速谷神社
速谷神社 | |
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拝殿(左に阿岐國造碑) | |
所在地 | 広島県廿日市市上平良308-1 |
位置 | 北緯34度21分33.59秒 東経132度18分30.10秒 / 北緯34.3593306度 東経132.3083611度座標: 北緯34度21分33.59秒 東経132度18分30.10秒 / 北緯34.3593306度 東経132.3083611度 |
主祭神 | 飽速玉男命 |
社格等 |
式内社(名神大) 安芸国二宮 旧国幣中社 別表神社 |
創建 | 不詳 |
本殿の様式 | 流造 |
例祭 | 10月12日 |
地図 |
概要
編集祭神
編集歴史
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鎮座の年代は詳かではないが、千八百年の古社である。
嵯峨天皇の御代、弘仁2年︵811年︶名神に列し、清和天皇の貞観元年︵859年︶、従五位上であった神階を従四位下に進め、同9年︵867年︶には従四位上に進める。
醍醐天皇の延喜5年︵905年︶の﹃延喜式神名帳﹄には﹁安芸国佐伯郡 速谷神社 名神大 月次 新嘗﹂として記載されて名神大社に列し、国家鎮護の神社として毎年月次祭、祈年祭、新嘗祭の三祭に神祇官の奉幣に預かった。このように朝廷から篤く崇敬され、延喜式所載の安芸国三社︵速谷神社、厳島神社、多家神社︶の中でも、速谷神社だけがこうした殊遇をうけ、安芸・備後国はもとより、山陽道八ヶ国でも最高の社格を誇った。
朱雀天皇の承平5年(935年)、藤原純友の乱に、朝廷は騒乱の平定を速谷神社など全国十三社に祈願され、まもなくその乱が鎮定したので、神階を正四位下に進められた。
古くは安芸国の一宮であったとされるが、厳島神社が平氏に崇敬されるにつれて一時は厳島神社の摂社にも数えられ、安芸国二宮と称されるようになった[2]。
室町時代からは安芸国桜尾城主だった藤原親実以下歴代の城主、戦国大名の大内義隆、毛利元就、さらに広島藩主、浅野光晟以下の歴代藩主らが速谷神社を篤く崇敬して、神宝・社領を寄進し、社殿の造営と修復を行った。
大正13年︵1924年︶近代社格制度において国幣中社に列格。昭和21年︵1946年︶官制廃止により、神社本庁所属の別表神社となった。
神階
編集境内
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拝殿(別の角度より)
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儀式殿
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楼門
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参道
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阿岐国造碑
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一の鳥居
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社務所
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車祓所
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神楽殿
摂末社
編集祭事
編集文化財
編集広島県指定重要文化財
編集- 紙本墨書大願寺尊海文書
- 木造狛犬
現地情報
編集- 所在地
- 交通アクセス
脚注
編集参考文献
編集- 『日本歴史地名大系 広島県の地名』(平凡社)佐伯郡 速谷神社
外部リンク
編集- 速谷神社 - 公式サイト