年の半分を福岡で暮らす。九州でのライブが増える。西日本新聞文化面にエッセイ掲載︵2013.11/23︶
2014年、母の死去をきっかけに岡野雄一と長崎で出会う。ボブ・ディラン来日について西日本新聞文化面にエッセイ掲載︵4/19︶。盟友・小山卓治と九州ツアーを行う︵1/24,25・10/11,12,13︶
2015年、東京に戻り斉藤光浩のデビュー40周年ライブイベントに参加。岡野雄一とトーク&ライブ︵3/22、福岡国際会議場︶。西日本新聞文化面にエッセイ掲載︵4/18︶ 今年デビュー30周年になる記念ライブを故郷福岡で行う︵10/11 Acoustic set, 11/19 Electric set︶
2016年、小山卓治と九州ツアーおよび南相馬公演を行う。長崎では岡野雄一とジョイントライブを実現。
2017年、前述テレビアニメ﹁輪るピングドラム﹂に提供した楽曲がパチスロに採用される。本人は自身のブログで﹁ギャンブルやグレーゾーン金利などの宣伝等に自分の楽曲は使われたくない﹂と出版社が事後報告で伝えた事に苦言を呈している。春に﹁ロッカー・ミーツ・ペコロス﹂第二弾を福岡みどり屋食堂で行う。同時に松永浩をギタリストに迎えH.Shirahama project公演を福岡キャバーンビートで行う。
2018年7月27日、木暮"Shake"武彦、倉本美津留、大西結花らと西日本豪雨災害支援ライブ。12月に小山卓治、榎本高、西川貴博、多田暁、扇田裕太郎らと新プロジェクト結成。
2019年、榎本高、西川貴博、多田暁、扇田裕太郎らを率い白浜久プロジェクト始動。ゲストボーカリストに小山卓治を迎え5月17日ショーボートにて初ライブ。7月26日、同メンバーでフジロックフェスティバル2019に出演。
その他の音楽活動
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●楽曲提供 - 時任三郎、真田広之、福山雅治、山瀬まみ、山本太郎、大西結花、森重樹一、杉本理恵など。
●プロデュース - 福山雅治、EBI︵UNICORN︶、ARB、山本太郎、叫ぶ詩人の会、森重樹一など。
人物・エピソード
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●ARBの初代ギタリスト田中一郎とは父親同士が同僚で同じ宿舎で育つ。
●ディジュリドゥ︵アボリジニの伝統楽器︶もこなす。
●左利きだが右利き用のギターを使用する。
●2007年6月、テレビ番組﹃太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。﹄に、元法務教官としてVTR出演。
ディスコグラフィー
編集ソロ・アルバム
編集- NONFICTION(1985年)
- CHILD IN TIME(1986年)
- SHIRAHAMA HISASHI(1987年)
- 90'S PARADOX(1991年)
- COLOR OF MY LIFE(2000年)
- H.Shirahama Project 6th Demo
- H.SHIRAHAMA未発表集(2004年)
- AUTUMN (2005年)
- ...Soon(2007年)
- Cold Flame(2008年)
- Guess who's coming to my dinner produced by Mitsuhiro Saitoh(2010年)
- Gems and Nuggets(2012年12月)
ARB
編集- ONE and ONLY DREAMs(1986年)
- ROCK OVER JAPAN(1987年)
- PAPERS BED(1988年)
- SYMPATHY(1989年)
- DAYS OF A.R.B. VOL.3(1993年) - 白浜久在籍時のベスト盤
PSYCHODELICIOUS
編集- LIVING IN CELEBRATION(2003年)
- BUTTERFLY(2003年)
外部リンク
編集- H.Shirahama official site - 旧URL、2012年1月16日時点のアーカイブ(跡地:閉鎖)
- 白浜久の部屋
- H.Shirahama official site - 公式サイト(現在)
- Hisashi Shirahama Official Blog - 公式ブログ