近畿大学青踏女子短期大学
近畿大学青踏女子短期大学︵きんきだいがくせいとうじょしたんきだいがく、英語: Kinki University Seito Junior College︶は、和歌山県和歌山市善明寺516に本部を置いていた日本の私立大学である。1972年に設置され、2002年に廃止された。大学の略称は青踏短大または青踏。
近畿大学青踏女子短期大学 | |
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大学設置/創立 | 1972年 |
廃止 | 2002年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人近畿大学 |
本部所在地 | 和歌山県和歌山市善明寺516 |
学部 | 英文科[1] |
概要
編集大学全体
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●学校法人近畿大学により1972年に設置された日本の私立短期大学[2]。
●開学時より1学科体制で入学定員100名、学科目の変更もなし。
●当初、和歌山県御坊市内にキャンパスがあった[3]が、万年定員を下回る学生数によるものか[注1]、1986年より和歌山市に移転された[1]。
●和歌山市への移転から8年間は安定した経営が続いた[注2]。
●しかし、1994年︵平成6年度︶に初めて定員割れ[注3]、1995年度には44人[注4]まで減少。
●以後そのまま入学者減に拍車がかかり[注5]、2000年︵平成12年度︶には入学定員を40に減員するも[34]、学生数9人となり﹁光熱費だけで赤字﹂という深刻な事態となった[1]。同年4月、学長が在籍学生に短大の廃止を告げ、﹁どう説明するか悩んで寝られなかった﹂と胸中を語ったという[1]。
●かつてのキャンパスは近畿大学附属和歌山中学校・高等学校に転用された。
建学の精神(校訓・理念・学是)
編集- 近畿大学青踏女子短期大学における建学の精神
- 「教育の目的は、人に愛される人 信頼される人 尊敬される人を育成することにある」
教育および研究
編集学風および特色
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●近畿大学青踏女子短期大学の学名である﹁青踏﹂とは、その短期大学を取り巻く言葉で﹁早春の野にいでて、わか草を踏み、希望と未来の幸福を思い、あかるい無限の光のなかをあゆむ﹂という意味が含まれていた[35]。
●イングリッシュ・フェスティバルや英語劇などのイベントが盛んだった。
沿革
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●1972年
●1月29日 左記を以て文部省[注6]より短期大学の設置が認可される[36]。
●4月1日 左記を以て近畿大学青踏女子短期大学が開学[注7]。英文科 入学定員100名[37]
●4月12日 初めての入学式が行われる[36]。
●1986年 御坊市塩屋町北塩屋768-8[20]から和歌山市善明寺516[21]に移転。
●2000年
●4月1日 英文科の入学定員を100→40に減員[34]。この年度をもって学生募集を終了。翌年度より近畿大学文芸学部に水増しする形となる[注8]。
●2002年
●10月28日 左記を以て正式廃止[34]。
基礎データ
編集所在地
編集- 和歌山県和歌山市善明寺516
象徴
編集取得資格について
編集研究
編集- 『青踏女子短期大学紀要』[38]あり。
学生生活
編集部活動・クラブ活動・サークル活動
編集学園祭
編集大学関係者と組織
編集大学関係者一覧
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大学関係者
編集施設
編集キャンパス
編集- 図書館
- 学生食堂
- 学生寮ほか
対外関係
編集他大学との協定
編集アメリカ
編集イギリス
編集カナダ
編集姉妹校
編集系列校
編集卒業後の進路について
編集編入学・進学実績
編集関連項目
編集注釈
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(一)^ 1972年[4]、1973年[5]、1974年[6]の3年間は学生数不明。
但し、学生数9の記載がある文献も存在する[7][8]。
1975年以降の学生数は各々14[9]、12[10]、13[11]、26[12]、22[13]、16[14]、16[15]、16[16]、24[17],
25[18]、28[19]となっていた。
(二)^ 1985年の28[19]だったのが、1986年において129に増加[20]、さらに1987年には243に増加した[21]。以後は、253[22]、251[23]、263[24]、308[25]と増加し、1992年以降は294[26]、260[27]と減少したものの総定員200よりも上回っていた。
(三)^ 募集100人、入学者数95人。但し、総定員は227[28]と総定員200よりも上回っていた
(四)^ 総定員200に対し学生数140[29]︶
(五)^ 1996年度以降は総定員200に対し其々、75[30]→62[31]→51[32]→44[33]と減少し続けている
(六)^ 現在の文部科学省。
(七)^ 和歌山県の百年 (県民100年史 ; 30)には﹁3月12日開校﹂と記載がある。
(八)^ 実際のところは学生数の激減によるもので、2000年度入学生は僅か9人となっていた[1]。
出典
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(一)^ abcde﹁大学 第1部 危機の現場︵5︶リストラ “冬”耐えきれず閉校も﹂読売新聞2001年10月27日付朝刊、大阪本社版2社、34ページ
(二)^ 大学資料 (43/44)より。
(三)^ 近畿大学青踏女子短期大学'77.
(四)^ 全国学校総覧 昭和48年版より。
(五)^ 全国学校総覧 昭和49年版より。
(六)^ 全国学校総覧 昭和50年版より。
(七)^ 全国学校名鑑 昭和49年版より。
(八)^ 全国学校名鑑 昭和50年版より。
(九)^ 全国学校総覧 昭和51年版
(十)^ 文部省'76, p. 51.
(11)^ 全国学校総覧 昭和53年版より。
(12)^ 全国学校総覧 昭和54年版より。
(13)^ 全国学校総覧 昭和55年版より。
(14)^ 全国学校総覧 昭和56年版より。
(15)^ 全国学校総覧 昭和57年版より。
(16)^ 全国学校総覧 昭和58年版より。
(17)^ 全国学校総覧 昭和59年版より。
(18)^ 全国学校総覧 昭和60年版より。
(19)^ ab文部省'85, p. 67.
(20)^ ab文部省'86, p. 67.
(21)^ ab文部省'87, p. 69.
(22)^ 文部省'88, p. 72.
(23)^ 文部省'89, p. 74.
(24)^ 文部省'90, p. 75.
(25)^ 文部省'91, p. 78.
(26)^ 文部省'92, p. 78.
(27)^ 文部省'93, p. 81.
(28)^ 文部省'94, p. 83.
(29)^ 文部省'95, p. 85.
(30)^ 文部省'96, p. 87.
(31)^ 文部省'97, p. 89.
(32)^ 文部省'98, p. 77.
(33)^ 文部省'99, p. 81.
(34)^ abc文教協会'2011, p. 288.
(35)^ ab日本の私立短期大学より。
(36)^ ab御坊市史 第2巻 (通史編2)p661より。
(37)^ 短期大学教育 (30)より。
(38)^ 近松研究所紀要 (8/9)より。
(39)^ 御坊市史 第2巻 (通史編2)p662より。
参考文献
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●近畿大学青踏女子短期大学﹃近畿大学青踏女子短期大学要覧﹄近畿大学青踏女子短期大学。
●文部省﹃全国学校総覧 昭和52年版﹄東京教育研究所。
●文部省﹃全国学校総覧 昭和61年版﹄原書房。
●文部省﹃全国学校総覧 昭和62年版﹄原書房。
●文部省﹃全国学校総覧 昭和63年版﹄原書房。
●文部省﹃全国学校総覧 昭和64年版﹄原書房。
●文部省﹃全国学校総覧 1990年版﹄原書房。
●文部省﹃全国学校総覧 1991年版﹄原書房。
●文部省﹃全国学校総覧 1992年版﹄原書房。
●文部省﹃全国学校総覧 1993 年版﹄原書房。
●文部省﹃全国学校総覧 1994年版﹄原書房。
●文部省﹃全国学校総覧 1995年版﹄原書房。
●文部省﹃全国学校総覧 1996年版﹄原書房。
●文部省﹃全国学校総覧 1997年版﹄原書房。
●文部省﹃全国学校総覧 1998年版﹄原書房。
●文部省﹃全国学校総覧 1999年版﹄原書房。
●文部省﹃全国学校総覧 2000年版﹄原書房。
●文部科学省﹃全国短期大学高等専門学校一覧 平成23年度﹄文教協会。