1983年のオールスターゲーム (日本プロ野球)
PJ:BASE#NPBポストシーズンに準じた対応をとるべき記事であるため、ランニングスコアの記載等ご遠慮ください。(2022年5月) |
1983年のオールスターゲームは、1983年7月に行われた日本プロ野球のオールスターゲーム。
1983年のNPBオールスターゲーム | |||
---|---|---|---|
ゲームデータ | |||
セ監督 | 近藤貞雄 | ||
パ監督 | 広岡達朗 | ||
セ投票最多 | 中畑清 | ||
パ投票最多 | 福本豊 | ||
第1戦 | |||
日程 | 7月23日 | ||
開催地 | 明治神宮野球場 | ||
スコア | パリーグ | 5-3 | セリーグ |
MVP | 門田博光 | ||
第2戦 | |||
日程 | 7月24日 | ||
開催地 | 阪急西宮球場 | ||
スコア | セリーグ | 3-4 | パリーグ |
MVP | 梨田昌孝 | ||
第3戦 | |||
日程 | 7月26日 | ||
開催地 | 広島市民球場 | ||
スコア | パリーグ | 4-1 | セリーグ |
MVP | 落合博満 | ||
« 1982 1984 » ■テンプレートを表示 |
概要
編集
前年、日本一を達成した西武ライオンズの広岡達朗監督が全パ︵オールパシフィック・リーグ︶を率い、セ・リーグを制した中日ドラゴンズの近藤貞雄監督が全セ︵オールセントラル・リーグ︶の指揮を執ったオールスターゲーム。パ・リーグ側の要望で初めて指名打者制度を導入した。ただし、全セは全試合で投手を打順に組み込んだ。
第1戦は怪我からの復帰の門田博光が指名打者として登場し2本塁打を打ち、全パが先勝した。続く第2戦は浪商時代、バッテリーを組んだ全セ・牛島和彦︵中日︶対全パ・香川伸行︵南海︶が実現した。試合そのものは全パが4対3の1点差で勝利した。因みに第1戦の勝利投手が兄の松沼博久、第2戦が弟の松沼雅之。つまり兄弟勝利投手リレーも実現した。第3戦、ロッテの主砲・落合博満の2本塁打3打点が効き、全パが負けなしの3連勝。全試合、江夏豊︵日本ハム︶が抑え登板し、2Sを挙げた。
選出選手
編集セントラル・リーグ[1] | パシフィック・リーグ[1] | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
監督 | 近藤貞雄 | 中日 | 監督 | 広岡達朗 | 西武 | ||
コーチ | 藤田元司 | 巨人 | コーチ | 大沢啓二 | 日本ハム | ||
安藤統男 | 阪神 | 関口清治 | 近鉄 | ||||
投手 | 西本聖 | 巨人 | 4 | 投手 | 江夏豊 | 日本ハム | 16 |
江川卓 | 巨人 | 4 | 森繁和 | 西武 | 2 | ||
角三男 | 巨人 | 2 | 松沼博久 | 西武 | 3 | ||
松岡弘 | ヤクルト | 8 | 松沼雅之 | 西武 | 3 | ||
梶間健一 | ヤクルト | 4 | 高橋直樹 | 西武 | 6 | ||
北別府学 | 広島 | 5 | 間柴茂有 | 日本ハム | 2 | ||
津田恒美 | 広島 | 初 | 鈴木啓示 | 近鉄 | 14 | ||
川口和久 | 広島 | 初 | 今井雄太郎 | 阪急 | 3 | ||
小林繁 | 阪神 | 8 | 水谷則博 | ロッテ | 2 | ||
斉藤明夫 | 大洋 | 4 | 山内和宏 | 南海 | 初 | ||
牛島和彦 | 中日 | 初 | 山内孝徳 | 南海 | 2 | ||
捕手 | 山倉和博 | 巨人 | 3 | 捕手 | 香川伸行 | 南海 | 初 |
笠間雄二 | 阪神 | 初 | 梨田昌崇 | 近鉄 | 5 | ||
達川光男 | 広島 | 初 | 中沢伸二 | 阪急 | 6 | ||
一塁手 | 中畑清 | 巨人 | 3 | 一塁手 | |||
二塁手 | 篠塚利夫 | 巨人 | 2 | 二塁手 | 大石大二郎 | 近鉄 | 2 |
三塁手 | 原辰徳 | 巨人 | 3 | 三塁手 | 羽田耕一 | 近鉄 | 3 |
遊撃手 | 河埜和正 | 巨人 | 4 | 遊撃手 | 石毛宏典 | 西武 | 3 |
内野手 | 高橋慶彦 | 広島 | 3 | 内野手 | 山崎裕之 | 西武 | 11 |
衣笠祥雄 | 広島 | 9 | スティーブ | 西武 | 初 | ||
掛布雅之 | 阪神 | 8 | 高代延博 | 日本ハム | 3 | ||
高木豊 | 大洋 | 初 | 落合博満 | ロッテ | 3 | ||
谷沢健一 | 中日 | 8 | 松永浩美▲ | 阪急 | 初 | ||
外野手 | 松本匡史 | 巨人 | 3 | 外野手 | 福本豊 | 阪急 | 13 |
山本浩二 | 広島 | 11 | テリー | 西武 | 初 | ||
田尾安志 | 中日 | 4 | 島田誠 | 日本ハム | 5 | ||
若松勉 | ヤクルト | 10 | 大田卓司 | 西武 | 3 | ||
大島康徳 | 中日 | 3 | 簑田浩二 | 阪急 | 2 | ||
門田博光 | 南海 | 8 |
- 太字はファン投票で選ばれた選手。▲は出場辞退選手発生による補充選手。
試合結果
編集第1戦
編集オーダー
編集
|
|
第2戦
編集オーダー
編集
|
|
第3戦
編集オーダー
編集
|
|
テレビ・ラジオ中継
編集テレビ中継
編集
●第1戦:7月23日
●フジテレビ 実況‥盛山毅 ゲスト解説‥平松政次︵大洋︶、大杉勝男︵ヤクルト︶
●この日は土曜日であり、放送枠は18:30 - 20:54だったため、18:30の﹃未来警察ウラシマン﹄、19:00の﹃クイズ!知ッテレQ﹄、19:30の﹃タイムボカンシリーズ イタダキマン﹄、20:00の﹃オレたちひょうきん族﹄が全て休止。この時期の﹃タイムボカンシリーズ﹄は土曜19:30だったため、同シリーズがオールスター戦で休止になるのは史上初︵番組自体は公式戦の中継で何回か休止︶、そして同シリーズが土曜18:30時代だった時期はオールスター戦で休止になったことは1度もないため、﹃ウラシマン﹄の休止は同枠アニメでは史上初である。
●NHK総合︵中継録画・スポーツアワーに内包︶ 実況‥土門正夫 解説‥星野仙一
●第2戦:7月24日
●関西テレビ≪フジテレビ系列≫ 実況‥馬場鉄志 解説‥西本幸雄 ゲスト解説‥山田久志︵阪急︶、藤田平︵阪神︶ ゲスト:早見優 リポーター‥米田哲也、吉田義男 監督およびヒーローインタビュー馬場鉄志
●この日は日曜日であるため、19:00の﹃さすがの猿飛﹄、19:30の﹃世界名作劇場 アルプス物語 わたしのアンネット﹄、20:00の﹃オールスター家族対抗歌合戦﹄が全て休止。19:00アニメや﹃世界名作劇場﹄﹃家族対抗歌合戦﹄は、ヤクルトが初の日本一︵1978年︶になった翌年の1979年から、プロ野球中継で休止になったことは時々あるが、オールスター戦での休止はこれが史上初[2]。
●NHK総合︵中継録画・スポーツアワーに内包︶ 実況‥土門正夫 解説‥高田繁
●第3戦‥7月26日
●広島テレビ≪日本テレビ系列≫
●実況‥加藤進︵広島テレビ︶ 解説‥村山実 ゲスト解説‥古葉竹識︵広島監督︶ リポーター‥浅見源司郎︵日本テレビ・セ・リーグサイド︶、佐藤忠功︵よみうりテレビ・パ・リーグサイド︶、監督およびヒーローインタビュー脇田義信
●広島テレビがオールスターゲームで日本テレビ系向けの制作・放送を行うのは初めてだったが[3]、同時に自社の主管制作で中継したのはこれが最後となった。これ以後の広島開催時は1991年まで日本テレビ主管制作、広島テレビ制作協力︵1991年の様にクレジット上は2局共同での製作著作の場合もあり︶の形式で中継された。
●NHK総合︵中継録画・スポーツアワーに内包︶ 実況‥土門正夫 解説‥広瀬叔功 ゲスト解説‥村上雅則
ラジオ中継
編集- 第1戦:7月23日
- 第2戦:7月24日
- 第3戦:7月26日
脚注
編集- ^ a b 『オールスターゲームの軌跡 DREAM GAMES HISTORY since 1951』(2001年、ベースボール・マガジン社)、P.175
- ^ それまで1974年の第2戦や1977年の第2戦も、この時と同じ西宮球場での試合だったが、関西テレビは日曜19時台アニメ2本立てと『家族対抗歌合戦』をネットしているために中継権を使用せず、双方とも朝日放送が中継権を得た(前者はTBS系列、後者はテレビ朝日系列)ことがあった
- ^ これ以前はクロスネット局だったため、フジテレビ系向けを自社で放送し、日本テレビは自社で乗り込み、広島テレビまたは広島ホームテレビ(テレビ朝日系列)が制作協力する形式だった。