硫黄島 (鹿児島県)

日本の鹿児島県にある薩南諸島に属する島
薩摩硫黄島から転送)

便890-090112562202051[1]
硫黄島
島の北東側から空撮
所在地 日本の旗 日本
座標 北緯30度47分35秒 東経130度18分19秒 / 北緯30.79306度 東経130.30528度 / 30.79306; 130.30528 (硫黄島)座標: 北緯30度47分35秒 東経130度18分19秒 / 北緯30.79306度 東経130.30528度 / 30.79306; 130.30528 (硫黄島)
面積 11.65 km²
海岸線長 14.5 km
最高標高 703.7 m
最高峰 硫黄岳
人口 125(2020年)
硫黄島 (鹿児島県)の位置(鹿児島県内)
硫黄島 (鹿児島県)
     
プロジェクト 地形
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行政区画は鹿児島県鹿児島郡三島村に属し、硫黄島及び昭和硫黄島の区域を以て三島村の大字硫黄島」を構成する。

火山島であり火山噴火予知連絡会によって火山防災のために監視・観測体制の充実等の必要がある火山(常時観測火山)に選定されている[2]

概要

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硫黄島(鹿児島県)の空中写真。2016年撮影の5枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

地理

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西5.54.014.511.65125[1][1]鹿

A703.7

小島・岩礁

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 - 2km

 - 6km

 - 

 - 

西 - 西

 - 西

鬼界カルデラとの位置関係

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硫黄港の正面に高さ80メートルの溶岩絶壁があり、その東縁が鬼界カルデラのカルデラ壁と考えられている。硫黄島は、硫黄港から矢筈岳山体の南東側の平家の城を経て、竹島に至る東西20キロメートル、南北17キロメートルの鬼界カルデラの北西縁に位置している[3]

歴史

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2(1178)21258922112

11貿貿114711563[4]

19101951150104[5][6]

宿52

交通

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鹿()234鹿[7]

[7][8]
  • 村営の薩摩硫黄島飛行場があり、新日本航空鹿児島空港からセスナ機による週2往復の定期便(所要時間:60分前後、予約制、乗客定員は1機につき3名)を運航している。臨時のチャーター便も利用可能[1]。かつては東和航空による、枕崎飛行場からのセスナチャーター便(20分)もあったが、枕崎飛行場のヘリポート化に伴い廃止された。

自然

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西370[7]

人口

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1960年には604人の人口であったが、硫黄鉱山の閉山(1964年)にともない人口流出が起こり1970年には186人となった。その後の人口の軽微な減少が継続し、2005年には140人、2008年には62世帯121人となった[7]

産業

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20085112[7]46椿椿椿使193.7椿6使20072[7]宿5100宿宿[7][9]

教育

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  • 三島村立三島硫黄島学園
  • みしまジャンベスクール -Tam Tam Mandingue Japan-
    村営の西アフリカの打楽器ジャンベのスクール。毎年ママディ・ケイタが訪れていた[9]タムタムマンディングは西アフリカの伝統音楽を学ぶ学校として、1991年ママディ・ケイタ自身がベルギーのブリュッセルに設立したのが始まりで、今ではヨーロッパを中心に世界各国にその活動の場を広げている。アジアでは、本校が初の設立[10]

島内の開発

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ヤマハのリゾートホテル

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1973年10月、ヤマハリゾートによる海洋リゾート整備の一環として、滑走路600メートルの飛行場が建設された。その翌年の4月には同社のリゾートホテルとして「旅荘 足摺」がオープン、リゾートブームの一時代を画したが、1983年4月、経営不振から飛行場、ホテルとも閉鎖した。その後、1994年4月、村は同社から飛行場を取得し日本初の村営飛行場として開港し、鹿児島空港からのチャーター便が飛来していた。このときにヤマハが持ち込んだ孔雀が野生化し、島のいたるところで見ることができる[9]。「旅荘 足摺」跡地は地元との取り決めで、完全に原状復帰されたのち、現在は下記の冒険ランドいおうじまとなった。

冒険ランドいおうじま

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鹿[11]52000[11]21,000宿150[12]宿2019202125000[11]鹿[11]

硫黄岳

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硫黄岳。2015年5月。東方より。
ステレオ写真はこちら

硫黄岳の概要

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20052

450西20070

26,3003,0002[3]

6

鉱山として

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11貿貿1[13]貿18681964[14][3]53[9][14]

近年の噴火活動

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薩摩硫黄島港の空中写真(1977年撮影)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

19992004

800100[3]19881184[15]19901994 199610199873020017200179813380g/m22001 1110[16][17]1994100[18]2001160×1102003190×130[19]

2013(25635[20]2019112173512[21][22]

主な施設・名所

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 - 

 - 





[3]

 - 1243

 - 

 - 

便 - ATM

 - 19722
 

 - 3,000

 - 

 - [3]2×107[3]

 - 1934230094西500300205002505000.184199019950.18[23]

 - 10[24]

催事・祭礼

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 - 812[25][26][27]
 - [26][27][27][28][27]

 - 91011[29][30]12[30]鹿[29][30]

 - 600

特記事項

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 - [9]


脚注

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注釈

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  1. ^ 2019年11月2日の噴火時点での報道では115人。

出典

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(一)^ ab > 251. . 20205132020513

(二)^ . . 2016225

(三)^ abcdefg 472, 199312

(四)^ MINERVA5p136-141    20213301

(五)^ 鹿鹿 1鹿1967

(六)^  1915

(七)^ abcdefg  212(pdf)

(八)^ 

(九)^ abcde

(十)^ -Tam Tam Mandingue Japan-

(11)^ abcd5 鹿 32.5 . .  (2022616). 2022617

(12)^ 鹿

(13)^ MINERVA5p139-150    20213301

(14)^ ab

(15)^ 1988

(16)^ 調(1997)67, 79-82.

(17)^ 西 (2002)2001-2002, 2002 稿V032. 

(18)^   1975 2001  

(19)^ GPS  97 2004127調 

(20)^  .  (2019411). 2019116

(21)^ 2.  (2019112). 2019116

(22)^  2 鹿.  (2019112). 2019116

(23)^     調

(24)^ 

(25)^ . 鹿 (2021127). 2023914

(26)^ ab. . 2023914

(27)^ abcd. . . 2023914

(28)^ . . 鹿. 2023914

(29)^ ab. . 鹿. 2023914

(30)^ abc 鹿  (pdf). 鹿 (2022218). 2023914

参考文献

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  • 薩摩硫黄島における火山性地震の特徴 (PDF) 井口正人、京都大学防災研究所
  • 三島村誌編纂委員会編 『三島村誌』 栗原正(三島村長)、1990年。
  • 加藤祐三『軽石 : 海底火山からのメッセージ』八坂書房、2009年。ISBN 978-4-89694-930-8 

関連項目

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外部リンク

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