磐城国

1869年1月19日に陸奥国が分割されて設立された日本の地方区分の国の一つ
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1869119127
磐城国の位置

領域

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1869西










宿






















殿



西

西西



6,788.29km25,525.40km21,262.89km2[1]

沿革

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戊辰戦争後の西暦1869年1月19日明治元年旧暦12月7日)に、陸奥国の分割により、岩代国・磐城国・陸前国陸中国陸奥国 (1869-)の5国が設立された。

範囲は718年から720年代まで存在した律令時代の「石城国」と似ているが、律令時代の石城国とは異なり、阿武隈山地を越えた内陸地域が含まれている。具体的には、伊具郡刈田郡田村郡石川郡東白川郡西白河郡が内陸地域である。

旧藩

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磐城国の領域にあった藩は以下の通りである。

※以下、陸奥国から分立前に廃止された藩

近代以降の沿革

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調1,056600,647
11769,223 - 

10843,408 - 

8240,595 - 

148100,372 - 

7238,700 - 

4130,566 - 

5725,682 - 

11355,763 - 

4829,385 - 

5135,443 - 

12444,943 - 

3323,539 - 

3639,442 - 

2623,581 - 

26191866730 - 

4
211868223 - 

881868923 - 

9241868118 - 


1271869119




[2]



1224186925




2
7201869827 - 1

7221869829 - 

871869912




112718691229 - 

12 - 

 - 

312241871213 - 

4
7141871829 - 

11218711213 - 1

111418711225 - 2

1129187219 - 

91876
422 - 

821 - 2

地域

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人口

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明治5年 (1872年) の調査では、人口34万8608人を数えた。

脚注

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注釈

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  1. ^ ただし、国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能な昭和10年国勢調査報告に記載された旧磐城国10郡の面積を合計した値であり、磐城国域と完全には一致しない点に注意を要する。
  2. ^ 明治元年12月23日(1869年2月4日)の「諸藩取締奥羽各県当分御規則」(法令全書通番明治元年太政官布告第1129)に従って設置された県だが、明治政府が権知県事を任命したわけではなく、そのため明治政府の公文書には全く記録が残っておらず、正式な県とは認められていない。

出典

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参考文献

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関連項目

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