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黄金の夜明け団について |
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1898年に、L・A・レグロスのイラストを添えた世界最古のボルダリングガイドのひとつを執筆した<ref name="CLIMBING"/>。 |
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20代半ばまでに、19世紀の他の多くの宗教懐疑主義者と同様に、キリスト教に対する不満はオカルトへの積極的な関心に変わり、1898年に、 |
20代半ばまでに、19世紀の他の多くの宗教懐疑主義者と同様に、キリスト教に対する不満はオカルトへの積極的な関心に変わり、1898年に、秘教主義教団の[[黄金の夜明け団]][[ヘルメス主義|ヘルメス教団]]に参入し、儀式魔術の訓練を受けた<ref name="CLIMBING"/>。[[ケルト]]を自称する[[マグレガー・メイザース]]が中心となって作り上げた組織で、[[カバラ]]、[[錬金術]]、[[西洋占星術|占星術]]、[[タロット]]等から成る体系に基づいており、[[薔薇十字団]]をその神話と儀式のよりどころの一つとしている{{sfn|杉山|2019|pp=70-71}}。クロウリーは、先輩団員{{仮リンク|チャールズ・ヘンリー・アラン・ベネット|en|Charles Henry Allan Bennett|label=アラン・ベネット}}の指導下で学び、彼の影響で、同団の首領である[[マグレガー・メイザース]]に師事するようになった<ref name="Drury">Drury, Nevill (2011). ''Stealing Fire from Heaven: The Rise of Modern Western Magic''. Oxford University Press. p.83.</ref>。教団でのライバルの一人が、詩人でアイルランド演劇運動を率いた[[ウィリアム・バトラー・イェイツ]]である<ref name="Britannica"/>。1892年にメイザースがパリに移ると、彼とロンドンの団員の関係は悪化し、メイザースはロンドンの教団の支配権回復のためにクロウリーを送り込み、クロウリーは儀式的で魔術的な活動を行う﹁アデプト︵成就者︶の部屋﹂の支配権を握ろうとし、教団本部に侵入を試みた{{sfn|杉山|2019|pp=161-163}}。イェイツは彼に対抗するために教団運営に関わるようになり、侵入を警戒して建物に立てこもり、チャールズ・ラッセルに弁護を依頼し、クロウリーを告訴し勝訴{{sfn|杉山|2019|pp=161-163}}。メイザースはロンドンの教団から追放され、クロウリーは1900年に短期間で教団を追放された{{sfn|杉山|2019|pp=161-163}}{{sfn|Gillbert|2009|pp=448-449}}。
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追放後、メキシコ、サンフランシスコ、ハワイ、横浜、上海、スリランカと旅し、ここでベネットと再会し、[[ヨーガ]]を学んだ<ref name="回">{{Cite web|url=https://www.bookclubkai.jp/portfolio/people46/|author=|title=アレイスター・クロウリー|work=ブッククラブ回|date=|access-date=2024.04.04}}</ref>。 |
追放後、メキシコ、サンフランシスコ、ハワイ、横浜、上海、スリランカと旅し、ここでベネットと再会し、[[ヨーガ]]を学んだ<ref name="回">{{Cite web|url=https://www.bookclubkai.jp/portfolio/people46/|author=|title=アレイスター・クロウリー|work=ブッククラブ回|date=|access-date=2024.04.04}}</ref>。 |
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*{{Cite book|和書 |others=クリストファー・パートリッジ 編、井上順孝 監訳、井上順孝・井上まどか・冨澤かな・宮坂清 訳 |title=現代世界宗教事典—現代の新宗教、セクト、代替スピリチュアリティ|ref={{SfnRef|Gillbert|2009}} |author=Robert A. Gillbert執筆|chapter=黄金の夜明け団|publisher=悠書館|date=2009}} |
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*{{Cite book|和書 |others=クリストファー・パートリッジ 編、井上順孝 監訳、井上順孝・井上まどか・冨澤かな・宮坂清 訳 |title=現代世界宗教事典—現代の新宗教、セクト、代替スピリチュアリティ|ref={{SfnRef|O'Callaghan|2009}} |author=Sean O'Callaghan 執筆|chapter=東方テンプル騎士団|publisher=悠書館|date=2009}} |
*{{Cite book|和書 |others=クリストファー・パートリッジ 編、井上順孝 監訳、井上順孝・井上まどか・冨澤かな・宮坂清 訳 |title=現代世界宗教事典—現代の新宗教、セクト、代替スピリチュアリティ|ref={{SfnRef|O'Callaghan|2009}} |author=Sean O'Callaghan 執筆|chapter=東方テンプル騎士団|publisher=悠書館|date=2009}} |
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* {{cite book|和書|author=杉山寿美子 |date=2019|title=祖国と詩 W・B・イェイツ|publisher=国書刊行会|ref = {{SfnRef|杉山|2019}}}} |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
2024年5月14日 (火) 13:44時点における版
アレイスター・クロウリー Aleister Crowley | |
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O.T.Oグランドマスター在任時(1919年) | |
誕生 |
Edward Alexander Crowley 1875年10月12日 イギリス、ウォリックシャー州レミントン・スパー |
死没 |
1947年12月1日(72歳没) イギリス、イーストサセックス州ヘイスティングス |
職業 | オカルティスト、詩人、著述家、登山家 |
国籍 | イギリス |
最終学歴 | ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ中退 |
代表作 |
『法の書』 トート・タロット |
配偶者 | ローズ・イーディス・ケリー、マリア・テレサ・ド・ミラマール |
影響を受けたもの
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経歴
1875 - 1904年︵少年 - 青年期︶
クロウリーは1875年10月12日に、イギリスのウォリックシャー州のロイヤル・レミントン・スパで、エドワード・アレクサンダー・クロウリーとして生まれた[5][2]。クロウリーの父は、ビール醸造業で財を成した裕福な家庭の後継ぎだったが、非国教徒のプロテスタントの宗派プリマス・ブレザレンのイクスクルーシブ・ブレザレンの伝道師になった[2]。両親は敬虔なキリスト教原理主義者だったが、彼は子供の頃から教え込まれたあらゆる考え方に全面的に反抗した[9][5]。8歳で両親の宗派の寄宿学校に入れられたが[5]、ここの学校を含め、通った学校ではいじめられ、身体的・精神的虐待を受けた[9]。喜びのない、抑圧された、歪な暮らしを通して、クロウリーは抑圧こそが悪の原因であり、悪魔は存在し得ないと考えるようになり、悪魔が敵であるという考えを疑った[9]。 10代になる頃には、厳格なキリスト教徒としての教育に反抗し、キリスト教に嫌悪感を抱くようになった[5][2]。11歳の時に父親と死別。聖書の矛盾について家庭教師と議論し、オカルトに傾倒し、抑圧こそが悪の原因だと考え、喫煙、自慰行為の露出、動物虐待、学校給食への異物混入、売春婦とのセックスなどを行うようになった[5][2][9]。子どものころから残酷な面があり、母親から猫は9つの命を持つという俗説を聞いた彼は、その真偽を科学的に確かめるためと称し、猫にヒ素を飲ませ、ガスで窒息させ、ナイフで刺し、頭蓋骨を砕き、喉を切り裂き、バーナーで焼き、溺れさせ、最後には高い窓から落とすという動物虐待を行い殺害している[9][10][4]。 19歳になるまでに﹁アレイスター﹂を名乗るようになり、チェスと登山にも興味を持ち、チェスの腕前で評判になった[2]。1894年にスコットランド登山クラブに入会して積極的に活動し、1890年代を通じて湖水地方の登山家として活躍した[5]。 1895年にケンブリッジ大学に入学したが、講義にはほとんど出席せず、登山と詩作に熱中し、学位を取ることなく退学した[2][10]。父が残した数百万ドルもの莫大な遺産を相続したことで、世界を旅し、著作を出版する金銭的余裕を手に入れ、1898年に最初の詩集を出版し、その後も数多くの豪華な詩集を出版し、詩人として世に出ようと決心した[2][5][7]。奇抜な服装で街を歩き、また一種の知的ゲームとして同性愛に興味を抱いた[7]。登山家として成功し、スコットランド、アルプス、アメリカ、メキシコで登山をした[10]。 1898年に、L・A・レグロスのイラストを添えた世界最古のボルダリングガイドのひとつを執筆した[5]。 20代半ばまでに、19世紀の他の多くの宗教懐疑主義者と同様に、キリスト教に対する不満はオカルトへの積極的な関心に変わり、1898年に、秘教主義教団の黄金の夜明け団ヘルメス教団に参入し、儀式魔術の訓練を受けた[5]。ケルトを自称するマグレガー・メイザースが中心となって作り上げた組織で、カバラ、錬金術、占星術、タロット等から成る体系に基づいており、薔薇十字団をその神話と儀式のよりどころの一つとしている[11]。クロウリーは、先輩団員アラン・ベネットの指導下で学び、彼の影響で、同団の首領であるマグレガー・メイザースに師事するようになった[12]。教団でのライバルの一人が、詩人でアイルランド演劇運動を率いたウィリアム・バトラー・イェイツである[2]。1892年にメイザースがパリに移ると、彼とロンドンの団員の関係は悪化し、メイザースはロンドンの教団の支配権回復のためにクロウリーを送り込み、クロウリーは儀式的で魔術的な活動を行う﹁アデプト︵成就者︶の部屋﹂の支配権を握ろうとし、教団本部に侵入を試みた[13]。イェイツは彼に対抗するために教団運営に関わるようになり、侵入を警戒して建物に立てこもり、チャールズ・ラッセルに弁護を依頼し、クロウリーを告訴し勝訴[13]。メイザースはロンドンの教団から追放され、クロウリーは1900年に短期間で教団を追放された[13][14]。 追放後、メキシコ、サンフランシスコ、ハワイ、横浜、上海、スリランカと旅し、ここでベネットと再会し、ヨーガを学んだ[7]。 ネス湖の畔に邸宅ボレスキン・ハウスを購入すると、半ば隠棲した。ここで彼は悪魔崇拝の儀式を行い、薬物摂取、乱交、性魔術に没頭したといわれる[10]。1904 - 1923年︵壮年期︶
1904年5月にハネムーンを終えたクロウリーは、セレマの価値を巡る論争からマグレガー・メイザースと対立して決別し、自身の独立を模索するようになった。同年夏の長女リリスが誕生。 1905年、ヤルン氷河越えの南西壁を経由するルートで、ヒマラヤ山脈の8,000メートル峰であるカンチェンジュンガ登頂に挑戦したが、失敗した[5]。登山家としての後期の、登山中の彼のリーダーシップはチーム内に議論を引き起こし、登山をサポートする現地人のポーターに対しては冷酷だった[10]。カンチェンジュンガ登頂でのリーダーとしての振る舞いは傲慢で、仲間の反感を買い対立し、ポーターたちを何度も殴り、一行は途中で雪崩に巻き込まれた[5]。その後、彼をリーダーから解任しようとして失敗した仲間たちは︵クロウリーは夜間の下山を勧めなかったが︶夜間に下山し、雪崩に巻き込まれ、登山者1名とポーター3名が死亡した[5]。生存者の叫び声に他のメンバーは助けようと飛び出したが、クロウリーは無視してテントに留まり、翌日、遺体収容を手伝うことなく下山し、生存者と話すこともなく現場を通り過ぎ、ダージリンで遠征隊の残金を持ち逃げし、後日新聞社に﹁この種の事故は、私がまったく同情できないことの一つだ﹂と、事故にあった仲間たちに軽蔑を示す手紙を送った[5]。これがクロウリーが本格的に取り組んだ最後の登山であり、こうした行動により、登山界での彼の評判は一気に低下した[5]。 また、ビルマの黄金の三角地帯で阿片の研究も行なった。 妻ローズとリリスは一時インドにおり、そこでリリスはチフス熱に感染し、帰国後に病死した。娘を失ったクロウリーの悲嘆の矛先はローズに向けられ、二人の仲も急速に冷え込んだ。同時にここからクロウリーの倒錯傾向が目立ち始めている。1923 - 1947年︵中高年 - 老年期︶
イタリアを追われた後、チュニジアに向かいヘロイン依存からの回復を試みたが、上手くいかなかった。1923年に死去したO.T.O.の指導者ロイスはクロウリーを後継者に指名し、翌年から団体を受け継ぎ、全派のトップとなる[7]。母国イギリスでは一大バッシングキャンペーンが行われ、ほとぼりが冷めるまでフランスに滞在する事にし、フランス国内各地を転々としつつ、主にO.T.O.の同志に招かれての活動を続けた。1928年に後の魔術研究家イスラエル・リガルディーを秘書として迎え入れている。批評
没後の世評・影響
ヘイスティングの人々は今でも、クロウリーに関連する場所には、彼の邪悪さ、悪のオーラが潜んでおり、彼がこの町を憎み、呪ったと信じ、ヘイスティングのビーチで取れた小石をポケットに入れておくと呪いから逃れられると考えている[9]。 クロウリーは、意識状態の変化を起こさせるためにタントラも取り入れて性的呪法を作り、これによりペイガニズムの重要な先駆者とみなされた[15]。 セレマは、アメリカの作家L・ロン・ハバードが新興宗教のサイエントロジーを構築する際のインスピレーションになったことが明らかになっている[10]。 死去した時のクロウリーは無名だったが、死後に大衆文化の中で注目を集め、カルト的な人気を博す人物となった[2]。その破天荒さは、1960年代から70年代にかけてのポップ・カウンターカルチャーで人気を集め、ビートルズの﹃サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド﹄︵1967年︶のアルバムジャケットには彼の顔が描かれている[10]。 デヴィッド・ボウイの快楽主義に大きな影響を与え、レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジは、1970年にボレスキン・ハウスを購入している[10]。アングラ映画監督のケネス・アンガーは若い頃からクロウリーに傾倒し、短編映画﹃ルシファー・ライジング﹄は彼に捧げられた[16]。 オジー・オズボーンのアルバム﹃ブリザード・オブ・オズ﹄に収録されている﹁ミスター・クロウリー -死の番人-﹂は、クロウリーをモチーフとしている[要出典]。著書
日本語訳されたもののみ記載。 ●﹃法の書﹄ Sor. Raven訳︵O.T.O. Japan公式日本語訳、詳細は法の書の項を参照︶ ●﹃法の書﹄ 島弘之・植松靖夫訳、国書刊行会、1983年、ISBN 978-4-336-02438-1 ●﹃法の書 増補新訳﹄ 植松靖夫訳、国書刊行会、2022年、ISBN 978-4-336-07319-8。普及版・愛蔵版が刊 ●﹃世界魔法大全 英国篇2魔術 - 理論と実践︵上︶﹄ 島弘之他訳、国書刊行会、1983年、ISBN 978-4-336-02590-6 ●﹃世界魔法大全 英国篇2魔術 - 理論と実践︵下︶﹄ 島弘之他訳、国書刊行会、1983年、ISBN 978-4-336-02594-4 ●︵合本新装版︶﹃魔術 - 理論と実践﹄ 島弘之・植松靖夫・江口之隆訳、国書刊行会、1997年、ISBN 978-4-336-04043-5 ●﹃アレイスター・クロウリー著作集1神秘主義と魔術﹄ 島弘之訳、国書刊行会、1986年、ISBN 978-4-336-02615-6 ●﹃アレイスター・クロウリー著作集2トートの書﹄ 榊原宗秀訳、1991年、ISBN 978-4-336-03095-5 ●︵新装版︶﹃トートの書﹄ 榊原宗秀訳、2004年、ISBN 978-4-336-04647-5 ●﹃アレイスター・クロウリー著作集3麻薬常用者の日記﹄ 植松靖夫訳、国書刊行会、1987年、ISBN 978-4-336-02616-3 ●︵改訳新装版︶﹃麻薬常用者の日記﹄ 国書刊行会︵全3巻︶、2017年 ●﹃アレイスター・クロウリー著作集4霊視と幻聴﹄ 飯野友幸訳、国書刊行会、1988年、ISBN 978-4-336-02617-0 ●﹃アレイスター・クロウリー著作集5 777の書﹄ 江口之隆訳、国書刊行会、1992年、ISBN 978-4-336-03096-2 ●︵新装版︶﹃777の書﹄ 江口之隆訳、国書刊行会、2013年、ISBN 978-4-336-05781-5 ●﹃ムーンチャイルド﹄ 江口之隆訳、東京創元社︿創元推理文庫﹀、1990年、ISBN 978-4-488-55201-5 ●﹃黒魔術の娘﹄ 江口之隆訳、東京創元社︿創元推理文庫﹀、1991年、ISBN 978-4-488-55202-2 ●﹃アレイスター・クロウリーの魔術日記﹄ スティーヴン・スキナー編、江口之隆訳、﹁著作集 別巻2﹂国書刊行会、1998年、ISBN 978-4-336-03097-9伝記研究
●フランシス・キング﹃アレイスター・クロウリーの魔術世界﹄ 山岸映自訳、﹁著作集 別巻1﹂国書刊行会、1987年 ●ケネス・グラント﹃アレイスター・クロウリーと甦る秘神﹄ 植松靖夫訳、﹁著作集 別巻3﹂国書刊行会、1987年登場作品
小説 ●トマス・ウィーラー﹃神秘結社アルカーヌム﹄ ●ランダル・コリンズ﹃シャーロック・ホームズ対オカルト怪人﹄ ●サマセット・モーム﹃魔術師﹄ - 魔術師オリヴァー・ハドゥーはクロウリーがモデル。 ●コリン・ウィルソン﹃ジェラード・ソーム氏の性の日記﹄- 自称魔術師カラドック・カニンガムはクロウリーがモデル。 ●鎌池和馬﹃とある魔術の禁書目録﹄ - 学園都市統括理事長。元世界最高最強の魔術師にして現世界最高の科学者。アレイスター本人が現代まで生き延びたという設定であり、作品の根幹を担うキーキャラクターである。アニメ版の担当声優は関俊彦。 漫画 ●氷室奈美﹃タロットウォーズ﹄ - 死後のクロウリーが幽体︵アストラル体︶で登場。 ●CLAMP﹃カードキャプターさくら﹄ - 精霊を封印するクロウカードの制作者クロウ・リードの名前のモデル。 ●外薗昌也﹃犬神﹄ - 作中に登場する﹁23細胞﹂命名の由来となる﹁生命の樹宇宙論﹂の提唱者。 ゲーム ●﹃遊☆戯☆王オフィシャルカードゲーム﹄ - アレイスターをモデルにしたモンスター︽召喚師アレイスター︾や︽魔導原典クロウリー︾が存在する。 ●﹃真・女神転生II﹄ - 魔界ネツァクのボスとして登場。 音楽- 「Mr. Crowley」 - オジー・オズボーンの楽曲。アルバム『ブリザード・オブ・オズ〜血塗られた英雄伝説』に収録。
脚注
参考文献
●岡田明憲﹁神秘思想とヨーロッパ﹂﹃別冊環﹄第5巻、藤原書店、2002年、140-147頁。 ●Elizabeth Puttick 執筆﹁タントラ的霊性﹂﹃現代世界宗教事典—現代の新宗教、セクト、代替スピリチュアリティ﹄クリストファー・パートリッジ 編、井上順孝 監訳、井上順孝・井上まどか・冨澤かな・宮坂清 訳、悠書館、2009年。 ●Robert A. Gillbert執筆﹁黄金の夜明け団﹂﹃現代世界宗教事典—現代の新宗教、セクト、代替スピリチュアリティ﹄クリストファー・パートリッジ 編、井上順孝 監訳、井上順孝・井上まどか・冨澤かな・宮坂清 訳、悠書館、2009年。 ●Sean O'Callaghan 執筆﹁東方テンプル騎士団﹂﹃現代世界宗教事典—現代の新宗教、セクト、代替スピリチュアリティ﹄クリストファー・パートリッジ 編、井上順孝 監訳、井上順孝・井上まどか・冨澤かな・宮坂清 訳、悠書館、2009年。 ●杉山寿美子﹃祖国と詩 W・B・イェイツ﹄国書刊行会、2019年。関連項目
外部リンク
- Aleister Crowleyの作品 (インターフェイスは英語)- プロジェクト・グーテンベルク
- Aleister Crowleyに関連する著作物 - インターネットアーカイブ
- アレイスター・クロウリーの著作 - LibriVox(パブリックドメインオーディオブック)
- アレイスター・クロウリー伝(anima mystica)
- The Skeptic's Dictionary 日本語版 アレイスター・クロウリーの項