「ノート:辻政信」の版間の差分
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<<直接殺害した兵士にも責任はありますが<<<br /> |
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とのことですが、兵士は抗命が全く認められない立場にあり兵士に責任を向けるのは筋違いです。戦争裁判で兵士で戦犯として処刑された者は一人もおりません。これに対し河村、大石氏は高級士官であり、インパール作戦の第31師団佐藤幸徳中将のように軍法会議を覚悟で抗命をできる立場にありました。もちろん、河村、大石氏といえども命令に逆らえば[[抗命罪]]に問われます。しかしながら[[軍法会議]]が開かれればその審議の過程で抗命した命令が住民虐殺を命じるものであったことが明らかになります。山下中将も辻も告発には二の足を踏むでしょう。河村、大石氏はこういった政治的駆け引きが出来る立場にあったので |
とのことですが、兵士は抗命が全く認められない立場にあり兵士に責任を向けるのは筋違いです。戦争裁判で兵士で戦犯として処刑された者は一人もおりません。これに対し河村、大石氏は高級士官であり、インパール作戦の第31師団佐藤幸徳中将のように軍法会議を覚悟で抗命をできる立場にありました。もちろん、河村、大石氏といえども命令に逆らえば[[抗命罪]]に問われます。しかしながら[[軍法会議]]が開かれればその審議の過程で抗命した命令が住民虐殺を命じるものであったことが明らかになります。山下中将も辻も告発には二の足を踏むでしょう。河村、大石氏はこういった政治的駆け引きが出来る立場にあったのではないでしょうか。
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<br />東京裁判でもニュルンベルク裁判でも上官の命令であったという責任回避は階級が上に行けばいくほど認められていません。高級軍人なら自分の命令一つで何千、何万という人間の生殺与奪をもたらす立場にあります。たとえ不作為であったとしても重大な責任を負わなければならない立場にあります。<br />
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<br />東京裁判でもニュルンベルク裁判でも上官の命令であったという責任回避は階級が上に行けばいくほど認められていません。高級軍人なら自分の命令一つで何千、何万という人間の生殺与奪をもたらす立場にあります。たとえ不作為であったとしても重大な責任を負わなければならない立場にあります。<br />
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あなたの言われる﹁走れメロス﹂は自分の命と、義という究極の選択において、義を選んだ勇気ある男の話ですね。この場合もしメロスならば、軍人としての将来が閉ざされる可能性や訴追される危険性をもろともせずに義を選び、虐殺命令に抗したのではないでしょうか。
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あなたの言われる﹁走れメロス﹂は自分の命と、義という究極の選択において、義を選んだ勇気ある男の話ですね。この場合もしメロスならば、軍人としての将来が閉ざされる可能性や訴追される危険性をもろともせずに義を選び、虐殺命令に抗したのではないでしょうか。
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2015年9月7日 (月) 23:22時点における版
ここは記事「辻政信」の改善を目的とした議論用ノートページです。 |
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死亡宣告の年
東京家庭裁判所が死亡宣告した年が、西暦と昭和とで1年づれています。正しくは、1968年は昭和43年、1969年は昭和44年です。ざっとWeb上をみると1968年死亡宣告という記事が1つあったので、とりあえず1968年が正しいとして昭和を訂正します。--Saaki 2006年4月16日 (日) 15:37 (UTC)
精神病
「精神病」の項目について、憶測・思い込み・個人的主張が主になっているまずい内容であると判断したので削除しました。もし辻正信の「精神病説」に関して有力な情報をお持ちの方が居られましたら修正願います。--58.81.232.83 2008年6月27日 (金) 11:07 (UTC)
下位記事として残しては
削除された﹃﹁これだけ読めば戦は勝てる﹂(1941年)という小冊子﹄は多くの物語などのあらましと同様に記事﹁辻政信の﹁これだけ読めば戦は勝てる﹂﹂などと題した分割、下位記事を設けてはどうでしょうか。戦争時に限らず役立つ考慮すべき点は多いと思われます。--Namazu-tron 2008年8月26日 (火) 00:36 (UTC)
自分で書いたのですが、あまりに冗長で主旨が曖昧になると判断して自分で削除してしまいました。下位記事にするのは賛成です。--らんで 2008年8月26日 (火) 15:59 (UTC)
チャラチャラしたアニメや漫画のあらすじより余程価値ある内容でしょう。時間をかけても立派な記事を設けて下さい。戦争の歴史の一面であろし、また戦時以外にも役立つ心がけ、注意点など見いだせる筈です。--Namazu-tron 2008年8月26日 (火) 22:56 (UTC)
要出典
出典が示されず︵憶測によると思われる︶故人の名誉にかかわる記述がいくつか見られます。ご遺族や子孫の名誉にもかかわってきます。故人であり反証可能性の機会が持てませんので、特に名誉棄損のおそれのある出典なき記述は精査してく必要があると考えます。--27.231.225.160 2012年9月10日 (月) 02:40 (UTC)
辻が参加した戦争名の表記について
幾度か、辻が参加した戦争名を﹁大東亜戦争﹂から﹁太平洋戦争﹂へと変える編集が行われました。
現在、両記事は編集過程と議論を経て、﹁太平洋戦争﹂が戦争の叙述を、﹁大東亜戦争﹂が呼称を巡る諸説を記すといった形で役割を分担しており、2014年2月4日 (火) 18:42 Claw of Slime氏の編集の後、その指摘を取り入れて内部リンク先を太平洋戦争とし、表記を大東亜戦争とする形でしたが、2014年5月25日 (日) 22:22に行われた153.208.103.93からの編集でそれが行われ、差し戻した所、﹁少なくとも過去に太平洋戦争と書くことが優先される決定があった。詳しくは太平洋戦争のノートの過去ログ参照)﹂として、再度同IPユーザーよりそれが行われました。別のIP210.255.42.243よりそれが行われました。--射丸蔵︵会話︶ 2014年5月26日 (月) 13:03 (UTC)
ノート:太平洋戦争の唯一の過去ログである、2007年8月18日までには、そのような決定は見当たらず、他にもノート:太平洋戦争、ノート:大東亜戦争に目を通しましたが、太平洋戦争で記述するという決定は見当たりません。
﹁呼称に関する議論︵太平洋戦争・大東亜戦争・アジア太平洋戦争︶﹂は嘗ての太平洋戦争記事内における、両名呼称がどういうものであったかを調べ、どう記述するかの議論で、﹁中立的な観点からの要修正箇所﹂は思想的偏見に基づく記述を除去した際の議論です。前者は記載自体が大東亜戦争に移設されたため、年代を付してわかりやすくする形で同記事のノートにそのまま転載されています。それら以外に関連する議論は見当たりませんが、具体的にどの部分でしょうか?--射丸蔵︵会話︶ 2014年5月26日 (月) 12:11 (UTC)
一週間待ちましたが、何の返答もないので、誤解もしくはいたづらと判断します。以後、ここノートで正当な理由の提示なく同様のことがあった場合は、無条件の差し戻しと半保護依頼に出すようにしてください。--射丸蔵︵会話︶ 2014年6月2日 (月) 09:47 (UTC)
あなたの一週間の一方的な理由で呼称を決めるのはおかしいでしょう。ここでのローカルルールを押し付けるべきではない。--210.141.252.2 2014年8月20日 (水) 02:29 (UTC)
価値中立的な記述を
- マレー作戦
法治国家にあって裁判︵軍事裁判という事情を考慮しても、被告に弁護士が付き、弁明の機会が与えられ、メディアを含め公開された裁判︶によって辻の責任を明らかにされなかった以上、辻に対する一方的な断罪的記述は控えるべきと考えます。裁判というのは被告の殆どが自己を弁護し、他者に責任を押し付ける証言をするものです。判事はそのなかで事実を認定する作業を行うものであり、公判審理を経て辻の責任が明らかにされなかった以上、辻の責任は不明という原則に立って記述を勧めるべきと考えます。
その上で﹁~~という解釈も存在した﹂というような記述はあってもよいと思いますが、基本的には辻の責任は不明というスタンスで、その上で公平に両論併記が適切と考えます。
また、辻が裁判に出廷しなかった理由は、出廷した場合、自らに重い判決が出される可能性が大きく、それを避けるためであったためと考えます。出廷しなかったことに対し辻に対し倫理的批判を向けるのは適切ではないと考えます。--219.35.22.28 2015年9月7日 (月) 00:41 (UTC)
219.35.22.28さんへ Japanese Spiritsです 貴殿に反論します
裁判について申し上げます。裁判の結果は、辻の罪状は明らかにならず、河村・大石が責任を負った、しかもちゃんとした裁判で証拠の精査して、とのことですね?
貴殿の意見には重要なポイントが落ちています。直接殺害した兵士にも責任はありますが、にも関わらず、シンガポールが指揮官のみの責任を採択︵それも当時の住民の不満があっても指揮官2名のみ︶して、そして当時被告となった最上級指揮官の二名のみを死刑にした理由は、責任は上からの命令にある、ということが判決の趣旨であり、裁判で調べた結果で、とみるべきです。では、しかし、本来は処刑された方よりもっと上級の命令主体である辻と山下が裁判の場にいないということは、いない人の罪を判断できないということです。何よりも不在である人は物理的にさばけませんし、しかも、公的な陸軍の記録は残っていないのですから責任主体は、河村・大石かどうかもわかりません。つまり、辻が免訴されたのは無罪だったことが明らかだったのでなく、いなかったため︵逃げたため︶であります。辻が生き残ったのち、戦後、彼が行方不明︵おそらくインドシで殺された︶になったのちに、彼の戦時中の問題ある主体的行動が次々と明らかになったのです。その後、明らかになったのは、現場の河村などの指揮官が﹁短期間に適性で処刑の対象とする華人を集められない﹂という意見を申したが、指揮官山下と参謀の辻が、無茶な命令を無理強いして短期間に大量に無差別に華人を殺させた、という数々の証言であり、文献はいくらでもあります。この説明は、当時の軍の指揮命令状況からして、十分に信頼できますし、大勢の文献の証言は一致しています。もし、辻・山下に責任がないなら、河村、大石が主犯となりますが、当時の軍の構成からそういうことはありえません。それでもこの2名を処刑したのは、戦犯としてもっとも責任に近い人を処刑せざるをえなかった︵それでも2名のみなのは、シンガポール人は不満だった︶ということです。
貴殿の﹁辻が裁判に出廷しなかった理由は、出廷した場合、自らに重い判決が出される可能性が大きく、それを避けるためであったためと考えます。出廷しなかったことに対し辻に対し倫理的批判を向けるのは適切ではないと考えます﹂という意見ですが。。。
日本人の基本的倫理観からして、そのようなことは考えられません。貴殿は、﹁走れメロス﹂という国語の教科書にのっている小説を読んだことがありますか?そのような、教科書にものっている話にある考えが、倫理観であります。旧軍の軍人精神からしてもナンセンスです。堀内豊秋という海軍軍人をご損じでしょうか?部下の責任をかぶって処刑された方ですが、今、誰も彼の名誉を貶める人は、処刑地のインドネシアにも処刑国のオランダにさえいません。そのような生き方をしなかった、いや逆の生き方をした場合、倫理的に責められるべきです。失礼ながら、価値観がことなります。
ウィキペディアは百科事典であって、特定の個人を断罪する場ではありません。個人的な憶測や希望、解釈ではなく事実のみ記してください。そして事実は﹁真実かどうか﹂ではなく﹁検証可能かどうか﹂という観点で記す必要があります。裁判の結果は、河村、大石が主犯であり、辻は被告人ですらありません。文明社会は法治主義のもと運営されています。正当な手続きを経た審議の結果を受けれるという約束で社会は成り立っているのです。戦争責任を上に上に向けて行けば、師団長、そして最終的には師団長を任命した天皇陛下に全責任を押し付ける論理がまかり通ってしまうのです。
話はそれますが
<<直接殺害した兵士にも責任はありますが<<
とのことですが、兵士は抗命が全く認められない立場にあり兵士に責任を向けるのは筋違いです。戦争裁判で兵士で戦犯として処刑された者は一人もおりません。これに対し河村、大石氏は高級士官であり、インパール作戦の第31師団佐藤幸徳中将のように軍法会議を覚悟で抗命をできる立場にありました。もちろん、河村、大石氏といえども命令に逆らえば抗命罪に問われます。しかしながら軍法会議が開かれればその審議の過程で抗命した命令が住民虐殺を命じるものであったことが明らかになります。山下中将も辻も告発には二の足を踏むでしょう。河村、大石氏はこういった政治的駆け引きが出来る立場にあったのではないでしょうか。
東京裁判でもニュルンベルク裁判でも上官の命令であったという責任回避は階級が上に行けばいくほど認められていません。高級軍人なら自分の命令一つで何千、何万という人間の生殺与奪をもたらす立場にあります。たとえ不作為であったとしても重大な責任を負わなければならない立場にあります。
あなたの言われる﹁走れメロス﹂は自分の命と、義という究極の選択において、義を選んだ勇気ある男の話ですね。この場合もしメロスならば、軍人としての将来が閉ざされる可能性や訴追される危険性をもろともせずに義を選び、虐殺命令に抗したのではないでしょうか。
裁判の審議を経ずして、たとえ故人であっても法手続きを乗り越えて1人の個人を断罪する記述をウィキペディアに記載することはすべきではありません。--219.35.22.28 2015年9月7日 (月) 15:45 (UTC)