神戸高塚高校校門圧死事件

1990年に日本の兵庫県神戸市の高校で発生した死亡事件

1990276西 3915[1]
神戸高塚高校校門圧死事件
場所 日本の旗 日本兵庫県神戸市西区兵庫県立神戸高塚高等学校
日付 1990年7月6日
概要 細井敏彦が遅刻を取り締まることを目的として登校門限時刻に校門を閉鎖しようとしたところ、門限間際に校門をくぐろうとした女子生徒(当時15歳)が門扉に頭を挟まれて死亡した。
被害者 当時15歳の女子生徒
犯人 細井敏彦
対処 細井を懲戒免職処分
賠償 兵庫県が女子生徒の遺族に損害賠償金6,000万円を支払うことで示談が成立
テンプレートを表示

事件が起こるまで

編集

 NN[2]

調[3]

5

A83012ABB[4]

事件当日

編集

199027683200

8301.5230姿姿[5]

A200A50cm12[6]

[7]

AA[8]

1025[9]

その後の経過

編集



7201

PTA8

7262

9

11166,000

219914835835簿調[10]

細井への刑事処分

編集

721調

3

1993521013


細井による書籍出版

編集

細井は、有罪確定直後の1993年(平成5年)4月にこの事件を題材とした本を実名で出版し「私は、あの警察的な校門指導を何の疑問も抱くことなく率先してやってきた。それが教師としての勤めであり、正義だと思い込んで······」や「兵庫県教委による、指導体制強化の通達により、他県に例を見ない厳しい生徒指導体制が確立した。兵庫県の高校が生徒の非行や校内暴力などで荒れていた状況へのやむにやまれぬ手段という面があったにせよ、専任の生徒指導部が校則によって生徒の非行を取り締まるという警察的活動を促進する素地が作られたのも事実である」と述べており、学校から県教委によって警察的な生徒指導を強いられ、それに慣れさせられていた自己の態度には、一定の反省の色が見られる。あくまで、細井の主張は、業務上過失致死傷罪が適用されるほどの過失はなく、マスコミの過剰報道とバッシング、社会制裁なども行き過ぎていたということである。

近年になり、細井の著書の内容について『「警察的な校門指導を正義だと思っていた」と述べていて、基本的には自らの行動に問題はなかったという姿勢を貫いている』と批判する声があるが、細井の著書に、警察的な校門指導についての記述は、上記二か所にしか見いだせない。

門扉の撤去

編集
 
現在の神戸高塚高校校門

学校は、事件現場となった校門の門扉を事件直後に撤去しようとしたが「事件の風化を図っている」などとして保護者や一部住民らが反発したため「判決前の撤去は好ましくない」とする裁判所の意見を受けて保留したが、細井の有罪確定を受けて再び校門撤去を進めた。撤去後の門扉を溶解工程に回すことなどの決定が、PTAや保護者に説明することなく記者会見で明らかにされて保護者や住民らは反対したが、1993年(平成5年)7月30日に小競り合いの中で撤去されて従前よりも小型で軽量な門扉が設置された。

門扉の撤去は不当だとして工事費などの返還を求める住民が訴訟を起こすが、1999年(平成11年)7月12日の最高裁第三小法廷の判決で、学校側の措置を適法として住民の訴えを棄却する判決が確定した。

影響

編集

1990730[11]

退

関連書籍

編集
  • 『先生、その門を閉めないで —告発・兵庫県立神戸高塚高校圧死事件—』(保坂展人とトーキングキッズ編、労働教育センター、1990年9月、ISBN 4-8450-0090-3
    生徒達に取材し、生の声をまとめた本。
  • 『校門を閉めたのは教師か —神戸高塚高校校門圧殺事件』(外山恒一、はやしたけし 駒草出版、1990年11月 ISBN 490608236X
  • 『校門の時計だけが知っている —私の「校門圧死事件」』(細井敏彦 草思社、1993年4月、ISBN 4-7942-0501-5
    当事者(加害者)であった細井の執筆による本。自らの認識や意見、当時の周囲の状況を告白している。

脚注

編集


(一)^ 29  . NEXT (201976). 202073

(二)^  86-93 

(三)^  102-103 

(四)^  143-144 

(五)^  16-17 

(六)^  143-144,148 

(七)^  112 

(八)^  145 

(九)^ 1993211

(十)^ 1() 1995 20050607

(11)^  15 148

関連項目

編集

外部リンク

編集