ノート:辻政信
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死亡宣告の年
東京家庭裁判所が死亡宣告した年が、西暦と昭和とで1年づれています。正しくは、1968年は昭和43年、1969年は昭和44年です。ざっとWeb上をみると1968年死亡宣告という記事が1つあったので、とりあえず1968年が正しいとして昭和を訂正します。--Saaki 2006年4月16日 (日) 15:37 (UTC)
精神病
「精神病」の項目について、憶測・思い込み・個人的主張が主になっているまずい内容であると判断したので削除しました。もし辻正信の「精神病説」に関して有力な情報をお持ちの方が居られましたら修正願います。--58.81.232.83 2008年6月27日 (金) 11:07 (UTC)
下位記事として残しては
削除された﹃﹁これだけ読めば戦は勝てる﹂(1941年)という小冊子﹄は多くの物語などのあらましと同様に記事﹁辻政信の﹁これだけ読めば戦は勝てる﹂﹂などと題した分割、下位記事を設けてはどうでしょうか。戦争時に限らず役立つ考慮すべき点は多いと思われます。--Namazu-tron 2008年8月26日 (火) 00:36 (UTC)
自分で書いたのですが、あまりに冗長で主旨が曖昧になると判断して自分で削除してしまいました。下位記事にするのは賛成です。--らんで 2008年8月26日 (火) 15:59 (UTC)
チャラチャラしたアニメや漫画のあらすじより余程価値ある内容でしょう。時間をかけても立派な記事を設けて下さい。戦争の歴史の一面であろし、また戦時以外にも役立つ心がけ、注意点など見いだせる筈です。--Namazu-tron 2008年8月26日 (火) 22:56 (UTC)
要出典
出典が示されず︵憶測によると思われる︶故人の名誉にかかわる記述がいくつか見られます。ご遺族や子孫の名誉にもかかわってきます。故人であり反証可能性の機会が持てませんので、特に名誉棄損のおそれのある出典なき記述は精査してく必要があると考えます。--27.231.225.160 2012年9月10日 (月) 02:40 (UTC)
辻が参加した戦争名の表記について
幾度か、辻が参加した戦争名を﹁大東亜戦争﹂から﹁太平洋戦争﹂へと変える編集が行われました。
現在、両記事は編集過程と議論を経て、﹁太平洋戦争﹂が戦争の叙述を、﹁大東亜戦争﹂が呼称を巡る諸説を記すといった形で役割を分担しており、2014年2月4日 (火) 18:42 Claw of Slime氏の編集の後、その指摘を取り入れて内部リンク先を太平洋戦争とし、表記を大東亜戦争とする形でしたが、2014年5月25日 (日) 22:22に行われた153.208.103.93からの編集でそれが行われ、差し戻した所、﹁少なくとも過去に太平洋戦争と書くことが優先される決定があった。詳しくは太平洋戦争のノートの過去ログ参照)﹂として、再度同IPユーザーよりそれが行われました。別のIP210.255.42.243よりそれが行われました。--射丸蔵︵会話︶ 2014年5月26日 (月) 13:03 (UTC)
ノート:太平洋戦争の唯一の過去ログである、2007年8月18日までには、そのような決定は見当たらず、他にもノート:太平洋戦争、ノート:大東亜戦争に目を通しましたが、太平洋戦争で記述するという決定は見当たりません。
﹁呼称に関する議論︵太平洋戦争・大東亜戦争・アジア太平洋戦争︶﹂は嘗ての太平洋戦争記事内における、両名呼称がどういうものであったかを調べ、どう記述するかの議論で、﹁中立的な観点からの要修正箇所﹂は思想的偏見に基づく記述を除去した際の議論です。前者は記載自体が大東亜戦争に移設されたため、年代を付してわかりやすくする形で同記事のノートにそのまま転載されています。それら以外に関連する議論は見当たりませんが、具体的にどの部分でしょうか?--射丸蔵︵会話︶ 2014年5月26日 (月) 12:11 (UTC)
一週間待ちましたが、何の返答もないので、誤解もしくはいたづらと判断します。以後、ここノートで正当な理由の提示なく同様のことがあった場合は、無条件の差し戻しと半保護依頼に出すようにしてください。--射丸蔵︵会話︶ 2014年6月2日 (月) 09:47 (UTC)
あなたの一週間の一方的な理由で呼称を決めるのはおかしいでしょう。ここでのローカルルールを押し付けるべきではない。--210.141.252.2 2014年8月20日 (水) 02:29 (UTC)
価値中立的な記述を
- マレー作戦
法治国家にあって裁判︵軍事裁判という事情を考慮しても、被告に弁護士が付き、弁明の機会が与えられ、メディアを含め公開された裁判︶によって辻の責任を明らかにされなかった以上、辻に対する一方的な断罪的記述は控えるべきと考えます。裁判というのは被告の殆どが自己を弁護し、他者に責任を押し付ける証言をするものです。判事はそのなかで事実を認定する作業を行うものであり、公判審理を経て辻の責任が明らかにされなかった以上、辻の責任は不明という原則に立って記述を勧めるべきと考えます。
その上で﹁~~という解釈も存在した﹂というような記述はあってもよいと思いますが、基本的には辻の責任は不明というスタンスで、その上で公平に両論併記が適切と考えます。
また、辻が裁判に出廷しなかった理由は、出廷した場合、自らに重い判決が出される可能性が大きく、それを避けるためであったためと考えます。出廷しなかったことに対し辻に対し倫理的批判を向けるのは適切ではないと考えます。--219.35.22.28 2015年9月7日 (月) 00:41 (UTC)
219.35.22.28さんへ Japanese Spiritsです 貴殿に反論します
裁判について申し上げます。裁判の結果は、辻の罪状は明らかにならず、河村・大石が責任を負った、しかもちゃんとした裁判で証拠の精査して、とのことですね?
貴殿の意見には重要なポイントが落ちています。直接殺害した兵士にも責任はありますが、にも関わらず、シンガポールが指揮官のみの責任を採択︵それも当時の住民の不満があっても指揮官2名のみ︶して、そして当時被告となった最上級指揮官の二名のみを死刑にした理由は、責任は上からの命令にある、ということが判決の趣旨であり、裁判で調べた結果で、とみるべきです。では、しかし、本来は処刑された方よりもっと上級の命令主体である辻と山下が裁判の場にいないということは、いない人の罪を判断できないということです。何よりも不在である人は物理的にさばけませんし、しかも、公的な陸軍の記録は残っていないのですから責任主体は、河村・大石かどうかもわかりません。つまり、辻が免訴されたのは無罪だったことが明らかだったのでなく、いなかったため︵逃げたため︶であります。辻が生き残ったのち、戦後、彼が行方不明︵おそらくインドシで殺された︶になったのちに、彼の戦時中の問題ある主体的行動が次々と明らかになったのです。その後、明らかになったのは、現場の河村などの指揮官が﹁短期間に適性で処刑の対象とする華人を集められない﹂という意見を申したが、指揮官山下と参謀の辻が、無茶な命令を無理強いして短期間に大量に無差別に華人を殺させた、という数々の証言であり、文献はいくらでもあります。この説明は、当時の軍の指揮命令状況からして、十分に信頼できますし、大勢の文献の証言は一致しています。もし、辻・山下に責任がないなら、河村、大石が主犯となりますが、当時の軍の構成からそういうことはありえません。それでもこの2名を処刑したのは、戦犯としてもっとも責任に近い人を処刑せざるをえなかった︵それでも2名のみなのは、シンガポール人は不満だった︶ということです。
貴殿の﹁辻が裁判に出廷しなかった理由は、出廷した場合、自らに重い判決が出される可能性が大きく、それを避けるためであったためと考えます。出廷しなかったことに対し辻に対し倫理的批判を向けるのは適切ではないと考えます﹂という意見ですが。。。
日本人の基本的倫理観からして、そのようなことは考えられません。貴殿は、﹁走れメロス﹂という国語の教科書にのっている小説を読んだことがありますか?そのような、教科書にものっている話にある考えが、倫理観であります。旧軍の軍人精神からしてもナンセンスです。堀内豊秋という海軍軍人をご損じでしょうか?部下の責任をかぶって処刑された方ですが、今、誰も彼の名誉を貶める人は、処刑地のインドネシアにも処刑国のオランダにさえいません。そのような生き方をしなかった、いや逆の生き方をした場合、倫理的に責められるべきです。失礼ながら、価値観がことなります。
ウィキペディアは百科事典であって、特定の個人を断罪する場ではありません。個人的な憶測や希望、解釈ではなく事実のみ記してください。そして事実は﹁真実かどうか﹂ではなく﹁検証可能かどうか﹂という観点で記す必要があります。裁判の結果は、河村、大石が主犯であり、辻は被告人ですらありません。文明社会は法治主義のもと運営されています。正当な手続きを経た審議の結果を受けれるという約束で社会は成り立っているのです。戦争責任を上に上に向けて行けば、師団長、そして最終的には師団長を任命した天皇陛下に全責任を押し付ける論理がまかり通ってしまうのです。
話はそれますが
<<直接殺害した兵士にも責任はありますが<<
とのことですが、兵士は抗命が全く認められない立場にあり兵士に責任を向けるのは筋違いです。戦争裁判で兵士で戦犯として処刑された者は一人もおりません。これに対し河村、大石氏は高級士官であり、インパール作戦の第31師団佐藤幸徳中将のように軍法会議を覚悟で抗命をできる立場にありました。もちろん、河村、大石氏といえども命令に逆らえば抗命罪に問われます。しかしながら軍法会議が開かれればその審議の過程で抗命した命令が住民虐殺を命じるものであったことが明らかになります。山下中将も辻も告発には二の足を踏むでしょう。河村、大石氏はこういった政治的駆け引きが出来る立場にあったのではないでしょうか。
東京裁判でもニュルンベルク裁判でも、告発された容疑が上官の命令であったという責任回避は階級が上に行けばいくほど認められていません。高級軍人なら自分の命令一つで何千、何万という人間の生殺与奪をもたらす立場にあります。たとえ不作為であったとしても重大な責任を負わなければならない立場にあります。
あなたの言われる﹁走れメロス﹂は自分の命と、義という究極の選択において、義を選んだ勇気ある男の話ですね。この場合もしメロスならば、軍人としての将来が閉ざされる可能性や訴追される危険性をもろともせずに義を選び、虐殺命令に抗したのではないでしょうか。
裁判の審議を経ずして、たとえ故人であっても法手続きを乗り越えて1人の個人を断罪する記述をウィキペディアに記載することはすべきではありません。--219.35.22.28 2015年9月7日 (月) 15:45 (UTC)
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Japnese Spiritsです ご連絡ありがとうございます。貴方の本文への修正書き加え︵9月8日︶は、基本的に文句ありません。ただ、貴殿の以上書かれている内容には、当方より以下のコメントあります。
﹁ウィキペディアは百科事典であって、特定の個人を断罪する場ではありません。個人的な憶測や希望、解釈ではなく事実のみ記してください。そして事実は﹁真実かどうか﹂ではなく﹁検証可能かどうか﹂という観点で記す必要があります。﹂
とおっしゃるのなら、当方の判断で十分に検証可能であります。資料を追ってみると、裁判のプロセスに重要な欠落︵被告の不在・資料の消失︶があったが、判決された、ということです。
憶測ではありません。ただし、裁判の結果が絶対でないように、事実の処断は難しいものです。よって、ここで論ぜずに、私も可能性がきわめて高い、との言い方にします︵ただ、資料を追った結果は同じですので︶。
﹁兵士は抗命が全く認められない立場にあり兵士に責任を向けるのは筋違いです。戦争裁判で兵士で戦犯として処刑された者は一人もおりません。これに対し河村、大石氏は高級士官であり、インパール作戦の第31師団佐藤幸徳中将のように軍法会議を覚悟で抗命をできる立場にありました。もちろん、河村、大石氏といえども命令に逆らえば抗命罪に問われます。しかしながら軍法会議が開かれればその審議の過程で抗命した命令が住民虐殺を命じるものであったことが明らかになります。山下中将も辻も告発には二の足を踏むでしょう。河村、大石氏はこういった政治的駆け引きが出来る立場にあったのではないでしょうか。﹂
このような言説を出すということは、私が言いたくもないことを言わせるのでしょうか。貴殿は、当時の軍人が戦後に書いた本、私が参照した本ですが、また左翼でなくむしろ中庸か保守を自認する研究者の書いた参照した本を読んでみてください。事件当時の辻の執拗な殺害督促や高圧的な指揮官への態度は尋常ではありません。大石や河村はそれでも、先に書いたような反対意見を出しても、とうてい山下・辻のやり方は変更できなかったわけです。また、インパールの佐藤は現場にいて退却したのですが、それは大戦ももう末期です。かなり状況は異なります。開戦当初のようなときに、当時の軍人にとって、いかなることがあってもすぐに軍法会議までもちこんで争うようなセンスは求められるわけないです。また、持ち込んでも軍法会議で辻や山下がもしごまかすような勝手なこといったらどうなりますか?つまり、高級将校といえ、弱い立場の人に圧力や無理強いをするような陸軍の当時の一部の体質は、本来の名誉ある帝国軍人の姿から遠くなっていたのです。そのような場で、高級将校といえども選択肢は限られていました。インパールの佐藤の例を持ち込むのは言い過ぎです。彼も気違い扱いされ、上司への影響は少なかったですね。
﹁告発された容疑が上官の命令であったという責任回避は階級が上に行けばいくほど認められていません。高級軍人なら自分の命令一つで何千、何万という人間の生殺与奪をもたらす立場にあります。たとえ不作為であったとしても重大な責任を負わなければならない立場にあります。﹂
そうですか、なら、辻はどうなんですか?しかも辻は逃げていますよね。こういうところで貴殿の論理が破たんしていませんか?。﹁走れメロス﹂は自分の命と義という究極の選択において、義を選んだ勇気ある男の話とおっしゃいますが、それを根拠に、大石・河村に無理な要求を想定して、それではもっとも責任ある命令しておいて逃亡した辻はどうなるのでしょうか。
なお、辻については、︵公人で︶史上人物とたりうるのからある程度批判︵評論︶を行ってよいと思います。ただ確かに時代もまだ古いわけでなく縁者も生存しているので、私は毀誉褒貶でもよいと思います。ただ、辻がもし、終戦後に自分の非を認め裁判に出廷し、謝罪したら、そもそも批判されるべきでなく、このような事件での表現も本人の名誉のためにT参謀でよいと思います。しかし、逃げて戦争犯罪の責任をとらず、国会議員という批判されにくい立場にたっておめおめと社会で存在観を示し、その後行方不明になってのちにやっと本人の事実が露呈したという事実があった以上、一定の彼の行動への批判は残念ながらやむをえません。でないと、世間の犯罪者に﹁こうすれば罪をのがれられる﹂と教えているようなものです。もちろん帝国軍人として栄誉を受ける人間ではありません。
再度、繰り返しますが、法手続きの正当性というのは、裁判で客観的な証拠がそろい、被告人の逮捕・拘束があり、公正な取り調べがあり、しかも政治裁判性の有無があって、正式・公正・信頼という表現があるのです。この裁判は、そのうちいくつかがごっそり欠落しています。ですから、それでも、貴殿が、裁判、裁判というのも論理破たんしています。
219.35.22.28さんとは、もう論ずるのはこれを限りにします、どのような方か知りませんが。基本的なところで人間として、私や私の友人とはかなり違いますので。
ただ、貴殿の最後の変更部分は、私は尊重します。私は、他人の考えは基本的によほど問題ない限り、聞く耳を持ちますので
あと、貴殿の会話を拝見しましたが、資料の提示をほかの方から相当、求められた例がありますが、これも状況がわからないので何も申し上げません さようなら
——以上の署名の無いコメントは、Japanese Spirit︵ノート・履歴︶さんが いついつ (UTC) に投稿したものです︵219.35.22.28による付記︶。
>>これも状況がわからないので何も申し上げません さようなら>>
とのことですのでこれで打ち切りますが、失礼ながらJapanese Spiritsさんにおかれては軍隊組織というものをよく御理解されていないように思います。
例えば、参謀というのはスタッフであり、命令を起案できるが、いくら階級が高くても(兵士に対しても)直接的な命令権はないのです。これに対しラインに属する高級将校である河村、大石氏は、命令の内容が法規や軍人勅諭に照らして大日本帝国陸軍として行ってはならないものと判断したら、回ってきた稟議書に判をつかないという手段によって抵抗し、虐殺を阻止得た立場にあるということです。まして文章に拠らない虐殺の催促など断固拒否できる立場にありました。また第25軍司令官山下奉文中将が日記において辻を批判したとのことですが、山下には辻を解任する権限があり、逆に辻は勅任官の山下に対しては指一本触れることが出来ない立場にありました。日記で溜飲を下げるのではなく、実際に自身に与えられた権限を行使し、皇軍の威信を守り抜く手立てを講じるべきだったでしょう。
裁判はこういった状況を総合的に判断して判決を下したと考えるべきでしょう。
>>インパールの佐藤の例を持ち込むのは言い過ぎです。彼も気違い扱いされ、上司への影響は少なかったですね。>>
佐藤中将は軍人としての栄達を名誉を失うことを覚悟で、部下を守り、自身は解任され、精神を病んだとの汚名を受けましたが、結果多くの将兵が日本に帰れたのです。その勇気は讃えられるべきであり、メロスの様に義のために己を犠牲にしたということで対照としてしかるべきでしょう。
>>なら、辻はどうなんですか?しかも辻は逃げていますよね。こういうところで貴殿の論理が破たんしていませんか?。>>
もちろん辻はメロスの様な倫理的に称賛すべき特別の勇気を示してはいませんが、終戦時ほとんどの大日本帝国軍人は責任を果たしていません。責任を取って自決した指導者を称賛したとしても、それをしなかったという理由で個人を批判すべきではないでしょう。憶測や個人の手記などの曖昧な資料をもとに批判を記すべきではありません。--219.35.22.28 2015年9月10日 (木) 03:39 (UTC)
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﹁失礼ながらJapanese Spiritsさんにおかれては軍隊組織というものをよく御理解されていないように思います。例えば、参謀というのはスタッフであり、命令を起案できるが、いくら階級が高くても(兵士に対しても)直接的な命令権はないのです。これに対しラインに属する高級将校である河村、大石氏は、命令の内容が法規や軍人勅諭に照らして大日本帝国陸軍として行ってはならないものと判断したら、回ってきた稟議書に判をつかないという手段によって抵抗し、虐殺を阻止得た立場にあるということです。まして文章に拠らない虐殺の催促など断固拒否できる立場にありました。﹂
219.35.22.28さんは他人に憶測とか、言うわりに憶測が好きですね。事実を資料で追うと、以下のとおりです。辻は参謀で命令を起案、山下はそれを容認・命令、そして指揮官への命令やその履行についての要求は、参謀であるにも関わらず辻が異常かつ執拗。指揮官は、実務上の問題として実行無理と主張、しかし、却下されて、指揮官は実行。当時の記録だと、実際の流れはこれしか、なかったわけです。それに関して、私は、裁判が公正でなかったこと共に、関係者の主張から可能性は高いことを、両論併記でなく軽重をつけて申し上げたわけです。指揮官も立場は逃げられませんので、正直言って無罪とはいいがたいです。もとより、抵抗はどの程度できたかはその時の状況によります。確かに気の毒だが指揮官は責任はとらされた︵ただし、私は事実関係からみて、死刑が適当かは別、と例証︶のですが、それでどうだというんでしょうか?
ようは、指揮官の立場でどこまで逆らうことができたか︵できなかったか︶を推測するのではなく、反対したが命令に押し切られたこと、その際に状況の詳細は今となっては過去だが、命令履行の圧力が異常であったことが関係者の証言の資料に残っている、ということです。ですから、指揮官も逃げられないのです。しかし、裁判は命令に従わざるをえなかったことを免責にはしなかったが、指揮官の勝手な判断ではないことを認めています。つまり、上官の命令は存在したと裁判も認めたのです。
﹁また第25軍司令官山下奉文中将が日記において辻を批判したとのことですが、山下には辻を解任する権限があり、逆に辻は勅任官の山下に対しては指一本触れることが出来ない立場にありました。日記で溜飲を下げるのではなく、実際に自身に与えられた権限を行使し、皇軍の威信を守り抜く手立てを講じるべきだったでしょう。
裁判はこういった状況を総合的に判断して判決を下したと考えるべきでしょう﹂
山下は指揮官であるので、虐殺を容認した以上、責任は重いです。しかし、裁判の場には、いなかったですよね??ですから、なんの判決が山下に降りたのでしょうか??
貴殿のいうとおり、つまり山下の罪を裁判は認めたということなら、私と同意見ですが。何か?
﹁>>インパールの佐藤の例を持ち込むのは言い過ぎです。彼も気違い扱いされ、上司への影響は少なかったですね。
佐藤中将は軍人としての栄達を名誉を失うことを覚悟で、部下を守り、自身は解任され、精神を病んだとの汚名を受けましたが、結果多くの将兵が日本に帰れたのです。その勇気は讃えられるべきであり、メロスの様に義のために己を犠牲にしたということで対照としてしかるべきでしょう。﹂
私も同感ですが。何か?
もっとも、佐藤は司令部から離れていたので自分で自由に退却できましたね。河村・大石の場合、たとえ抗命しても、たとえば︵あくまで例ですが︶更迭され別の人が虐殺行為に命じられるとか、司令部からの圧力が様々な可能性でありえたわけで、命令を拒絶しにくかったことは、資料からわかります。
﹁もちろん辻はメロスの様な倫理的に称賛すべき特別の勇気を示してはいませんが、終戦時ほとんどの大日本帝国軍人は責任を果たしていません。責任を取って自決した指導者を称賛したとしても、それをしなかったという理由で個人を批判すべきではないでしょう。憶測や個人の手記などの曖昧な資料をもとに批判を記すべきではありません﹂
帝国軍人の中の問題あるかたはいろいろおります。その責任に関しては、個々の事情はそれぞれ異なります。しかし、辻ほどの厚顔無恥、大きな事件を何度も起こして、逃げて責任とらず、国会議員になることで立場を利用して批判をかわして、行方不明になってやっと問題露見なんて、人は他にいません。でも、親族もいるだろうし、批判も罵倒でなく、﹁軍人として卑劣漢で恥ずかしい﹂程度でよいと思いますし、良いことも認めて毀誉褒貶でいいとまで申しています。もし、辻に一定の批判がないなら、処刑された河村や大石の遺族は救われません。シンガポールの人でも、辻の犯罪や加賀に銅像があることを知ってる人は少なくないが、その人たちは︵私個人が︶知っている限りは、日本との損得やばかばかしいから相手にしないで、馬鹿にして黙っているだけです。
﹁憶測や個人の手記などの曖昧な資料をもとに批判を記すべきではありません﹂
私は、記録をいろいろ読んで調べた結果、辻は、虐殺は朝枝参謀が起案したと申したそうですが、ほかの軍人や軍属や朝枝は辻がやったといっています。また、裁判では指揮官の単独行動とは見られず、命令に従ったことで免訴されなかった、という結果でしたね。︵先にも山下のことで書きましたが︶ つまり、﹁命令に従ったことで︵指揮官が︶免訴されなかった﹂ということは、上司である辻起案・山下命令の存在を裁判も、明確に認めたのです。ただ、罰則は山下も辻もいない以上は無理でしたので審理できません。それでも、厳しく命令者並みに扱われた指揮官の死刑の意味︵政治性裁判︶については、もう繰り返しません。そして、辻は逃亡して自分の罪状を生涯明かさなかっただけです。憶測ではありません。
辻が主犯だというのは、もうひとつ事実関係があります。貴殿、219.35.22.28さんがその証人です。自分で以下のように言っていますね?
﹁辻が裁判に出廷しなかった理由は、出廷した場合、自らに重い判決が出される可能性が大きく、それを避けるためであったためと考えます﹂
﹁軍法会議が開かれればその審議の過程で抗命した命令が住民虐殺を命じるものであったことが明らかになります。山下中将も辻も告発には二の足を踏むでしょう﹂
﹁命令の内容が法規や軍人勅諭に照らして大日本帝国陸軍として行ってはならないものと判断したら﹂
自分で言っていて憶測だ曖昧な資料だとかは、論理破たんしてませんか?もう、ばかばかしくて、もうこれ以上とりあいたくありません。
Japanese Spirits
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー まず一言注意しておきます。あなたは私が書いた文章をを勝手に切り取っています [1] 。他の利用者の署名付きコメントを改竄することはブロックに値する行為です。すぐに私の記述内容を元に戻しなさい。--219.35.22.28 2015年9月10日 (木) 18:11 (UTC)
すみません ミスでした。その部分は陳謝してお詫びします。修正済みです。
なお、文中、219.35.22.28さんに非礼な表現があったこともこの場でお詫び申し上げます。私もいわば英国紳士の一員を自認するし、帝国軍人の紳士を範とするので。
Japanese Spirits
了解しました。ここで基本的なことを確認しておきます。
公正な裁判
裁判については、それが正当な裁判であるかを客観的に判定することはできないということです。例えば現代においても、例えばメディアで報道される訴訟の判決が発表される場面を思い出してください。原告にとって都合の悪い判決が出されたとき、弁護士が﹁’’’不当判決’’’﹂と書いた垂れ幕をかざして裁判所から走り出てくることは定番の風景です。被告にとって有利な判決が出された裁判が公正な裁判とみなされ、その逆は不公正な裁判ということになるだけです。極東軍事裁判のA級戦犯への裁判の正当性が議論されますが、それは﹁平和に対する罪﹂という事後法で裁いたことが問題とされたのであり、B級の場合は質的に別の議論となります。
参謀には命令する権限は存在しない
前記いたしましたが、参謀はスタッフで命令権はありません。秩序の紊乱を防ぐために戦前は参謀には参謀飾緒を常時着用させ将兵に一目瞭然で分かるようにしています。参謀は作戦を起案し、師団長が裁可し、命令が下達されます。これが明治期に日本がドイツの参謀本部から採用した参謀制度の根幹です。
なぜ命令権がない一参謀がしゃしゃり出て口頭で命令し軍を動かすことができるのでしょうか。そのようなことをしたならば戦犯裁判以前に、日本軍の軍法会議で裁かれることになるはずです。
また﹁米比軍投降者を殺害する﹂などという戦時国際法に反する重大な命令が出所の不明な電話で伝達されるといったことが不可解ですし、秒単位の緊急性にかかわる事例でない本例のような場合、受けた側は必ず師団司令部に確認するはずです。少しでも軍隊の仕組みを知っているものならわかることでしょう。--219.35.22.28 2015年9月12日 (土) 16:00 (UTC)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー まず一言注意しておきます。あなたは私が書いた文章をを勝手に切り取っています [1] 。他の利用者の署名付きコメントを改竄することはブロックに値する行為です。すぐに私の記述内容を元に戻しなさい。--219.35.22.28 2015年9月10日 (木) 18:11 (UTC)