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﹃こゝろ﹄は、夏目漱石の長編小説。1914年︵大正3年︶4月20日から8月11日まで、﹁朝日新聞﹂で﹁心 先生の遺書﹂として連載。岩波書店より刊行。
友人から恋人を奪ったために罪悪感に苛まれた﹁先生﹂からの遺書を通して、明治人の利己を追う。漱石の代表的な作品。
注意‥以降の記述には物語・作品・登場人物に関するネタバレが含まれます。免責事項もお読みください。
あらすじ
時は明治末期。夏休み中に鎌倉に旅行に行った際、﹁私﹂は﹁先生﹂と出会った。先生は大学を出ているが就職せず、奥さんとひっそりと暮らしている。先生は雑司が谷にある墓地︵雑司ヶ谷霊園︶へ墓参りに行ったり、私に対して﹁私は寂しい人間です﹂と言ったりする。私はそんな生活を送る先生の事に興味を抱き、先生自身の事を色々と聞いたりするが、先生は答えてくれない。奥さんとの間に子供がいない事も不思議に思うが、やはり答えてくれなかった。また、私に対して﹁恋は罪悪だ﹂など急に教訓めいたことを言ったりもする。そんな折に私の父親が病気を患っている事を話すと、先生は﹁お父さんの生きてるうちに、相当の財産を分けてもらっておきなさい﹂と、現実的なことを言い出す。
私は大学を卒業後、実家に戻った。卒業後の就職先が決まっていなかった私に対し、家族から就職の斡旋を先生に依頼するように言われ、手紙を出すが、先生からの返事はなかった。父親は明治天皇の崩御と共に容態が悪化した。私は東京に戻る予定だったが、父の容態の急変により実家から離れる事が出来なくなる。
父親が危篤という状況になって、先生からの手紙が届く。私は先生の手紙から先生自身の死を暗示する文章を見つけたため、最期を迎えようとしている父親の元を離れ、東京行きの列車に乗る。列車の中で読んだ手紙には、衝撃的な先生の過去が綴られていた。
登場人物
私
﹁上 先生と私﹂﹁中 両親と私﹂の語り手。田舎に両親を持つ学生。父が大病を患っている。
先生
仕事に就かず、東京に妻とひっそり暮らしている。﹁下 先生と遺書﹂で”私”として自分の生き様を語っている。
先生の妻
先生から”静”と呼ばれている。﹁下﹂の前半部分では”お嬢さん”と書かれている。
先生の妻の母
物語では既に物故者。﹁下﹂の前半部分では”奥さん”と書かれている。
K
﹁下﹂に登場する、先生と同じ大学の学生。故郷も先生と同じで、同じ下宿にいる。Kのモデルには、幸徳秋水、石川啄木、清沢満之らの名が挙がっている。
作品解説
作者が乃木希典の殉死に影響されて書いた作品である。明治天皇の崩御、乃木の殉死に象徴される時代の変化によって、漱石は﹁明治の精神﹂が批判されることを予測した。漱石は大正という新しい時代を生きるために﹁先生﹂を﹁明治の精神﹂に殉死させる。
恋愛における罪悪は許されるのか否かという問題に対し、自らの欲望で友を裏切った先生は、また自らで自分を罰する。ここに現代人の欲望に対する弱さを見出そうとしている。後期三部作とされる前作﹃彼岸過迄﹄﹃行人﹄と同様に、人間の深いところにあるエゴイズムと、人間としての倫理観との葛藤が表現されている。
なお、この作品が岩波書店が出版社として発刊した最初の出版物である。
もともと、漱石はいろいろな短編を書いて、それらを﹃心﹄という題で統一するつもりだった。しかし、第一話であるはずの短編﹁先生の遺書﹂が長引きそうになったため、その一編だけを三部構成にして、出版することにした。ただし、題名は﹃心﹄と元のままにしておいたのである。このことは単行本に書かれた序文から明らかである︵なお、序文では﹃心﹄と表記されているが、それ以外は全て﹁こゝろ﹂という表記で統一されている。序文の内容は、外部リンク﹃心﹄自序を参照︶。
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