竹本正男
日本の体操選手
竹本 正男︵たけもと まさお、1919年︿大正8年﹀9月29日 - 2007年︿平成19年﹀2月2日︶は、日本の体操選手。元日本体育大学副学長、日本体育大学名誉教授。1952年ヘルシンキオリンピック・1956年メルボルンオリンピック銀メダリスト、1960年ローマオリンピック金メダリスト。島根県浜田市出身。旧制浜田中︵島根県立浜田高等学校︶、日本体育会体操学校高等師範科︵現・日本体育大学︶卒業。﹁体操の神様﹂とも言われていた。浜田市名誉市民でもあった。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f3/Masao_Takemoto_1952.jpg/220px-Masao_Takemoto_1952.jpg)
獲得メダル | ||
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体操競技 | ||
オリンピック | ||
金 | 1960 ローマ | 男子団体総合 |
銀 | 1952 ヘルシンキ | 男子個人跳馬 |
銀 | 1956 メルボルン | 男子団体総合 |
銀 | 1960 ローマ | 男子個人鉄棒 |
銅 | 1956 メルボルン | 男子個人つり輪 |
銅 | 1956 メルボルン | 男子個人平行棒 |
銅 | 1956 メルボルン | 男子個人鉄棒 |
世界体操競技選手権 | ||
金 | 1954 ローマ | 男子個人徒手 |
金 | 1958 モスクワ | 男子個人徒手 |
銀 | 1954 ローマ | 男子団体総合 |
銀 | 1958 モスクワ | 男子団体総合 |
銀 | 1958 モスクワ | 男子個人跳馬 |
銅 | 1954 ローマ | 男子個人平行棒 |
銅 | 1958 モスクワ | 男子個人鉄棒 |
来歴
編集選手時代
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●1947年‥第1回全日本体操競技選手権に出場し個人総合で優勝。以後個人総合で5連覇。通算7回の優勝を果たす。
●1952年‥ヘルシンキオリンピックに出場。種目別跳馬で銀メダルを獲得。
●1954年‥ローマ世界選手権に出場し、徒手で金メダルを獲得。
●1956年‥メルボルンオリンピックに出場、選手団主将を務める。団体総合で銀メダル、種目別つり輪、平行棒、鉄棒で銅メダルを獲得。
●1958年︰モスクワ世界選手権に出場し、徒手で優勝。世界選手権2連覇を達成した。
●1960年︰ローマオリンピックで日本初の男子団体金メダル、種目別鉄棒銀メダルに輝く。
引退後
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ローマ五輪を最後に引退。日本体育大学教授として後進の指導、研究に従事した。
●1964年︰東京オリンピックで男子体操監督に就任。
●1972年︰1972年ミュンヘンオリンピックで男子体操監督に就任。
●1976年︰1976年モントリオールオリンピックで男子体操監督に就任。
●1980年︰紫綬褒章を受章。
●1993年︰勲三等瑞宝章を受章。
●1997年︰日本人として初めて国際体操殿堂入りを果たした。
●2007年2月2日︰死去。叙正五位。
ほかに、日本体操協会副会長、日本体操協会顧問、日本体育大学理事、日本体育大学女子短期大学副学長などの要職を歴任した。
月面宙返りのネーミングを考案した人物としても著名である。
主な出演
編集- 20世紀の遺伝子(フジテレビジョン)
関連項目
編集外部リンク
編集- 竹本正男 - Olympedia(英語)