岡本経一
(青蛙房から転送)
人物
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岡山県勝田郡勝間田町出身[2]、旧姓は森部。
13歳で上京[1]。額田六福の紹介で作家・岡本綺堂の書生となり、専検︵専門学校入学資格検定試験︶をとって法政大学の夜学に通う[1]。1930年、法政大学高等師範科︵国漢︶卒業[1]。
1937年に綺堂の養子となった[1]。1944年応召、戦後ソ連に抑留され、1947年復員[1]。
戦後、青蛙堂書房を創業、社名は綺堂の作品﹃青蛙堂鬼談﹄に由来するが、間もなく倒産。1955年に青蛙房として再建し、養父岡本綺堂や三田村鳶魚らの著作を刊行。他にも6代目三遊亭圓生の自伝﹃寄席育ち﹄や宇野信夫等の著作も出版している。江戸時代の文化関連の出版により、青蛙房名義で1967年度の菊池寛賞を受賞している。
﹃岡本綺堂日記﹄︵1987年︶等、養父岡本綺堂に関する資料の編纂や出版などを手掛け、文庫版などで綺堂作品の解説も多く行っている︵﹃﹁半七捕物帳﹂解説﹄に所収。2009年に100歳記念で刊行︶。
1990年に引退[1]。社業を子息・岡本修一︵1948ー2018︶[3][4]に譲る。
2010年11月15日、急性心筋梗塞により死去[5]。享年102。
没後
編集故郷勝央町の「勝央美術文学館」に「青蛙房、岡本経一の仕事」コーナーがある。青蛙房は2代目死去により2019年に廃業し、在庫はすべて八木書店が買い取った[6]。