凡例

紀 貫之
紀貫之(菊池容斎画『前賢故実』)
時代 平安時代前期 - 中期
生誕 貞観8年(866年)または貞観14年(872年)頃?
死没 天慶8年5月18日945年6月30日)?
改名 阿古久曽(幼名)→貫之
墓所 滋賀県大津市比叡山中腹の裳立山
官位 従五位上木工権頭従二位
主君 醍醐天皇朱雀天皇
氏族 紀氏
父母 父:紀望行
時文、紀内侍、女子
テンプレートを表示
紀貫之(狩野探幽『三十六歌仙額』)

概略

編集

[1]

5905

101435[2]




逸話・説話

編集

大鏡』によると、その和歌の腕前は非常に尊重されていたらしく、天慶6年(943年)正月に大納言藤原師輔が、正月用の魚袋を父の太政大臣藤原忠平に返す際に添える和歌の代作を依頼するために、わざわざ貫之の家を訪れたという。

袋草紙』などでは、貫之の詠んだ歌の力によって幸運がもたらされたという「歌徳説話」も数多く伝わっている。

官歴

編集

5122

886614872 ?

5905418

69062

79072279

109102

139133134

17917171

189182

9236

79299

89301

59352

39403

694317

8945328
518?

371904 418[3]

系譜

編集
  • 父:紀望行
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
  • 生母不明の子女

作品

編集
 
紀貫之(百人一首より)

代表歌

編集
  • 袖ひちてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらん(古今2)
  • 霞たちこのめも春の雪ふれば花なきさとも花ぞちりける(古今9)
  • さくら花ちりぬる風のなごりには水なき空に波ぞたちける(古今89)
  • 人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける(百人一首35)
  • 吉野川いはなみたかく行く水のはやくぞ人を思ひそめてし(古今471)

旧跡

編集

墓所

編集
 
裳立山の紀貫之の墓

10


神社

編集



 - [4]

 - [5]

 - 

参考文献

編集
  • 荒俣宏『日本仰天起源』集英社<集英社文庫>、1994年9月。ISBN 4-08-748219-7 
  • 神田竜身『日本評伝選:紀貫之 あるかなきかの世にこそありけれ』ミネルヴァ書房、2009年。 

脚注

編集

注釈

編集
  1. ^ 荒俣宏は、くそは不浄であり、悪鬼の類ですらこれを嫌うものであるため、鬼魔の害を避ける方法として幼児に「マル」(不浄をいれる容器)や「クソ」(不浄そのもの)の名をつける親が現れたと論じている[1]

出典

編集
  1. ^ 荒俣(1994)
  2. ^ 『勅撰作者部類』
  3. ^ 『官報』第6237号「叙任及辞令」1904年4月19日。
  4. ^ 福王子神社 - 滋賀県神社庁2018年10月14日 閲覧
  5. ^ 紀貫之社 - 愛媛県神社庁2018年10月14日 閲覧

関連項目

編集

外部リンク

編集