エリザベス1世 (イングランド女王)
エリザベス1世 Elizabeth I | |
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イングランド女王 | |
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在位 | 1558年11月17日 - 1603年3月24日 |
戴冠式 | 1559年1月15日 |
別号 | アイルランド女王 |
出生 |
1533年9月7日 イングランド王国 グリニッジ プラセンティア宮殿 |
死去 |
1603年3月24日(69歳没) イングランド王国 ロンドン リッチモンド宮殿 |
埋葬 |
1603年4月28日 イングランド王国 ウェストミンスター寺院 |
家名 | テューダー家 |
王朝 | テューダー朝 |
父親 | ヘンリー8世 |
母親 | アン・ブーリン |
宗教 | イングランド国教会 |
サイン |
概要[編集]
ヘンリー8世の王女として誕生したが、2年半後に母アン・ブーリンが処刑されたため、庶子とされた。弟のエドワード6世はジェーン・グレイへの王位継承に際して姉たちの王位継承権を無効としている。続くカトリックのメアリー1世の治世ではエリザベスはプロテスタントの反乱を計画したと疑われて1年近く投獄されたものの、1558年にメアリー1世が崩御すると王位を継承した。 エリザベスはウィリアム・セシルをはじめとする有能な顧問団を得て統治を開始し、最初の仕事として、父の政策を踏襲し﹁国王至上法﹂を発令し、﹁礼拝統一法﹂によってイングランド国教会を国家の主柱として位置づけた。 エリザベスは結婚することを期待され、議会や廷臣たちに懇願されたが、結婚しなかった。この理由は多くの議論の的になっている。年を経るとともにエリザベスは処女であることで有名になり、当時の肖像画・演劇・文学によって称えられ崇拝された。 統治においてエリザベスは父や弟、姉よりも穏健であった[2]。彼女のモットーの一つは﹁私は見る、そして語らない﹂︵"video et taceo" ︶であった[3]。この方策は顧問団からは苛立ちをもって受けとめられたが、しばしば政略結婚から彼女を救っている。 1588年のスペイン無敵艦隊に対する勝利と彼女の名は永遠に結びつけられ、英国史における最も偉大な勝利者として知られることになった。エリザベスの没後20年ほどすると彼女は黄金時代の統治者として称えられるようになった[4]。 エリザベスの治世は、ウィリアム・シェイクスピアやクリストファー・マーロウといった劇作家によるイギリス・ルネサンス演劇や、フランシス・ドレークやジョン・ホーキンスなど優れた航海士の冒険者たちが活躍したエリザベス時代として知られる。 一部の歴史家たちはエリザベスを運に恵まれた短気な[注釈 3]、そしてしばしば優柔不断な統治者[6]と捉えている。治世の終わりには一連の経済的・軍事的問題によって彼女の人気は衰え、臣下たちは彼女の死に安堵している[7]。 エリザベスは政府が弱体で、王権が限定された時代、また近隣諸国の王家ではその王座を脅かす国内問題に直面していた時代におけるカリスマ的な実行者、そして粘り強いサバイバーとして知られる。弟と姉の短期間の治世を経た彼女の44年間の在位は、王国に好ましい安定をもたらし、国民意識を作り出すことになった[2]。生涯[編集]
出生から少女期[編集]
エドワード6世の治世とトマス・シーモア事件[編集]
メアリー1世の治世[編集]
即位[編集]
宗教問題の解決[編集]
結婚問題[編集]
ロバート・ダドリー[編集]
政治的側面[編集]
スコットランド女王メアリー[編集]
メアリーの退位と亡命[編集]
エリザベスの最初の対スコットランド政策は駐留フランス軍への対抗であった[124]。彼女はフランスがイングランドへ侵攻し、スコットランド女王メアリーをイングランド王位に据えようと企てることを恐れていた[注釈 23]。エリザベスはスコットランド・プロテスタントの反乱を援助するようウィリアム・セシルらから説得され、女王自身は消極的だったが、1559年末に出兵を認めた[126]。イングランド軍はリース城を落とせず苦戦したが、1560年に和議が成立し︵エディンバラ条約︶フランスの脅威を北方から除くことができた[注釈 24]。 メアリーは条約の批准を拒否している[128]。 1560年末にフランス王フランソワ2世が崩御し、メアリーは帰国することになった。翌1561年に彼女がスコットランドへ帰国した時、国内にはプロテスタントの教会が設立され、エリザベスに支援されたプロテスタント貴族によって国政が運営されていた[129]。 1563年、エリザベスは彼女自身の愛人ロバート・ダドリーを、本人の意思を確かめることなく、メアリーの夫に提案した。この縁談はメアリー、ダドリーともに熱心にはならず[130] 、1565年にメアリーは自身と同じくマーガレット・テューダーの孫でイングランド王位継承権を持つ従弟のダーンリー卿ヘンリー・ステュアートと結婚した。この結婚はメアリーの没落をもたらす一連の失策の端緒となった。 メアリーとダーンリー卿はすぐに不仲になる[131]。そして、ダーンリー卿がメアリーの愛人と疑ったイタリア人秘書ダヴィッド・リッツィオが惨殺されると、彼はその関与を疑われ、スコットランド国内において急速に不人気になった[132][133]。1566年6月19日、メアリーは王子ジェームズ︵後のスコットランド王ジェームズ6世/イングランド王ジェームズ1世︶を出産した。 1567年2月10日、ダーンリー卿が病気療養していた屋敷が爆破されて彼の絞殺死体が発見され、ボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーンが強く疑われた[134][135]。それからほどない5月15日に、メアリーはボスウェル伯と結婚し、彼女自身が夫殺しに関わっていたとの疑惑を呼び起こした[136]。 これらの出来事はメアリーの急速な失脚とロッホリーヴン城への幽閉という事態を招く。スコットランド貴族は彼女に退位とジェームズへの譲位を強いた。ジェームズはプロテスタントとして育てるためにスターリング城へ移された。1568年、メアリーはロッホリーヴンから逃亡したが、戦いに敗れ、国境を越えてイングランドへ亡命した。当初、エリザベスはメアリーを復位させようと考えたが、結局、彼女と枢密院は安全策を選ぶことにした。イングランド軍とともにメアリーをスコットランドへ帰国させる、もしくはフランスやイングランド内のカトリック敵対勢力の手に渡す危険を冒すより、彼らは彼女をイングランドに抑留することにし、メアリーはこの地で19年間幽閉されることになる[137]。メアリーと陰謀事件[編集]
戦争と外交[編集]
ネーデルラント派兵[編集]
アルマダの海戦[編集]
フランス王アンリ4世への支援[編集]
1589年にプロテスタントのアンリ4世がフランス王位を継承すると、エリザベスは彼に援軍を送った。これは1563年に失敗に終わったル・アーブル占領以来のフランスへの軍事的冒険だった。アンリ4世の継承はカトリック同盟とフェリペ2世から強く異議を唱えられており、エリザベスは海峡諸港をスペインに奪われることを恐れていた。しかしながら、この後のフランスにおけるイングランド軍の軍事行動は秩序を欠き、効果のないものだった[171]。 兵4,000を率いるウィラビー卿は、エリザベスの命令を無視して行動し、ほとんど戦果もなく北フランスを徘徊しただけだった。彼は半数の兵を失い、1589年12月に無秩序に撤退した。1591年に兵3,000を率いてブルターニュで戦った ジョン・ノリスはより悲惨な結果に終わっている。これらの遠征において、エリザベスは司令官たちの補給や増援の要請を出し渋っていた。ノリスは自らロンドンへ赴き支援を嘆願している。彼の不在中の同年5月にカトリック同盟はクランの戦いで英軍の残余を撃滅した。 7月、エリザベスはアンリ4世のルーアン包囲を援助すべくエセックス伯率いる軍隊を派遣した。結果は惨憺たるものだった。エセックス伯は何らなすことなく1592年1月に帰国し、アンリ4世は4月に解囲を余儀なくされた[172]。この時もエリザベスは海外へ赴いた司令官を統制することができなかった。﹁彼は何処にいて、何をしているのか、何をするのか﹂﹁私たちは全く知らない﹂と彼女はエセックス伯に書き送っている[173]。アイルランド[編集]
晩年[編集]
崩御[編集]
評価[編集]
エリザベスは哀悼されたが、多くの人々は彼女の死に安堵した[7]。後を継いだジェームズ1世に対する期待は高く、当初、人々は1604年のスペインとの戦争の終結と減税によって報われている。1612年のロバート・セシルの死まで、政府は従来の政策を踏襲していた[210]。だが、ジェームズ1世が国政を寵臣に委ねるようになると人気は衰え、そして1620年代に郷愁的なエリザベス崇拝が復活する[211]。エリザベスはプロテスタント主義と黄金時代のヒロインとして賞賛された[212]。エリザベスの治世の晩年に培った勝利者のイメージ︵背景にあった派閥闘争や軍事的、経済的な苦境に反してだが[213]︶が額面通りに受け取られ、彼女の評判が膨れ上がった。グロスター主教ゴッドフリー・グッドマンは﹁スコットランド人の政府を経験すると、女王は復活するように思われた。その時は彼女の記憶がとても拡大していた。﹂と語っている[214]。エリザベスの治世は国王、教会そして議会がバランスよく機能していた時代だったかのように理想化された[215]。年譜[編集]
※西暦 | 年
齢 |
エリザベス1世 / イングランド関連事項 | 参考事項 |
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1533年 | 0 | (9月7日)グリニッジ宮殿で出生。 | |
1535年 | 2 | (7月6日)トマス・モア処刑。 | |
1536年 | 3 | (5月19日)母アン・ブーリンが処刑される。
(5月30日)父・ヘンリー8世がジェーン・シーモアと結婚。 (7月)第一継承法により庶子となり、王位継承権を剥奪される。 |
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1537年 | 4 | (10月12日)弟エドワード出生。数日後に王妃ジェーン・シーモアが死去。 | |
1540年 | 7 | (1月6日)ヘンリー8世がアン・オブ・クレーヴズと結婚。
(7月9日)ヘンリー8世が王妃アン・オブ・クレーヴズを離婚。 (7月28日)ヘンリー8世がキャサリン・ハワードと結婚。 |
(9月27日)ローマ教皇パウルス3世がイエズス会を認可。 |
1541年 | 8 | ジャン・カルヴァンが教会規則を制定。ジュネーヴでの宗教改革に着手。 | |
1542年 | 9 | (2月13日)王妃キャサリン・ハワードが姦通罪で処刑される。 | (12月8日)メアリー・ステュアート出生。生後6日でスコットランド王位を継承。 |
1543年 | 10 | (7月12日)ヘンリー8世がキャサリン・パーと結婚。
(7月)第三継承法により、王位継承権が復活。 |
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1544年 | 11 | (12月20日)王妃キャサリン・パーへ『罪深い魂の鏡』の英訳書を贈呈。 | |
1545年 | 12 | (3月15日)トリエント公会議召集。 | |
1547年 | 14 | (1月28日)ヘンリー8世死去。異母弟エドワード6世即位。
(5月ごろ)王太后キャサリン・パーが海軍卿トマス・シーモアと再婚。 (5月以降)トマス・シーモア夫妻に引き取られる。 |
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1548年 | 15 | (9月5日)キャサリン・パー死去。 | |
1549年 | 16 | (1 - 3月)トマス・シーモア事件。関与を疑われる。 | |
1553年 | 20 | (7月6日)エドワード6世死去。 | |
1554年 | 21 | (1 - 2月)ワイアットの乱。 | |
1555年 | 22 | メアリー1世のプロテスタント迫害が始まる。
(5月)軟禁を解かれ、ハットフィールドハウスへ移る。 |
(9月25日)ドイツでアウクスブルクの和議。 |
1556年 | 23 | (1月16日)フェリペ2世、スペイン王に即位。 | |
1558年 | 25 | (1月)大陸領土カレーがフランス軍に奪回される。
(11月17日)メアリー1世死去。王位を継承する。 |
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1559年 | 26 | (1月15日)ウェストミンスター寺院で戴冠式を挙行。 | (4月3日)カトー・カンブレジ条約、イタリア戦争終結。 |
1560年 | 27 | (7月5日)スコットランド、フランスとの和議を締結(エディンバラ条約)。
(9月8日)ロバート・ダドリーの夫人エイミー・ロブサート変死。 |
(8月)フランス王フランソワ2世死去。シャルル9世即位。 |
1561年 | 28 | (3月)フランスでユグノー戦争勃発。
(8月20日)スコットランド女王メアリー帰国。 | |
1562年 | 29 | (10月)ユグノーとハンプトン・コート条約を結んでフランスへ派兵し、ル・アーヴルを占領。 | |
1563年 | 30 | 39箇条信仰告白を制定。
(7月28日)ル・アーヴルのイングランド軍降伏。 |
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1565年 | 32 | (7月29日)スコットランド女王メアリー、ダーンリー卿と再婚。 | |
1566年 | 33 | (6月19日)スコットランド女王メアリーが王子ジェームズを出産。 | |
1567年 | 34 | (2月10日)ダーンリー卿が暗殺される。
(5月15日)スコットランド女王メアリーがボスウェル伯と再婚。 (6月)スコットランドで反乱が発生し、スコットランド女王メアリー退位。ジェームズ6世即位。 | |
1568年 | 35 | (5月)イングランドに亡命したメアリー・ステュアートを幽閉。 | オランダ独立戦争(八十年戦争)勃発。 |
1569年 | 36 | (11月 - 1月)北部諸侯の乱。 | |
1570年 | 37 | (2月25日)教皇ピウス5世により破門される (レグナンス・イン・エクスケルシス)。 | |
1571年 | 38 | (2月25日)リドルフィ陰謀事件。 | (10月7日)レパントの海戦 |
1572年 | 39 | (6月2日)ノーフォーク公を処刑。 | (8月24日)サン・バルテルミの虐殺。 |
1574年 | 41 | (5月30日)フランス王シャルル9世死去。アンリ3世即位。 | |
1579年 | 46 | (8月)来英したフランス王の弟アンジュー公フランソワから求婚を受ける。 | |
1580年 | 47 | (11月)スペイン王フェリペ2世がポルトガル王に即位。スペイン=ポルトガル同君連合成立。 | |
1581年 | 48 | (7月26日)ネーデルラント北部諸州が独立宣言。 | |
1583年 | 50 | (11月)スロックモートン陰謀事件。 | |
1585年 | 52 | (8月20日)オランダ人反乱軍とノンサッチ条約を締結し、オランダ独立戦争に介入。英西戦争開戦。 | |
1586年 | 53 | (8月)バビントン陰謀事件。メアリー・ステュアートの関与を示す証拠を摘発。 | |
1587年 | 54 | (2月8日)メアリー・ステュアート処刑。 | |
1588年 | 55 | (7月 - 8月)アルマダの海戦でスペイン無敵艦隊を撃退。
(9月4日)レスター伯ロバート・ダドリー死去。 |
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1589年 | 56 | アイルランドでティロン伯が反乱を起こす。(アイルランド九年戦争)
(4月 - 6月)イングランド艦隊がポルトガルを攻撃するが失敗に終わる。(イングランドの無敵艦隊) (9月)アンリ4世支援のためにフランスへ派兵。 |
(8月2日)フランス王アンリ3世が暗殺される(ヴァロワ朝断絶)。アンリ4世即位(ブルボン朝)。 |
1593年 | 60 | (7月25日)フランス王アンリ4世がカトリックに改宗。 | |
1596年 | 63 | (6月)イングランド艦隊がカディス港を襲撃。 | |
1598年 | 65 | (8月4日)バーリー卿ウィリアム・セシル死去。 | (4月13日)フランス王アンリ4世がナント勅令を発する。(ユグノー戦争終結)
(9月13日)スペイン王フェリペ2世死去。 |
1600年 | 67 | (9月)アイルランド総督エセックス伯が反乱鎮圧に失敗して無断帰国。
(12月31日)イギリス東インド会社設立。 |
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1601年 | 68 | エリザベス救貧法を制定。
(2月)エセックス伯がロンドンで反乱を起こすが、失敗して処刑される。 (11月30日)議会で黄金演説を行う。 |
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1603年 | 69 | (3月24日)リッチモンド宮殿で死去。スコットランド王ジェームズ6世が王位を継承。(イングランド王ジェームズ1世) |
称号[編集]
- 1533年9月7日-1536年7月: 王女エリザベス (The Princess Elizabeth)
- 1536年7月-1558年11月17日: レディ・エリザベス (The Lady Elizabeth)
- 1558年11月17日-1603年3月24日:女王陛下 (Her Majesty The Queen)
系図[編集]
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| エドマンド・テューダー リッチモンド伯 |
| マーガレット・ボーフォート |
| トマス・スタンリー ダービー伯 |
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ジェームズ4世 スコットランド王 |
| マーガレット・テューダー |
| アーチボルド・ダグラス アンガス伯 |
| アーサー・テューダー ウェールズ公 |
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| フアナ カスティーリャ女王 |
| マリア・デ・アラゴン ポルトガル王妃 |
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| キャサリン・オブ・アラゴン |
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| メアリー・ブーリン |
| アン・ブーリン |
| ヘンリー8世 |
| ジェーン・シーモア |
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| キャサリン・パー |
| トマス・シーモア |
| エドワード・シーモア サマセット公 |
| チャールズ・ブランドン サフォーク公 |
| メアリー・テューダー |
| ルイ12世 フランス王 |
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ジェームズ5世 スコットランド王 |
| マシュー・ステュアート レノックス伯 |
| マーガレット・ダグラス |
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| カール5世 スペイン王・神聖ローマ皇帝 |
| イサベル・デ・ポルトゥガル |
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| キャサリン・キャリー |
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| メアリー1世 |
| エリザベス1世 |
| エドワード6世 |
| ジョン・ダドリー ノーサンバランド公 |
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| ヘンリー・グレイ サフォーク公 |
| フランセス・ブランドン |
| エレノア・ブランドン |
| ヘンリー・クリフォード カンバーランド伯 |
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メアリー1世 スコットランド女王 |
| ヘンリー・ステュアート ダーンリー卿 |
| チャールズ・ステュアート レノックス伯 |
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| マリア 神聖ローマ皇后 |
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| フェリペ2世 スペイン王・ポルトガル王 |
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| ウォルター・デヴァルー エセックス伯 |
| レティス・ノウルズ |
| ロバート・ダドリー レスター伯 |
| ギルフォード・ダドリー |
| ジェーン・グレイ |
| エドワード・シーモア ハートフォード伯 |
| キャサリン・グレイ |
| メアリー・グレイ |
| マーガレット・クリフォード |
| ヘンリー・スタンリー ダービー伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| ジェームズ6世/1世 スコットランド王・イングランド王 |
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| アラベラ・ステュアート |
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| アナ |
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| フェリペ3世 スペイン王・ポルトガル王 |
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| ロバート・デヴァルー エセックス伯 |
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| エドワード・シーモア |
| トマス・シーモア |
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| ファーディナンド・スタンリー ダービー伯 |
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| フランセス・デヴァルー |
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| ウィリアム・シーモア サマセット公 |
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エリザベス1世を扱った作品[編集]
映画[編集]
●エリザベス女王︵Les Amours de la reine Élisabeth, 1912年/フランス/監督: ルイ・メルカントン/主演: サラ・ベルナール︶ ●メアリー・オブ・スコットランド︵Mary of Scotland, 1936年/アメリカ/監督‥ジョン・フォード/主演‥キャサリン・ヘプバーン︶ - フローレンス・エルドリッジがエリザベスを演じた。 ●無敵艦隊︵Fire Over England, 1937年/イギリス/監督‥ウィリアム・K・ハワード/主演‥ローレンス・オリヴィエ、ヴィヴィアン・リー︶ - フローラ・ロブソンがエリザベスを演じた。 ●女王エリザベス︵The Private Lives of Elizabeth and Essex, 1939年/アメリカ/監督‥マイケル・カーティス/主演‥ベティ・デイヴィス、エロール・フリン︶ - エリザベスとエセックス伯の関係を描く。 ●悲恋の王女エリザベス︵Young Bess, 1953年/アメリカ/監督‥ジョージ・シドニー/主演‥ジーン・シモンズ、スチュワート・グレンジャー︶エリザベスとトマス・シーモアの関係を描く。 ●ヴァージン・クイーン︵The Virgin Queen, 1955年/アメリカ/監督‥ヘンリー・コスター/主演‥ベティ・デイヴィス、リチャード・トッド︶ - エリザベスとウォルター・ローリーの関係を描く。 ●クイン・メリー/愛と悲しみの生涯︵Mary, Queen of Scots, 1971年/イギリス‥チャールズ・ジャロット/主演‥ヴァネッサ・レッドグレイヴ︶ - グレンダ・ジャクソンがエリザベスを演じた。 ●エリザベス︵1998年/イギリス/監督‥シェカール・カプール/主演‥ケイト・ブランシェット︶ ●恋におちたシェイクスピア︵1998年/アメリカ/監督‥ジョン・マッデン/主演‥ジョセフ・ファインズ、グウィネス・パルトロー︶ - ジュディ・デンチがエリザベスを演じた。 ●エリザベス:ゴールデン・エイジ︵2007年/イギリス・フランス/監督‥シェーカル・カプール/主演‥ケイト・ブランシェット︶ - 1998年の﹃エリザベス﹄の続編。 ●ふたりの女王 メアリーとエリザベス︵2018年/アメリカ・イギリス/監督‥ジョージー・ルーク/主演・メアリー役‥シアーシャ・ローナン、エリザベス役‥マーゴット・ロビー︶テレビドラマ[編集]
●エリザベスR︵Elizabeth R, 1971年/イギリス/ミニシリーズ/主演‥グレンダ・ジャクソン︶ ●エリザベス1世 〜愛と陰謀の王宮〜︵2005年/イギリス・アメリカ/ミニシリーズ/主演‥ヘレン・ミレン︶戯曲[編集]
●フリードリヒ・シラー﹃メアリー・ステュアート﹄ (Maria Stuart)オペラ[編集]
●ジョアキーノ・ロッシーニ﹃イングランドの女王エリザベッタ﹄ - 序曲が﹃セビリアの理髪師﹄にも転用されたことで知られる。 ●ガエターノ・ドニゼッティ﹃マリア・ストゥアルダ﹄ (Maria Stuarda) - シラーの戯曲を原作とするオペラ。 ●ガエターノ・ドニゼッティ﹃ロベルト・デヴリュー﹄ (Roberto Devereux) ●ベンジャミン・ブリテン﹃グローリアーナ﹄ (Gloriana) - リットン・ストレイチーの﹁エリザベスとエセックス﹂を原作とするオペラ。ミュージカル[編集]
●レディ・ベス ︵2014年/2017年︶/日本小説[編集]
●榛名しおり﹃王女リーズ―テューダー朝の青い瞳﹄講談社︿講談社X文庫ホワイトハート﹀、1996年。ISBN 4062552736。漫画[編集]
●こざき亜衣﹃セシルの女王﹄ ●びっけ﹃王国の子﹄コンピューターゲーム[編集]
●﹃シヴィライゼーション﹄シリーズ - 第1作からイギリス文明の指導者として登場。ギリシャのアレキサンダー大王、モンゴルのチンギス・ハーン、ズールー王国のシャカ、インドのマハトマ・ガンジーとともに、︵ナンバリングタイトルでは︶第5作﹃Civilization 5﹄まで皆勤の指導者である[237]。脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
参考文献[編集]
関連書籍[編集]
●リットン・ストレイチー 著、福田逸 訳﹃エリザベスとエセックス 王冠と恋﹄中公文庫、1987年/新版1999年。 ●池田理代子、宮本えりか﹃女王エリザベス﹄中公文庫コミック。ISBN 4-12-203972-X。 ●石井美樹子︵監修︶ 編﹃エリザベス女王﹄︿学習まんが人物館﹀2004年。ISBN 4-09-270016-4。 ●イディス・シットウェル 著、和泉敬子 訳﹃エリザベス前奏曲 英国王室裏面史﹄文修堂、1965年。 ●リットン・ストレイチー 著、福田逸 訳﹃エリザベスとエセックス 王冠と恋﹄中央公論社、1983年。 ●植村雅彦﹃エリザベス1世 文芸復興期の女王﹄教育社歴史新書︿西洋史﹀、1981年。 ●フランシス・A・イエイツ 著、西沢竜生,正木晃 訳﹃星の処女神エリザベス女王 十六世紀における帝国の主題﹄東海大学出版会、1982年。 ●指昭博﹃イギリス宗教改革の光と影 メアリとエリザベスの時代﹄ミネルヴァ書房、2010年。 ●小林章夫﹃女王、エリザベスの治世 先進国の王政記﹄角川oneテーマ21、2012年。 ●Plaidy, Jean Queen of this realm ,New York:Three river press,︵初版は別の出版社で1985年、この版の出版年は不明︶ISBN 0-609-81020-0 ●Camden, William. History of the Most Renowned and Victorious Princess Elizabeth. Wallace T. MacCaffrey (ed). Chicago: University of Chicago Press, selected chapters, 1970 edition. OCLC 59210072. ●Clapham, John. Elizabeth of England. E. P. Read and Conyers Read (eds). Philadelphia: University of Pennsylvania Press, 1951. OCLC 1350639. ●Elizabeth I: The Collected Works Leah S. Marcus, Mary Beth Rose & Janel Mueller (eds.). Chicago: University of Chicago Press, 2002. ISBN 0-226-50465-4. ●Elizabeth: The Exhibition at the National Maritime Museum. Susan Doran (ed.). London: Chatto and Windus, 2003. ISBN 0-7011-7476-5. ●Ridley, Jasper. Elizabeth I: The Shrewdness of Virtue. New York : Fromm International, 1989. ISBN 0-88064-110-X.関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- William Camden. Annales Rerum Gestarum Angliae et Hiberniae Regnante Elizabetha. (1615 and 1625.) ハイパーテキスト版、英訳付き。Dana F. Sutton (ed.), 2000. Retrieved 7 December 2007.
- "エリザベス1世の関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
- Elizabeth I of Englandに関連する著作物 - インターネットアーカイブ
- エリザベス1世の作品 (インターフェイスは英語)- プロジェクト・グーテンベルク
- Annals of the Reformation and Establishment of Religion, and Other Various Occurrences in the Church of England, During Queen Elizabeth's Happy Reign by John Strype (1824 ed.): Vol. I, Pt. I, Vol. I, Pt. II, Vol. II, Pt. I, Vol. II., Pt. II, Vol. III, Pt. I, Vol. III, Pt. II, Vol. IV
- エリザベス1世の肖像画と貴重な絵画。大英博物館および 大英図書館より。
- 『エリザベス(1世)』 - コトバンク
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