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黒井城
兵庫県
隅櫓の石垣
隅櫓の石垣
別名 保月城、保築城
城郭構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 赤松貞範
築城年 建武年間(1334年-1338年
主な改修者 赤井直正斎藤利三堀尾吉晴
主な城主 赤松氏、赤井氏、斎藤利三堀尾吉晴
廃城年 天正12年(1584年
遺構 石垣、空堀、郭跡、堀切、土塁等
指定文化財 国の史跡
再建造物 なし
位置 北緯35度10分45.0秒 東経135度6分14.6秒 / 北緯35.179167度 東経135.104056度 / 35.179167; 135.104056座標: 北緯35度10分45.0秒 東経135度6分14.6秒 / 北緯35.179167度 東経135.104056度 / 35.179167; 135.104056
地図
黒井城の位置(兵庫県内)
黒井城

黒井城

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概要

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356m[2]71579250
指定・選定

沿革

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赤松時代

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『嘉吉記』によると、足利尊氏に従軍し、新田義貞軍と戦った功績により建武2年(1335年)12月12日丹波国春日部を赤松貞範に所領され、この時に築城が始まったと思われているが、これに対して猪ノ口山にはまだ築城されていなかったという意見もある。軍事的な緊張があって初めて城が築かれるので、戦闘が終息する時期に築城するのはおかしいというのがその理由である。 その後、赤松五代、約120年間この地を統治していたようである。

赤松春日家
一代 二代 三代 四代 五代
赤松貞範 赤松顕則 赤松満則 赤松貞村 赤松教貞

もっとも赤松氏が春日部領を直接統治していたわけではなく、代官を代々配置し、遠隔統治していたのではないかと思われている。

荻野、赤井時代

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615261130001532-1554

黒井城の乗っ取り戦

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黒井城の乗っ取り戦
戦争:乗っ取り戦
年月日天文23年(1554年)1月2日
場所:黒井城
結果:赤井直正の勝利
交戦勢力
赤井直正 荻野秋清
指導者・指揮官
赤井直正 荻野秋清
戦力
不明 不明
損害
不明 荻野秋清は殺害

85

7156481565

第一次黒井城の戦い

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1315703鹿退31575
 

241576115退

第二次黒井城の戦い

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51577106157839

161

西

289

斎藤、堀尾時代

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:

121584


城郭

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猪ノ口山の山頂部には本丸(48m×22m)、二の丸(40m×19m)、三の丸(28m×23m)と呼ばれる曲輪がある。

 
登山口に建つ「国指定史跡 黒井城跡」の記念石碑 ※当時の西岡武夫文部大臣揮毫による[5]
 
猪ノ口山

主曲輪

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西170m×45m








西







二の丸跡
  • 本丸への虎口跡
  • 本丸跡に建つ保月城址の石碑
  • 西曲輪から本丸跡を撮影
  •  
    隅櫓の角部分の石組み

    周辺曲輪

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    主曲輪の一段下に東曲輪(25m×15m)と西曲輪(10m×30m)と幅3mから10mの帯曲輪がある。

    石垣は野面積み、隅部は算木積みと言われる工法で築かれており、いずれも天正年間の石垣と考えられている。

     
    主曲輪からの眺望/山頂から興弾寺方向を撮影

    山麓曲輪

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    西

    西西200m42.5m×1.5m3m西


    下館と出砦

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    3西Y1km
     
    黒井城と出砦の分布図(南側)
     
    黒井城と出砦の分布図(北側)

     
    黒井城下周辺図/個人蔵

    改修

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    『史跡黒井城跡保存管理策定報告書』によると、大きく分けて3つの時代に築城、改修したのではないかと指摘している。

    時代 主な出来事
    第1期 南北朝時代-
    戦国時代初期
    赤松氏が猪ノ口山の山頂部に砦のような城が考えられる
    第2期 戦国時代中期-
    戦国時代後期
    赤井直正が城主となり山頂部には連郭式の複数の曲輪、山麓、尾根筋にも数多くの曲輪、
    また下館と出砦を築き壮大な山城を築いたと考えられる
    第3期 安土桃山時代 斎藤利三(織田系)や堀尾吉晴(豊臣系)が城主になり山頂部分を中心に石垣を築き、
    織豊系城郭に変化したと考えられる

    連郭式から輪郭式へ

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    西300m
     





        


    城跡へのアクセス

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    黒井城跡(猪ノ口山登山口)の駐車場

    脚注

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    (一)^ ab. . 202455

    (二)^   1990 

    (三)^ 811.  . 202455

    (四)^ 100.  . 202455

    (五)^  2. . 202457

    (六)^ abcQA.  . 202455

    参考文献

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    • 兵庫県民俗芸能調査会『ひょうごの城紀行(上)』神戸新聞総合出版センター、1998年4月、242頁-252頁。
    • 都道府県教育委員会『近畿地方の中世城館 4 兵庫・和歌山』東洋書林、2003年4月、50頁-53頁。
    • 『図説中世城郭事典』第二巻、新人物往来社、1987年6月、42頁-43頁。
    • 大梅山興禅寺『大梅山興禅寺』大梅山興禅寺、2001年10月、2頁-18頁。
    • 戦国合戦史研究会『戦国合戦大事典』六、新人物往来社、1989年1月、56頁-57頁、187頁-188頁、222頁、227頁-228頁。
    • 『日本城郭大系』第12巻、大阪・兵庫、新人物往来社、1981年3月、309頁-311頁。

    関連項目

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    外部リンク

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