「レダと白鳥 (レオナルド)」の版間の差分
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レオナルド自身によって制作された『レダと白鳥』の完成作が存在した可能性はあり、実際にレオナルド・ダ・ヴィンチの死後に本人が制作したと思われる『レダと白鳥』についての言及がいくつか見られる。しかしレオナルド派の多くの複製では背景などいくつかの点において不一致が見られるため、完成作までは制作せず、カルトンのみに留まったのではないかという見解もある{{sfn|池上英洋|2017|p=83-84}}<ref name="神話">『神話・神々をめぐる女たち』p.90。</ref>。レオナルド・ダ・ヴィンチの3つの基本的な伝記でレダについて言及しているは{{仮リンク|アノニモ・ガディアーノ|en|Anonimo Gaddiano}}だけであり<ref>Manuscrit conservé à la bibliothèque Laurentienne de Florence, publié par André Chastel dans ''Léonard de Vinci, Traité de la peinture'', Berger-Levrault, 1987, p.34-38</ref>、[[ジョルジョ・ヴァザーリ]]はこの点について言及していない。レダの言及は[[ジャン・ジャコモ・カプロッティ|サライ]]の死後の財産の目録にあり、リストされた絵画の中で(たとえば『[[モナ・リザ]]』を越える)最大の価値がつけられている。16世紀の画家兼理論家{{仮リンク|ジョバンニ・パオロ・ロマッツォ|en|Giovanni Paolo Lomazzo}}は、本作品を「白鳥を抱きしめる裸のレダ、彼女の目は臆病に下がった」と説明している<ref>Giovann Paolo Lomazzo, Trattato della Pittura, 1584.</ref>。[[ニコラ・プッサン]]の友人であり後援者である{{仮リンク|カッシアーノ・ダル・ポッツォ|en|Cassiano dal Pozzo}}はフランスの枢機卿{{仮リンク|フランチェスコ・バルベリーニ (1597年–1679年)|en|Francesco Barberini (1597–1679)|label=フランチェスコ・バルベリーニ}}の外交使節の一員であった1625年に、[[フォンテーヌブロー宮殿]]で絵画を見る機会があった。彼は貴重な証言を残している。「立っているレダは、ほとんど裸で白鳥と2つの卵をともなっており、その卵の殻から4人の子供(カストルとクリュタイムネストラ、ポルデウケスとヘレネ)が孵化したように見える。この作品は非常に完成されているが、特に女性の古色は非常に乾燥しており、風景と残りの部分は非常に勤勉に(細心の注意を払って)制作されている。3枚の長い板がバラバラになっていて、塗装の一部が剥がれているため、状態が悪い」<ref>Manuscrit conservé à la Bibliothèque Barberini, cité par Françoise Viatte dans Léonard de Vinci, Dessins et manuscrits, rmn, 2003, p.301-304.</ref>。この絵画は1625年のカッシアーノ・ダル・ポッツォの説明に最後に登場する<ref>Wallace, Robert (1966). The World of Leonardo: 1452–1519. New York: Time-Life Books. pp.127, 160, 161.</ref>。レオナルド・ダ・ヴィンチの完成された作品があったとすれば、フォンテーヌブロー宮殿で記録された作品が該当すると考えられている。いずれにせよ、フォンテーヌブロー宮殿には1540年、1625年、1642年、1692年に立像の『レダと白鳥』が所蔵されていたことが記録されており、1694年に記録されたのを最後に1775年以前に失われている{{sfn|池上英洋|2017|p=83-84}}。 |
レオナルド自身によって制作された『レダと白鳥』の完成作が存在した可能性はあり、実際にレオナルド・ダ・ヴィンチの死後に本人が制作したと思われる『レダと白鳥』についての言及がいくつか見られる。しかしレオナルド派の多くの複製では背景などいくつかの点において不一致が見られるため、完成作までは制作せず、カルトンのみに留まったのではないかという見解もある{{sfn|池上英洋|2017|p=83-84}}<ref name="神話">『神話・神々をめぐる女たち』p.90。</ref>。レオナルド・ダ・ヴィンチの3つの基本的な伝記でレダについて言及しているは{{仮リンク|アノニモ・ガディアーノ|en|Anonimo Gaddiano}}だけであり<ref>Manuscrit conservé à la bibliothèque Laurentienne de Florence, publié par André Chastel dans ''Léonard de Vinci, Traité de la peinture'', Berger-Levrault, 1987, p.34-38</ref>、[[ジョルジョ・ヴァザーリ]]はこの点について言及していない。レダの言及は[[ジャン・ジャコモ・カプロッティ|サライ]]の死後の財産の目録にあり、リストされた絵画の中で(たとえば『[[モナ・リザ]]』を越える)最大の価値がつけられている。16世紀の画家兼理論家{{仮リンク|ジョバンニ・パオロ・ロマッツォ|en|Giovanni Paolo Lomazzo}}は、本作品を「白鳥を抱きしめる裸のレダ、彼女の目は臆病に下がった」と説明している<ref>Giovann Paolo Lomazzo, Trattato della Pittura, 1584.</ref>。[[ニコラ・プッサン]]の友人であり後援者である{{仮リンク|カッシアーノ・ダル・ポッツォ|en|Cassiano dal Pozzo}}はフランスの枢機卿{{仮リンク|フランチェスコ・バルベリーニ (1597年–1679年)|en|Francesco Barberini (1597–1679)|label=フランチェスコ・バルベリーニ}}の外交使節の一員であった1625年に、[[フォンテーヌブロー宮殿]]で絵画を見る機会があった。彼は貴重な証言を残している。「立っているレダは、ほとんど裸で白鳥と2つの卵をともなっており、その卵の殻から4人の子供(カストルとクリュタイムネストラ、ポルデウケスとヘレネ)が孵化したように見える。この作品は非常に完成されているが、特に女性の古色は非常に乾燥しており、風景と残りの部分は非常に勤勉に(細心の注意を払って)制作されている。3枚の長い板がバラバラになっていて、塗装の一部が剥がれているため、状態が悪い」<ref>Manuscrit conservé à la Bibliothèque Barberini, cité par Françoise Viatte dans Léonard de Vinci, Dessins et manuscrits, rmn, 2003, p.301-304.</ref>。この絵画は1625年のカッシアーノ・ダル・ポッツォの説明に最後に登場する<ref>Wallace, Robert (1966). The World of Leonardo: 1452–1519. New York: Time-Life Books. pp.127, 160, 161.</ref>。レオナルド・ダ・ヴィンチの完成された作品があったとすれば、フォンテーヌブロー宮殿で記録された作品が該当すると考えられている。いずれにせよ、フォンテーヌブロー宮殿には1540年、1625年、1642年、1692年に立像の『レダと白鳥』が所蔵されていたことが記録されており、1694年に記録されたのを最後に1775年以前に失われている{{sfn|池上英洋|2017|p=83-84}}。 |
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原寸大カルトンはレオナルド・ダ・ヴィンチの死後、﹃{{仮リンク|アトランティコ手稿|en|Codex Atlanticus}}﹄などとともに |
原寸大カルトンはレオナルド・ダ・ヴィンチの死後、﹃{{仮リンク|アトランティコ手稿|en|Codex Atlanticus}}﹄などとともに[[フランチェスコ・メルツィ]]に相続されたらしく、[[彫刻家]]{{仮リンク|ポンペオ・レオーニ|it|Pompeo Leoni}}の手を経てアルコナーティ家のコレクションに入った。その後、1721年にカゼネディ家に移ったが、1730年のカゼネディ家の記録を最後に所在が分からなくなり、失われたと考えられている{{sfn|池上英洋|2017|p=83-84}}。
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== ひざまずくレダ == |
== ひざまずくレダ == |
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== 立っているレダ == |
== 立っているレダ == |
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[[File:Leda and the Swan 1505-1510.jpg|thumb|180px|[[チェザーレ・ダ・セスト]]版『レダと白鳥』。]] |
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[[File:Leda and the Swan 1510-1515.jpg|thumb|180px|[[ボルゲーゼ美術館]]版﹃[[レダと白鳥 (ボルゲーゼ美術館)|レダと白鳥]]﹄。]]
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[[File:Leda and the Swan 1510-1515.jpg|thumb|180px|[[ボルゲーゼ美術館]]版﹃[[レダと白鳥 (ボルゲーゼ美術館)|レダと白鳥]]﹄。]]
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===チェザーレ・ダ・セスト版=== |
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この作品は[[ソールズベリー]]の[[ペンブルック伯爵]]の{{仮リンク|ウィルトン・ハウス|en|Wilton House|label=ウィルトン・ハウス・トラスト}}に所蔵されている。失われたレオナルド・ダ・ヴィンチの原作の模写として知られ、弟子の |
この作品は[[ソールズベリー]]の[[ペンブルック伯爵]]の{{仮リンク|ウィルトン・ハウス|en|Wilton House|label=ウィルトン・ハウス・トラスト}}に所蔵されている。失われたレオナルド・ダ・ヴィンチの原作の模写として知られ、弟子の[[チェザーレ・ダ・セスト]]によって制作されたことが確実視されている。このバージョンはおそらくアランデル卿のコレクションに由来している。一般的に師に最も忠実であると考えられ、特にレダの頭部はウィンザー城のロイヤル・コレクション︵RL.12516r︶に所蔵されているレダの頭部の習作と非常によく似ている{{sfn|池上英洋|2017|p=69}}。
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===ボルゲーゼ美術館版=== |
===ボルゲーゼ美術館版=== |
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これは[[ローマ]]の[[ボルゲーゼ美術館]]に所蔵されているバージョンである。最初の記録である1693年のボルゲーゼ家の財産目録ではレオナルド・ダ・ヴィンチに帰属されていた。19世紀以降は制作者として[[ソドマ]]、[[バッキアッカ]]、[[ジュリアーノ・ブジャルディーニ]]、 |
これは[[ローマ]]の[[ボルゲーゼ美術館]]に所蔵されているバージョンである。最初の記録である1693年のボルゲーゼ家の財産目録ではレオナルド・ダ・ヴィンチに帰属されていた。19世紀以降は制作者として[[ソドマ]]、[[バッキアッカ]]、[[ジュリアーノ・ブジャルディーニ]]、[[フランチェスコ・メルツィ]]らの名が挙げられているが、様式的な研究からは否定的な結果が出ている。科学的調査はもともと2つの卵と4人の子どもが描かれていたが、後代の加筆で現在の姿になったことを明らかにしている{{sfn|池上英洋|2017|p=69}}。
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===ウフィツィ美術館版=== |
===ウフィツィ美術館版=== |
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
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* {{Cite book|和書 |author=責任編集: 友部直, 企画・監修: 中山公男, 高階秀爾 |title=神話・神々をめぐる女たち |publisher=集英社 |year=1979 |series=全集美術のなかの裸婦 3 / 座右宝刊行会編集 |NCID=BN02925020 |id={{全国書誌番号|80011392}} |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001441960-00 |ref=harv}} |
* {{Cite book|和書 |author=責任編集: 友部直, 企画・監修: 中山公男, 高階秀爾 |title=神話・神々をめぐる女たち |publisher=集英社 |year=1979 |series=全集美術のなかの裸婦 3 / 座右宝刊行会編集 |NCID=BN02925020 |id={{全国書誌番号|80011392}} |url=https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001441960-00 |ref=harv}} |
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* {{ |
* {{cite journal|和書|author=[[池上英洋]] |date=2017-03 |url=https://zokei.repo.nii.ac.jp/records/16 |title=レオナルド派<レダと白鳥>再考――主題と源泉、伝播経路 |journal=東京造形大学研究報 |issue=18 |pages=056-087 |naid=120006410240 |CRID=1050564287756226816 |ref=harv}} |
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* Françoise Viatte, in Léonard de Vinci, Dessins et manuscrits, RMN (2003) |
* Françoise Viatte, in Léonard de Vinci, Dessins et manuscrits, RMN (2003) |
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2024年1月9日 (火) 02:00時点における最新版
イタリア語: Leda e il cigno 英語: Leda and the Swan | |
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作者 | レオナルド・ダ・ヴィンチ(逸名画家、おそらくチェザーレ・ダ・セストによる複製の1つ) |
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種類 | テンペラ、板 |
所蔵 | 現存せず(おそらく破棄あるいは紛失) |
概要
[編集]![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/3c/Raffaello%2C_studio_della_leda_e_il_cigno_di_leonardo.jpg/240px-Raffaello%2C_studio_della_leda_e_il_cigno_di_leonardo.jpg)
ひざまずくレダ
[編集]![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7e/Study_for_the_Kneeling_Leda.jpg/180px-Study_for_the_Kneeling_Leda.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/fc/Leonardo_da_Vinci_-_Study_for_a_kneeling_Leda_-_WGA12756.jpg/180px-Leonardo_da_Vinci_-_Study_for_a_kneeling_Leda_-_WGA12756.jpg)
ひざまずくレダの習作(チャッツワース版)
[編集]ひざまずくレダの習作(ボイマンス版)
[編集]馬の隣に描かれた素描
[編集]![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f3/Leonardo_da_Vinci_-_RCIN_912337%2C_Recto_A_horse_and_rider%2C_and_studies_for_Leda.jpg/180px-Leonardo_da_Vinci_-_RCIN_912337%2C_Recto_A_horse_and_rider%2C_and_studies_for_Leda.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1e/Leda_gianpedrini.jpg/180px-Leda_gianpedrini.jpg)
ジャンピエトリーノ版
[編集]立っているレダ
[編集]チェザーレ・ダ・セスト版
[編集]ボルゲーゼ美術館版
[編集]ウフィツィ美術館版
[編集]フィラデルフィア美術館版
[編集]ヘイスティング版
[編集]ヘイスティングズ侯爵のコレクションに所属していた作品。現在はロンドンのギブス・コレクションに所蔵されている[15]。
腰巻のレダ
[編集]ルーヴル美術館の素描による模写
[編集]ラファエロの模写
[編集]ロイヤル・コレクションとして、ウィンザー城の王立美術館に所蔵されている作品である。青年時代のラファエロがおそらくレオナルド・ダ・ヴィンチのオリジナルに基づいて制作した素描による模写である。こうした模写を行うことでラファエロがレオナルド・ダ・ヴィンチの芸術を吸収したことはよく知られており、ラファエロが本作品から影響を受けて『ガラテイアの勝利』といった作品を制作したことが指摘されている。
ジャンピエトリーノ『ヴィーナスとキューピッド』
[編集]この作品はミラノのネンビリーニ・コレクションに所蔵されている。レオナルド・ダ・ヴィンチの弟子ジャンピエトリーノに帰属されている本作品は、ヴィーナスのポーズにレダとの明確な影響を見ることができる。ジャンピエトリーノの他の作品との関連などから1510年代半ばの作と推定している[20]。
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フィラデルフィア版
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ヘイスティング版
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ルーヴル美術館所蔵の模写
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ジャンピエトリーノの『ヴィーナスとキューピッド』
レダの頭部の習作
[編集]ウィンザー城版:Inv no.12515
[編集]紙にペンとインクで描かれている。髪は顔の左側面に緩めの小環でコイル状に編まれている。髪に比べて顔の質が低く、レオナルド・ダ・ヴィンチは顔を空白のままにした可能性があり、後から弟子が描き込んだことが考えられる[21]。左側に「questa sipo / levare eppo / re sanza gu/ asstarsi」とメモされている[22]。
ウィンザー城版:Inv no.12516
[編集]紙にペンとインク、黒チョークで描かれている。1枚の紙片にレダの頭部が4つの角度から素描されている。レオナルド・ダ・ヴィンチの関心を捉えていた者は女性の表情というよりは髪型の方にある。非常に緻密であるため、実物を見て描いたものでないとされている[22]。
ウィンザー城版:Inv no.12517
[編集]紙にペンとインク、黒チョークで描かれている。髪は顔の左側面に三つ編みでひだ状に配置されている。12515と同様、髪に比べて顔の質が低く、レオナルド・ダ・ヴィンチは顔を空白のまま残し、後から弟子が描き込んだことが考えられる[23]。
ウィンザー城版:Inv no.12518
[編集]紙にペンとインク、黒チョークで描かれている。髪は手の込んだ三つ編みでコイル状に固定されている[24]。
スフォルツェスコ城美術館版
[編集]スフォルツェスコ城美術館に所蔵されているもので、紙に赤チョークで描かれている。美術史家ジョヴァンニ・モレッリは1890年にソドマに帰属したが、アドルフォ・ヴェントゥーリは1921年にレオナルド・ダ・ヴィンチに帰属した。カルロ・ペドレッティやアレッサンドロ・ヴェッツォージはヴェントゥーリを支持したが、異論も多く、ピエトロ・マラーニ(Pietro Marani)やマリア・テレーザ・フィオリオ(Maria Teresa Fiorio)たちはレオナルド・ダ・ヴィンチからの模写と考えており、フィオリオはジャンピエトリーノの作ではないかとしている[22]。
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レダの頭部の習作(Inv no.12515) ウィンザー城所蔵
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レダの頭部の習作(Inv no.12517) ウィンザー城所蔵
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レダの頭部の習作(Inv no.12518) ウィンザー城所蔵
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レダの頭部の習作 スフォルツェスコ城美術館所蔵
影響
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ヤコポ・ダ・ポントルモ『レダと白鳥』1512年-1515年頃 ウフィツィ美術館所蔵
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アンドレア・デル・サルト『レダと白鳥』1513年-1515年頃 ベルギー王立美術館所蔵
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バッキアッカ『レダと白鳥』1518年-1520年頃 ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館所蔵
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バッキアッカ『レダと白鳥』 メトロポリタン美術館所蔵