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[[シュテファン・ロッホナー]]、[[ロヒール・ファン・デル・ウェイデン]],[[ヤン・ファン・エイク]]の影響が感じられる宗教画のほか、寄進者像を中心とした肖像画にも優れたものが残っている。メムリンクの作品には、師のファン・デル・ウェイデンのような激しい情感の表出は見られず、画面は静寂感に満ちている。細部の精密描写は北方絵画全般に見られる特色だが、メムリンクは、金属製の鎧の表面に映った鏡像までも執拗に描写している<ref>例‥﹃最後の審判﹄の大天使の鎧など</ref>。端麗な古典主義の画家という評価がある<ref>岡部紘三 1997</ref>。油彩画の総カタログはDirk de Vos(1994)、Faggin(1973)、Friedlaender(1971)が有名である。以下、作品番号はVはDirk de Vos、FAはFaggin、FはFriedlaenderと仮に表示しておく。
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[[シュテファン・ロッホナー]]、[[ロヒール・ファン・デル・ウェイデン]],[[ヤン・ファン・エイク]]の影響が感じられる宗教画のほか、寄進者像を中心とした肖像画にも優れたものが残っている。メムリンクの作品には、師のファン・デル・ウェイデンのような激しい情感の表出は見られず、画面は静寂感に満ちている。細部の精密描写は北方絵画全般に見られる特色だが、メムリンクは、金属製の鎧の表面に映った鏡像までも執拗に描写している<ref>例‥﹃最後の審判﹄の大天使の鎧など</ref>。端麗な古典主義の画家という評価がある<ref>岡部紘三 1997</ref>。油彩画の総カタログはDirk de Vos(1994)、Faggin(1973)、Friedlaender(1971)が有名である。以下、作品番号はVはDirk de Vos、FAはFaggin、FはFriedlaenderと仮に表示しておく。
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*『最後の審判』(V1, FA1, F8),1467, 三連祭壇画,木製の板に油彩, 1467. 元々はイタリアフィレンツェのフィエーゾレにあるBadia Fiesolana教会(英語版)の為に作られたものだが、戦争による紆余曲折を経て1473年からポーランドグダニスクの聖マリア教会(英語版)に飾られていた。1972年以降はグダニスクの国立博物館(英語版)に所蔵されている。 虹の玉座に座っているのはキリストで、その周囲には聖母マリア、十二使徒、および洗礼者ヨハネがおり、その上にはキリストの受難のシンボルを持った天使達がいる。天と地の間にいる天使達は最後の審判を告げている。地の中央にいるのは大天使ミカエルで、生き返った霊魂の重さを計っている。右側は地獄で、左側は天国。左の階段にいるのは聖ペトロ<ref>[https://web.archive.org/web/20070701003920/http://www.muzeum.narodowe.gda.pl/last_judgement.htm National Museum in Gdańsk's page on the painting]</ref>。 |
*『最後の審判』(V1, FA1, F8),1467, 三連祭壇画,木製の板に油彩, 1467. 元々はイタリアフィレンツェのフィエーゾレにあるBadia Fiesolana教会(英語版)の為に作られたものだが、戦争による紆余曲折を経て1473年からポーランドグダニスクの聖マリア教会(英語版)に飾られていた。1972年以降はグダニスクの国立博物館([https://en.wikipedia.org/wiki/National_Museum,_Gda%C5%84sk 英語版])に所蔵されている。 虹の玉座に座っているのはキリストで、その周囲には聖母マリア、十二使徒、および洗礼者ヨハネがおり、その上にはキリストの受難のシンボルを持った天使達がいる。天と地の間にいる天使達は最後の審判を告げている。地の中央にいるのは大天使ミカエルで、生き返った霊魂の重さを計っている。右側は地獄で、左側は天国。左の階段にいるのは聖ペトロ<ref>[https://web.archive.org/web/20070701003920/http://www.muzeum.narodowe.gda.pl/last_judgement.htm National Museum in Gdańsk's page on the painting]</ref>。 |
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*洗礼者聖ヨハネと福音書記者聖ヨハネの三連祭壇画(V31, FA6, F11), 1479,(メムリンク美術館ブルッヘ)(聖女カタリナの神秘の結婚とも名付けられている)<ref>[https://francois-vidit.com/docs/ja/bruges/hopital-saint-jean/saint-jean 洗礼者聖ヨハネと福音書記者聖ヨハネの三連画の各パネルが見られるサイト]</ref> |
*洗礼者聖ヨハネと福音書記者聖ヨハネの三連祭壇画(V31, FA6, F11), 1479,(メムリンク美術館ブルッヘ)(聖女カタリナの神秘の結婚とも名付けられている)<ref>[https://francois-vidit.com/docs/ja/bruges/hopital-saint-jean/saint-jean 洗礼者聖ヨハネと福音書記者聖ヨハネの三連画の各パネルが見られるサイト]</ref> |
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*女性肖像(Sibylla Sambethaと後世に額縁に銘文がつけられた)(V36,FA10,F94), 1480, ベルギー,ブルッヘ, メムリンク美術館 |
*女性肖像(Sibylla Sambethaと後世に額縁に銘文がつけられた)(V36,FA10,F94), 1480, ベルギー,ブルッヘ, メムリンク美術館 |
2021年5月29日 (土) 07:02時点における版
ハンス・メムリンク | |
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本名 | Hans Memling |
誕生日 | 1430年頃 |
出生地 | マインツ大司教領ゼーリゲンシュタット |
死没年 | 1494年8月11日 |
死没地 | ネーデルラント17州ブルッヘ |
芸術分野 | 絵画 |
生涯
ドイツのフランクフルト近郊ゼーリゲンシュタットの生まれだが、主にフランドルのブルッヘで活動している。生年ははっきりしていない。父はHamman Momlingen、母はLuca Stirn、両親は1451年ごろに死去した。ブリュッセルのファン・デル・ウェイデンの工房で修業したと推定され、1465年にはブルッヘの市民権を得ている。1470年には﹁雪の聖母兄弟団﹂︵Gilde van Onse LieveVrouwe van der Snee︶[1]に入団。1480年ごろに, Sint Joris 街に邸宅を購入。1480年 ブルッヘの富家227人の一人として皇帝マキシミリアンに戦時税を支払った。1487年 妻 Tanna逝去。財産を子供3人Hannekin, Neelkin, Claykinと分割した。1494年8月11日 逝去 ブルッヘの聖ヒーリス教会に埋葬。2006年現在、墓石は行方不明。伝説
18世紀半ば、フランス宮廷画家でもあったJean Baptest Descampsが1753年に刊行したVie des peintres flamands et hollamdesに、﹁ブリュージュの近郊ダムで生まれたメムリンクは、若いころ無頼少年で、兵士になり、傷病した。その傷ついた身体を看護治療してくれたのがシントヤンス病院で、そこで絵を描きだして有名になった。﹂という、シントヤンス病院の誰かから聴いたという伝説を記した。﹁ナンシーの戦いで負傷した﹂と付会したのは、1845年に、Histoire de la peintre flamande, Ⅱ, brussel, 1845を刊行したA.Michaelis。この伝説はFierens-Gevaert(1922)で既に、﹁現在では意味がない﹂と否定されている。作風と代表作
シュテファン・ロッホナー、ロヒール・ファン・デル・ウェイデン,ヤン・ファン・エイクの影響が感じられる宗教画のほか、寄進者像を中心とした肖像画にも優れたものが残っている。メムリンクの作品には、師のファン・デル・ウェイデンのような激しい情感の表出は見られず、画面は静寂感に満ちている。細部の精密描写は北方絵画全般に見られる特色だが、メムリンクは、金属製の鎧の表面に映った鏡像までも執拗に描写している[2]。端麗な古典主義の画家という評価がある[3]。油彩画の総カタログはDirk de Vos(1994)、Faggin(1973)、Friedlaender(1971)が有名である。以下、作品番号はVはDirk de Vos、FAはFaggin、FはFriedlaenderと仮に表示しておく。 ●﹃最後の審判﹄(V1, FA1, F8),1467, 三連祭壇画,木製の板に油彩, 1467. 元々はイタリアフィレンツェのフィエーゾレにあるBadia Fiesolana教会(英語版)の為に作られたものだが、戦争による紆余曲折を経て1473年からポーランドグダニスクの聖マリア教会(英語版)に飾られていた。1972年以降はグダニスクの国立博物館(英語版)に所蔵されている。 虹の玉座に座っているのはキリストで、その周囲には聖母マリア、十二使徒、および洗礼者ヨハネがおり、その上にはキリストの受難のシンボルを持った天使達がいる。天と地の間にいる天使達は最後の審判を告げている。地の中央にいるのは大天使ミカエルで、生き返った霊魂の重さを計っている。右側は地獄で、左側は天国。左の階段にいるのは聖ペトロ[4]。 ●洗礼者聖ヨハネと福音書記者聖ヨハネの三連祭壇画(V31, FA6, F11), 1479,︵メムリンク美術館ブルッヘ︶︵聖女カタリナの神秘の結婚とも名付けられている︶[5] ●女性肖像︵Sibylla Sambethaと後世に額縁に銘文がつけられた)(V36,FA10,F94), 1480, ベルギー,ブルッヘ, メムリンク美術館 ●マールテン・ファン・ニーウウェンホーフェの二連祭壇画(V78,FA13,F14), 1487, ブルッヘ、メムリンク美術館 ●聖ウルスラの聖遺物箱(V83, FA15, F24), 1489年, ベルギー,ブルッヘ, メムリンク美術館。聖遺物箱の表面にメムリンク筆のパネル画を取りつけたものである。カーレル・ファン・マンデル﹁北方画家列伝﹂も記載している[6]。 ●受難 多翼祭壇画 (V90, FA16, F3), 1491, リューベック、聖アン聖堂美術館 ●キリストと奏楽天使︵Najera祭壇画︶(V61,F22), c. 1480 アントワープ王立美術館 ●﹃キリストの降臨と勝利﹄(﹃マリアの七つの喜び﹄とも)(V61,FA35, F22), 1480, ミュンヘン、アルテピナコテーク ●受胎告知 (V84,FA11,F26),︵メトロポリタン美術館レーマン・ウィング︶ ●﹃虚栄と地上の救﹄小型祭壇画(V64,FA34,F21),, 1485年頃、 オークの板に油彩、3枚とも22 x 15 cm ストラスブール美術館ギャラリー
受難(Passion) en:Altarpiece/en:Polyptych (1491) リューベック en:Lübeck聖アンナ博物館de:St.-Annen-Museum Lübeck-
マリア・ヨハネ祭壇画(聖カタリナの神秘の結婚), 1479年、メムリンク美術館、ブリュージュ
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『キリストの降臨と勝利』(『マリアの七つの喜び』とも)(Advent and Triumph of Christ(or Seven Joys of Mary))
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マールテン・ファン・ニーウウェンホーフェの肖像 1487 ブルッヘ、メムリンク美術館
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Christ Giving His Blessing, 1478年 ノートン・サイモン美術館
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Christ Surrounded by Musician Angels, c. 1480 アントワープ王立美術館
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1475-79, The Man of Sorrows in the arms of the Virgin, National Gallery of Victoria, Melbourne
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Annunciation, 1480–89, メトロポリタン美術館
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Allegory with a Virgin, 1479–80, ジャックマールアンドレ美術館
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Portrait of a Man with a Pink Carnation, 1475
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Portrait of Willem Morell, circa 1480
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Portrait of Maria Maddalena Portinari, c. 1475, メトロポリタン美術館
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Portrait of Barbara van Vlaendenbergh, c. 1480
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Portrait of Gilles Joye, 1472
ウィキメディア・コモンズには、ハンス・メムリンクに関するカテゴリがあります。
脚注
- ^ 市内の画家や彩色写本師など各種の職人の他、フィレンツェをはじめとする外国商人、ブルゴーニュ宮廷の貴族なども含む会員数200名を超える社交クラブ的組織
- ^ 例:『最後の審判』の大天使の鎧など
- ^ 岡部紘三 1997
- ^ National Museum in Gdańsk's page on the painting
- ^ 洗礼者聖ヨハネと福音書記者聖ヨハネの三連画の各パネルが見られるサイト
- ^ 聖女ウルスラの聖遺物箱の各パネルが見られるサイト
- ^ King, Donald and Sylvester, David eds. The Eastern Carpet in the Western World, From the 15th to the 17th century, p. 57, en:Arts Council of Great Britain, London, 1983, ISBN 0-7287-0362-9
参考文献
- 岡部紘三, フランドルの祭壇画, 勁草書房, 1997
- Max J. Friedlander van Eyk to Breughel, Cornell Paperbooks/Paidon Books (1981/1956) 邦訳:マックス J. フリートレンダー, ネーデルラント絵画史 ヴァン・エイクからブリューゲルまで(美術名著選書 24) 斎藤 稔/他 訳, 岩崎美術社, 1983
- Dirk De Vos, Hans Memling Complete Works, 1994, London
- Faggin, Giorgio T. (1973). Tout l'Ouvre peint de Memling. Les Classique de l’Art. Paris: Flammarion.
- Max J. Friedlader, Early Netherlandish Painting, vol VI,part 1, translated from Alt Nedellandish Marlei(1924-1937) by Heinz Norden, 1971, Leiden
- Fierens-Gevaert, La peinture a Bruges. Guide historique et critique, G.Van OEST et Cie, Bruxelles et Paris, 1922