「ジョン・ラセター」の版間の差分
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ディズニーに入社した彼は、『[[トロン (映画)|トロン]]』を見てCGアニメーションの可能性を感じ、手描きのキャラクターとCGの背景を合成した実験作『Wild Things』を制作、さらに[[トマス・M・ディッシュ]]の『いさましいちびのトースター』のCGアニメ映画化の企画を進めるが、逆にCGに仕事を奪われる事に危機感を抱いていた社内の反発によりCGプロジェクトは中止、ラセターも解雇された。 |
ディズニーに入社した彼は、『[[トロン (映画)|トロン]]』を見てCGアニメーションの可能性を感じ、手描きのキャラクターとCGの背景を合成した実験作『Wild Things』を制作、さらに[[トマス・M・ディッシュ]]の『いさましいちびのトースター』のCGアニメ映画化の企画を進めるが、逆にCGに仕事を奪われる事に危機感を抱いていた社内の反発によりCGプロジェクトは中止、ラセターも解雇された。 |
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[[1984年]]、ちょうどCGアニメ短編作品のためにCGに精通したアニメーターを探していたエド・キャット |
[[1984年]]、ちょうどCGアニメ短編作品のためにCGに精通したアニメーターを探していた[[エド・キャットムル]]と出会い、[[ルーカスフィルム]]の子会社である[[インダストリアル・ライト&マジック]](ILM)に入社、コンピュータ部門(コンピュータ部門には当時3つの部署があったが、そのうちの1つのピクサーの前身団体となる部署)で『[[w:The_Adventures_of_Andre_and_Wally_B|アンドレとウォーリーB.の冒険]]』にアニメーターとして参加している。 |
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『ヤング・シャーロック ピラミッドの謎』でのステンドグラスの騎士がある。 |
『ヤング・シャーロック ピラミッドの謎』でのステンドグラスの騎士がある。 |
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しかしILMのボスである[[ジョージ・ルーカス]]はフルCG作品に否定的で、CG部門は[[スティーブ・ジョブズ]]に売却され、[[1985年]]独立企業としてピクサーが創立される。ラセターはピクサーで引き続きCM用CGやCG短編作品制作に関わっている。[[1986年]]、ピクサーでの初作品でまたラセターの初監督作品である﹃[[w:Luxo_Jr.|ルクソーJr.]]﹄︵ピクサーのロゴになっている︶を、[[SIGGRAPH]]にて公開。[[1988年]]に公開した﹃[[w:Tin_Toy|ティン・トイ]]﹄で3DCG作品として初めて[[アカデミー短編アニメ賞]]を受賞している。これらの短編はCGのみならずストーリー・演出面でも高く評価されてラセターの名声は高まったが、やはり画像処理コンピュータPICなどのハードウェア販売部門を重視していたジョブスは何度も彼を解雇しようとし、さらにようやく彼の重要性に気付いたディズニーからも復帰を打診されていたが、その度にキャットマルらに慰留されるという状態が続いていた。
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しかしILMのボスである[[ジョージ・ルーカス]]はフルCG作品に否定的で、CG部門は[[スティーブ・ジョブズ]]に売却され、[[1985年]]独立企業としてピクサーが創立される。ラセターはピクサーで引き続きCM用CGやCG短編作品制作に関わっている。[[1986年]]、ピクサーでの初作品でまたラセターの初監督作品である﹃[[w:Luxo_Jr.|ルクソーJr.]]﹄︵ピクサーのロゴになっている︶を、[[SIGGRAPH]]にて公開。[[1988年]]に公開した﹃[[w:Tin_Toy|ティン・トイ]]﹄で3DCG作品として初めて[[アカデミー短編アニメ賞]]を受賞している。これらの短編はCGのみならずストーリー・演出面でも高く評価されてラセターの名声は高まったが、やはり画像処理コンピュータPICなどのハードウェア販売部門を重視していたジョブスは何度も彼を解雇しようとし、さらにようやく彼の重要性に気付いたディズニーからも復帰を打診されていたが、その度にキャットマルらに慰留されるという状態が続いていた。
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[[1991年]]、結局ピクサーは収益を上げられなかったハードウェア販売を売却してCG作品の製作を主軸に置く事となり |
[[1991年]]、結局ピクサーは収益を上げられなかったハードウェア販売を売却してCG作品の製作を主軸に置く事となり、ディズニーとの契約による長編CG作品の作成が決定する。ラセターは今までの実績とディズニー側の希望により監督に任命される。この作品は[[1995年]]に『[[トイ・ストーリー]]』として公開され、大ヒット作品となる。また長編フルCGの作品を生み出した製作チーム統括の業績に対し、ラセターは[[アカデミー特別業績賞]]を受賞した。その後もピクサー作品の多くで監督・製作総指揮を勤めている。 |
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[[2006年]][[5月5日]][[ウォルト・ディズニー・カンパニー]]によるピクサー買収により、ラセターはピクサー・アニメーション・スタジオとウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオのチーフ・クリエイティブ・オフィサーに就任した。またウォルト・ディズニー・イマジニアリングのプリンシパル・クリエイティブ・アドバイザーとして、ディズニーパーク等の企画開発にも携わるようになった。 |
[[2006年]][[5月5日]][[ウォルト・ディズニー・カンパニー]]によるピクサー買収により、ラセターはピクサー・アニメーション・スタジオとウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオのチーフ・クリエイティブ・オフィサーに就任した。またウォルト・ディズニー・イマジニアリングのプリンシパル・クリエイティブ・アドバイザーとして、ディズニーパーク等の企画開発にも携わるようになった。 |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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* [[ピクサー]] |
* [[ピクサー]] |
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== 参考文献 == |
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*[[大口孝之]]『コンピュータ・グラフィックスの歴史 3DCGというイマジネーション』フィルムアート社 ISBN 978-4-8459-0930-8 |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
2009年9月5日 (土) 00:13時点における版
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cf/Annie_Awards_John_Lasseter_with_Cars_tie.jpg)