「ドラマティック・レイン」の版間の差分
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Date2312010905 (会話 | 投稿記録) 除草 |
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「[[雨のリグレット]]」(チャート65位)でデビューした稲垣だったが、2作目「[[246:3AM]]」はチャートインしなかったため、レコード会社はヒットメーカーの[[筒美京平]]に作曲のオファーをする<ref name="kaisetsu">{{Cite book|和書|year=1998|title=筒美京平ヒットストーリー 1967‐1998|publisher=[[白夜書房]]|pages=163頁|id=ISBN 4-89-367563-X}}</ref>。筒美は稲垣がデビューした時に、所属事務所から作曲の依頼を受けていたが断っていた<ref name="kaisetsu"/>。今回、再度のオファーを受諾し、メロディーを完成させる。 |
「[[雨のリグレット]]」(チャート65位)でデビューした稲垣だったが、2作目「[[246:3AM]]」はチャートインしなかったため、レコード会社はヒットメーカーの[[筒美京平]]に作曲のオファーをする<ref name="kaisetsu">{{Cite book|和書|year=1998|title=筒美京平ヒットストーリー 1967‐1998|publisher=[[白夜書房]]|pages=163頁|id=ISBN 4-89-367563-X}}</ref>。筒美は稲垣がデビューした時に、所属事務所から作曲の依頼を受けていたが断っていた<ref name="kaisetsu"/>。今回、再度のオファーを受諾し、メロディーを完成させる。 |
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高校在学中に放送作家 |
[[秋元康]]は高校在学中に放送作家として活動を始めたが物足りなさを感じ、23歳の[[1981年]]10月に [[THE ALFEE|Alfee]] のシングルB面曲﹁[[通り雨 (アルフィーの曲)|言葉にしたくない天気]]﹂で、作詞家として活動を始める<ref>{{Cite web|和書|author=久保田泰平 |date=2010-05-23 |url=https://tower.jp/article/series/2010/05/23/64776 |title=その時歴史は動いた 第13回-秋元康 |work=bounce 320号 (2010年4月25日発行) |publisher=[[タワーレコード|TOWER RECORDS]] |accessdate=2015-03-10}}</ref>。しばらくは作詞の依頼は少なく、ヒット曲もなかった。
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筒美の曲ができあがった後、レコード会社は、秋元を含めた3人の作詞家が曲に詞を書く[[コンペティション|コンペ]]を行う<ref name="kaisetsu"/><ref name="kaisetsu2">{{Cite web|和書|date=2010-05-13 |url=https://www.musicman.co.jp/interview/19594 |title=Musicman's RELAY 第86回 秋元康 |work=Musicman-NET |publisher=エフ・ビー・コミュニケーションズ |accessdate=2021-08-28}}</ref>。協議の結果、秋元の詞が最も評価が高く採用となり、シングルA面曲での発売が決定する<ref name="kaisetsu"/>。
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筒美の曲ができあがった後、レコード会社は、秋元を含めた3人の作詞家が曲に詞を書く[[コンペティション|コンペ]]を行う<ref name="kaisetsu"/><ref name="kaisetsu2">{{Cite web|和書|date=2010-05-13 |url=https://www.musicman.co.jp/interview/19594 |title=Musicman's RELAY 第86回 秋元康 |work=Musicman-NET |publisher=エフ・ビー・コミュニケーションズ |accessdate=2021-08-28}}</ref>。協議の結果、秋元の詞が最も評価が高く採用となり、シングルA面曲での発売が決定する<ref name="kaisetsu"/>。
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稲垣の声質を活かしたミディアムテンポの[[AOR]]ナンバーに仕上がった本作は<ref name="kaisetsu"/>、チャート最高位8位、半年にわたりチャートインするヒットとなり<ref>{{Cite book|和書|author= |year=1988|title=オリコンチャート・ブック アーティスト編|publisher=[[オリコン・エンタテインメント|オリジナルコンフィデンス]]|pages=50頁|id=ISBN 4-87-131021-3}}</ref>、稲垣にとって、また秋元にとっても初のヒット曲となる。 |
稲垣の声質を活かしたミディアムテンポの[[AOR]]ナンバーに仕上がった本作は<ref name="kaisetsu"/>、チャート最高位8位、半年にわたりチャートインするヒットとなり<ref>{{Cite book|和書|author= |year=1988|title=オリコンチャート・ブック アーティスト編|publisher=[[オリコン・エンタテインメント|オリジナルコンフィデンス]]|pages=50頁|id=ISBN 4-87-131021-3}}</ref>、稲垣にとって、また秋元にとっても初のヒット曲となる。秋元は本作のヒットで手にした作詞印税で[[BMW]]を購入し、「ドラマティック・レイン号」と名付けた<ref>{{Cite book|和書|year=1998|title=筒美京平ヒットストーリー 1967‐1998|publisher=[[白夜書房]]|pages=164頁|id=ISBN 4-89-367563-X}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20150402163342/https://datazoo.jp/w/%E7%A8%B2%E5%9E%A3%E6%BD%A4%E4%B8%80/15129782|title=『1番ソングSHOW』 昭和vs平成 雨の名曲トップ5|publisher=''[[TVでた蔵]]''|accessdate=2015年3月10日 }}</ref>。 |
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このヒットにかけていた[[東芝EMI]]のディレクター重実博は(この曲がヒットしなかったらやめようと思っていた)<ref name="arrange">{{Cite news|url=https://www.rittor-music.co.jp/pickup/detail/14275/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201031040918/https://www.rittor-music.co.jp/pickup/detail/14275/|title=稲垣潤一インタビュー/「ドラマティック・レイン」の別アレンジの存在と当時のレコーディング事情|『A面に恋をして』より|newspaper=[[リットーミュージック|Rittor Music]]|date=2018-03-05|accessdate=2020-10-31|archivedate=2020-10-31}}</ref>、[[湯川れい子]]にも作詞依頼していたが、湯川が仕上げた作品にOKが出ず再考している間に、秋元康に決まった<ref>『女ですもの泣きはしない』湯川れい子著、角川書店、2018年10月19日、ISBN-10: 4041066298、ISBN-13: 978-4041066294、190-191頁。</ref>。 |
このヒットにかけていた[[東芝EMI]]のディレクター重実博は(この曲がヒットしなかったらやめようと思っていた)<ref name="arrange">{{Cite news|url=https://www.rittor-music.co.jp/pickup/detail/14275/|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201031040918/https://www.rittor-music.co.jp/pickup/detail/14275/|title=稲垣潤一インタビュー/「ドラマティック・レイン」の別アレンジの存在と当時のレコーディング事情|『A面に恋をして』より|newspaper=[[リットーミュージック|Rittor Music]]|date=2018-03-05|accessdate=2020-10-31|archivedate=2020-10-31}}</ref>、[[湯川れい子]]にも作詞依頼していたが、湯川が仕上げた作品にOKが出ず再考している間に、秋元康に決まった<ref>『女ですもの泣きはしない』湯川れい子著、角川書店、2018年10月19日、ISBN-10: 4041066298、ISBN-13: 978-4041066294、190-191頁。</ref>。 |
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アレンジも別アレンジのものができあがっていたが、﹁あれ?﹂﹁ちょっと違うね﹂となり、重実が上司に﹁もう1回やらせてください﹂と頼み込み、結果[[船山基紀]]のアレンジに決まった<ref name="arrange"/>。
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[[TBS系列]][[音楽番組|歌謡番組]]『[[ザ・ベストテン]]』は、[[1983年]][[2月3日]]に第9位で初ランクイン。さらには、3週間後の同年[[2月24日]]も第9位(通算2週)に返り咲いたが、稲垣が同番組への登場は一度も無かった(但し、同年[[9月8日]]の今週のスポットライト・コーナーにおいて、稲垣は「[[夏のクラクション]]」で当番組唯一の生出演を果たしている)。 |
[[TBS系列]][[音楽番組|歌謡番組]]『[[ザ・ベストテン]]』は、[[1983年]][[2月3日]]に第9位で初ランクイン。さらには、3週間後の同年[[2月24日]]も第9位(通算2週)に返り咲いたが、稲垣が同番組への登場は一度も無かった(但し、同年[[9月8日]]の今週のスポットライト・コーナーにおいて、稲垣は「[[夏のクラクション]]」で当番組唯一の生出演を果たしている)。 |
2024年6月22日 (土) 08:22時点における最新版
「ドラマティック・レイン」 | ||||
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稲垣潤一 の シングル | ||||
初出アルバム『Shylights』 | ||||
B面 | 蒼い追憶 | |||
リリース | ||||
規格 | シングル・レコード | |||
ジャンル | ポップス | |||
時間 | ||||
レーベル | EXPRESS | |||
作詞・作曲 |
秋元康(作詞) 筒美京平(作曲) | |||
チャート最高順位 | ||||
稲垣潤一 シングル 年表 | ||||
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解説[編集]
﹁雨のリグレット﹂︵チャート65位︶でデビューした稲垣だったが、2作目﹁246:3AM﹂はチャートインしなかったため、レコード会社はヒットメーカーの筒美京平に作曲のオファーをする[1]。筒美は稲垣がデビューした時に、所属事務所から作曲の依頼を受けていたが断っていた[1]。今回、再度のオファーを受諾し、メロディーを完成させる。 秋元康は高校在学中に放送作家として活動を始めたが物足りなさを感じ、23歳の1981年10月に Alfee のシングルB面曲﹁言葉にしたくない天気﹂で、作詞家として活動を始める[2]。しばらくは作詞の依頼は少なく、ヒット曲もなかった。 筒美の曲ができあがった後、レコード会社は、秋元を含めた3人の作詞家が曲に詞を書くコンペを行う[1][3]。協議の結果、秋元の詞が最も評価が高く採用となり、シングルA面曲での発売が決定する[1]。 稲垣の声質を活かしたミディアムテンポのAORナンバーに仕上がった本作は[1]、チャート最高位8位、半年にわたりチャートインするヒットとなり[4]、稲垣にとって、また秋元にとっても初のヒット曲となる。秋元は本作のヒットで手にした作詞印税でBMWを購入し、﹁ドラマティック・レイン号﹂と名付けた[5][6]。 このヒットにかけていた東芝EMIのディレクター重実博は︵この曲がヒットしなかったらやめようと思っていた︶[7]、湯川れい子にも作詞依頼していたが、湯川が仕上げた作品にOKが出ず再考している間に、秋元康に決まった[8]。 アレンジも別アレンジのものができあがっていたが、﹁あれ?﹂﹁ちょっと違うね﹂となり、重実が上司に﹁もう1回やらせてください﹂と頼み込み、結果船山基紀のアレンジに決まった[7]。 TBS系列歌謡番組﹃ザ・ベストテン﹄は、1983年2月3日に第9位で初ランクイン。さらには、3週間後の同年2月24日も第9位︵通算2週︶に返り咲いたが、稲垣が同番組への登場は一度も無かった︵但し、同年9月8日の今週のスポットライト・コーナーにおいて、稲垣は﹁夏のクラクション﹂で当番組唯一の生出演を果たしている︶。収録曲[編集]
収録アルバム[編集]
- Shylights (#1)
- 稲垣潤一 (#1)
- COMPLETE (#1)
- NEW BEST NOW (#1)
- NEW BEST NOW COMPLETE (#1)
- TRANSIT (#1、#2)
- Revelation (#1、#2)
- Super Best Collection (#1)
- Love Beat Best Collection〜ドラマティック・レイン〜 (#1、#2)
- コンプリート・シングル・コレクション (#1)
- Rainy Voice 〜greatest hits & mellow pop〜 (#1)
- THEME SONGS (#1)
プロモーション[編集]
- テレビ披露
放送日 | 番組名 | 放送局 | 出典 |
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2022年11月5日 | ミュージックフェア | フジテレビ | [9] |