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「レダと白鳥 (レオナルド)」の版間の差分

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| artist = [[レオナルド・ダ・ヴィンチ]](逸名画家、おそらく{{仮リンク|チェザーレ・ダ・セスト|en|Cesare da Sesto}}による複製の1つ)

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== 概要 ==

== 概要 ==

[[File:Raffaello, studio della leda e il cigno di leonardo.jpg|thumb|240px|ラファエロによる模写。]]

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原寸大カルトンはレオナルド・ダ・ヴィンチの死後、『{{仮リンク|アトランティコ手稿|en|Codex Atlanticus}}』などとともに{{仮リンク|フランチェスコ・メルツィ|en|Francesco Melzi}}に相続されたらしく、[[彫刻家]]{{仮リンク|ポンペオ・レオーニ|it|Pompeo Leoni}}の手を経てアルコナーティ家のコレクションに入った。その後、1721年にカゼネディ家に移ったが、1730年のカゼネディ家の記録を最後に所在が分からなくなり、失われたと考えられている<ref name=IH8384 />。

原寸大カルトンはレオナルド・ダ・ヴィンチの死後、『{{仮リンク|アトランティコ手稿|en|Codex Atlanticus}}』などとともに{{仮リンク|フランチェスコ・メルツィ|en|Francesco Melzi}}に相続されたらしく、[[彫刻家]]{{仮リンク|ポンペオ・レオーニ|it|Pompeo Leoni}}の手を経てアルコナーティ家のコレクションに入った。その後、1721年にカゼネディ家に移ったが、1730年のカゼネディ家の記録を最後に所在が分からなくなり、失われたと考えられている<ref name=IH8384 />。

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===ボルゲーゼ美術館版===

===ボルゲーゼ美術館版===


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===ウフィツィ美術館版===

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===フィラデルフィア美術館版===

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===ヘイスティング版===

===ヘイスティング版===

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ロイヤル・コレクションとして、ウィンザー城の王立美術館に所蔵されている作品である。青年時代のラファエロがおそらくレオナルド・ダ・ヴィンチのオリジナルに基づいて制作した素描による模写である。こうした模写を行うことでラファエロがレオナルド・ダ・ヴィンチの芸術を吸収したことはよく知られており、ラファエロが本作品から影響を受けて『[[ガラテイアの勝利]]』といった作品を制作したことが指摘されている。

ロイヤル・コレクションとして、ウィンザー城の王立美術館に所蔵されている作品である。青年時代のラファエロがおそらくレオナルド・ダ・ヴィンチのオリジナルに基づいて制作した素描による模写である。こうした模写を行うことでラファエロがレオナルド・ダ・ヴィンチの芸術を吸収したことはよく知られており、ラファエロが本作品から影響を受けて『[[ガラテイアの勝利]]』といった作品を制作したことが指摘されている。



===ジャンピエトリーノ『ヴィーナスとキューピッド』===

===ジャンピエトリーノ『ヴィーナスとキューピッド』===

この作品は[[ミラノ]]のネンビリーニ・コレクションに所蔵されている。レオナルド・ダ・ヴィンチの弟子ジャンピエトリーノに帰属されている本作品は、ヴィーナスのポーズにレダとの明確な影響を見ることができる。ジャンピエトリーノの他の作品との関連などから1510年代半ばの作と推定している。

この作品は[[ミラノ]]のネンビリーニ・コレクションに所蔵されている。レオナルド・ダ・ヴィンチの弟子ジャンピエトリーノに帰属されている本作品は、ヴィーナスのポーズにレダとの明確な影響を見ることができる。ジャンピエトリーノの他の作品との関連などから1510年代半ばの作と推定している。



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レオナルド・ダ・ヴィンチのレダの頭部の習作が何点か残されている。その多くはロイヤル・コレクションの一部としてウィンザー城の王立図書館に所蔵されている。

レオナルド・ダ・ヴィンチのレダの頭部の習作が何点か残されている。その多くはロイヤル・コレクションの一部としてウィンザー城の王立図書館に所蔵されている。



===レダの頭部の習作 (ウィンザー城:Inv no.12515)===

===レダの頭部の習作(ウィンザー城:Inv no.12515)===

紙にペンとインクで描かれている。髪は顔の左側面に緩めの小環でコイル状に編まれている。髪に比べて顔の質が低く、レオナルド・ダ・ヴィンチは顔を空白のままにした可能性があり、後から弟子が描き込んだことが考えられる<ref>{{cite web|title=The head of Leda c.1505-6, RCIN 912515 |accessdate=2021/07/21 |url=https://www.rct.uk/collection/912515/the-head-of-leda |publisher=ロイヤル・コレクション・トラスト公式サイト}}</ref>。左側に「questa sipo / levare eppo / re sanza gu/ asstarsi」とメモされている<ref name=IH6768>池上英洋、p.67-68。</ref>。

紙にペンとインクで描かれている。髪は顔の左側面に緩めの小環でコイル状に編まれている。髪に比べて顔の質が低く、レオナルド・ダ・ヴィンチは顔を空白のままにした可能性があり、後から弟子が描き込んだことが考えられる<ref>{{cite web|title=The head of Leda c.1505-6, RCIN 912515 |accessdate=2021/07/21 |url=https://www.rct.uk/collection/912515/the-head-of-leda |publisher=ロイヤル・コレクション・トラスト公式サイト}}</ref>。左側に「questa sipo / levare eppo / re sanza gu/ asstarsi」とメモされている<ref name=IH6768>池上英洋、p.67-68。</ref>。



===レダの頭部の習作 (ウィンザー城:Inv no.12516)===

===レダの頭部の習作(ウィンザー城:Inv no.12516)===

紙にペンとインク、黒チョークで描かれている。1枚の紙片にレダの頭部が4つの角度から素描されている。レオナルド・ダ・ヴィンチの関心を捉えていた者は女性の表情というよりは髪型の方にある。非常に緻密であるため、実物を見て描いたものでないとされている<ref name=IH6768 />。

紙にペンとインク、黒チョークで描かれている。1枚の紙片にレダの頭部が4つの角度から素描されている。レオナルド・ダ・ヴィンチの関心を捉えていた者は女性の表情というよりは髪型の方にある。非常に緻密であるため、実物を見て描いたものでないとされている<ref name=IH6768 />。



===レダの頭部の習作 (ウィンザー城:Inv no.12517)===

===レダの頭部の習作(ウィンザー城:Inv no.12517)===

紙にペンとインク、黒チョークで描かれている。髪は顔の左側面に三つ編みでひだ状に配置されている。12515と同様、髪に比べて顔の質が低く、レオナルド・ダ・ヴィンチは顔を空白のまま残し、後から弟子が描き込んだことが考えられる<ref>{{cite web|title=The head of Leda c.1505-6, RCIN 912517 |accessdate=2021/07/21 |url=https://www.rct.uk/collection/912517/the-head-of-leda |publisher=ロイヤル・コレクション・トラスト公式サイト}}</ref>。

紙にペンとインク、黒チョークで描かれている。髪は顔の左側面に三つ編みでひだ状に配置されている。12515と同様、髪に比べて顔の質が低く、レオナルド・ダ・ヴィンチは顔を空白のまま残し、後から弟子が描き込んだことが考えられる<ref>{{cite web|title=The head of Leda c.1505-6, RCIN 912517 |accessdate=2021/07/21 |url=https://www.rct.uk/collection/912517/the-head-of-leda |publisher=ロイヤル・コレクション・トラスト公式サイト}}</ref>。



===レダの頭部の習作 (ウィンザー城:Inv no.12518)===

===レダの頭部の習作(ウィンザー城:Inv no.12518)===

紙にペンとインク、黒チョークで描かれている。髪は手の込んだ三つ編みでコイル状に固定されている<ref>{{cite web|title=The head of Leda c.1505-6, RCIN 912518 |accessdate=2021/07/21 |url=https://www.rct.uk/collection/912518/the-head-of-leda |publisher=ロイヤル・コレクション・トラスト公式サイト}}</ref>。

紙にペンとインク、黒チョークで描かれている。髪は手の込んだ三つ編みでコイル状に固定されている<ref>{{cite web|title=The head of Leda c.1505-6, RCIN 912518 |accessdate=2021/07/21 |url=https://www.rct.uk/collection/912518/the-head-of-leda |publisher=ロイヤル・コレクション・トラスト公式サイト}}</ref>。


===レダの頭部の習作(スフォルツェスコ城美術館版)===

[[スフォルツェスコ城美術館]]に所蔵されているもので、紙に赤チョークで描かれている。美術史家[[ジョヴァンニ・モレッリ]]は1890年にソドマに帰属したが、{{仮リンク|アドルフォ・ヴェントゥーリ|en|Adolfo Venturi}}は1921年にレオナルド・ダ・ヴィンチに帰属した。{{仮リンク|カルロ・ペドレッティ|en|Carlo Pedretti}}や{{仮リンク|アレッサンドロ・ヴェッツォージ|en|Alessandro Vezzosi}}はヴェントゥーリを支持したが、異論も多く、ピエトロ・マラーニ(Pietro Marani)やマリア・テレーザ・フィオリオ({Maria Teresa Fiorio)たちはレオナルド・ダ・ヴィンチからの模写と考えており、フィオリオはジャンピエトリーノの作ではないかとしている<ref name=IH6768 />。



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2021年8月16日 (月) 21:51時点における版

『レダと白鳥』
イタリア語: Leda e il cigno
英語: Leda and the Swan
作者レオナルド・ダ・ヴィンチ(逸名画家、おそらくチェザーレ・ダ・セストによる複製の1つ)
種類テンペラ、板
所蔵現存せず(おそらく破棄あるいは紛失)

: Leda col cigno, : Leda and the Swan1692姿24

概要

ラファエロによる模写。

2112Daniel Arasse[1]15031504姿1508151311505[2]姿241Jacomo Alfeo[3]

[2][4]3[5]16[6]使1625殿243[7]1625[8]殿殿154016251642169216941775[2]

稿17211730[2]

ひざまずくレダ

チャッチワースのレダ。
ボイマンダのレダ。

1503[9]

ひざまずくレダの習作(チャッツワース版)


1504Françoise Viatte使[10] [11] 

ひざまずくレダの習作(ボイマンス版)


15041718Lionardo da Vinci21850812201940DG

馬の隣に描かれた素描

馬の隣に描かれた素描。
ジャンピエトリーノ版。

21503[12]

ジャンピエトリーノ版


174917568[13][13]18061835

調[13]1Zöllner15081513[14]

立っているレダ


沿

チェザーレ・ダ・セスト版


RL.12516r[15]

ボルゲーゼ美術館版


169319調24姿[15]

ウフィツィ美術館版


Spiridon Ledamarquis de la RozièreBaron de RoubléLudovico Spiridon1948[16][17]

フィラデルフィア美術館版


1917[15][18]

ヘイスティング版

ヘイスティングズ侯爵のコレクションに所属していた作品。現在はロンドンのギブス・コレクションに所蔵されている[15]

腰巻のレダ


18Leonardo dauincj2000[19]

ルーヴル美術館の素描による模写


161530[19]

ラファエロの模写

ロイヤル・コレクションとして、ウィンザー城の王立美術館に所蔵されている作品である。青年時代のラファエロがおそらくレオナルド・ダ・ヴィンチのオリジナルに基づいて制作した素描による模写である。こうした模写を行うことでラファエロがレオナルド・ダ・ヴィンチの芸術を吸収したことはよく知られており、ラファエロが本作品から影響を受けて『ガラテイアの勝利』といった作品を制作したことが指摘されている。

ジャンピエトリーノ『ヴィーナスとキューピッド』

この作品はミラノのネンビリーニ・コレクションに所蔵されている。レオナルド・ダ・ヴィンチの弟子ジャンピエトリーノに帰属されている本作品は、ヴィーナスのポーズにレダとの明確な影響を見ることができる。ジャンピエトリーノの他の作品との関連などから1510年代半ばの作と推定している。

レダの頭部の習作

Inv no.12516


レダの頭部の習作(ウィンザー城:Inv no.12515)

紙にペンとインクで描かれている。髪は顔の左側面に緩めの小環でコイル状に編まれている。髪に比べて顔の質が低く、レオナルド・ダ・ヴィンチは顔を空白のままにした可能性があり、後から弟子が描き込んだことが考えられる[20]。左側に「questa sipo / levare eppo / re sanza gu/ asstarsi」とメモされている[21]

レダの頭部の習作(ウィンザー城:Inv no.12516)

紙にペンとインク、黒チョークで描かれている。1枚の紙片にレダの頭部が4つの角度から素描されている。レオナルド・ダ・ヴィンチの関心を捉えていた者は女性の表情というよりは髪型の方にある。非常に緻密であるため、実物を見て描いたものでないとされている[21]

レダの頭部の習作(ウィンザー城:Inv no.12517)

紙にペンとインク、黒チョークで描かれている。髪は顔の左側面に三つ編みでひだ状に配置されている。12515と同様、髪に比べて顔の質が低く、レオナルド・ダ・ヴィンチは顔を空白のまま残し、後から弟子が描き込んだことが考えられる[22]

レダの頭部の習作(ウィンザー城:Inv no.12518)

紙にペンとインク、黒チョークで描かれている。髪は手の込んだ三つ編みでコイル状に固定されている[23]

レダの頭部の習作(スフォルツェスコ城美術館版)

スフォルツェスコ城美術館に所蔵されているもので、紙に赤チョークで描かれている。美術史家ジョヴァンニ・モレッリは1890年にソドマに帰属したが、アドルフォ・ヴェントゥーリ英語版は1921年にレオナルド・ダ・ヴィンチに帰属した。カルロ・ペドレッティ英語版アレッサンドロ・ヴェッツォージ英語版はヴェントゥーリを支持したが、異論も多く、ピエトロ・マラーニ(Pietro Marani)やマリア・テレーザ・フィオリオ({Maria Teresa Fiorio)たちはレオナルド・ダ・ヴィンチからの模写と考えており、フィオリオはジャンピエトリーノの作ではないかとしている[21]

脚注



(一)^ Daniel Arasse, Léonard de Vinci, le rythme du monde, Hazan p. 420-428.

(二)^ abcdp.83-84

(三)^ Ms Windsor 128881. 

(四)^  3p.90

(五)^ Manuscrit conservé à la bibliothèque Laurentienne de Florence, publié par André Chastel dans Léonard de Vinci, Traité de la peinture, Berger-Levrault, 1987, p.34-38

(六)^ Giovann Paolo Lomazzo, Trattato della Pittura, 1584.

(七)^ Manuscrit conservé à la Bibliothèque Barberini, cité par Françoise Viatte dans Léonard de Vinci, Dessins et manuscrits, rmn, 2003, p.301-304.

(八)^ Wallace, Robert (1966). The World of Leonardo: 14521519. New York: Time-Life Books. pp.127, 160, 161.

(九)^ Études de cheval cabré et de cavaliers ; Léda et le Cygne (recto) ; Mortiers tirant des boulets (verso). Plume, encre et pierre noire, Windsor, RL 12337.

(十)^ Françoise Viatte, in Léonard de Vinci, Dessins et manuscrits, RMN 2003, p.301 - 304.

(11)^ Ms A, f.110 r.

(12)^ Recto: A horse and rider, and studies for Leda. Verso: Mortars bombarding a fortress c.1503-4.  . 2021815

(13)^ abcp.69-70

(14)^ Frank Zöllner, Léonard de Vinci, tout lœuvre peint et graphique, Taschen, 2003, p.246.

(15)^ abcdp.69

(16)^ Rodolfo Siviero, historien d'art ayant étudié à Florence et à Berlin ; L'opera ritrovata: omaggio a Rodolfo Siviero. Firenze, Cantini,1984.

(17)^ p.68

(18)^ Leda and the Swan.  . 2021721

(19)^ abp.70

(20)^ The head of Leda c.1505-6, RCIN 912515.  . 2021721

(21)^ abcp.67-68

(22)^ The head of Leda c.1505-6, RCIN 912517.  . 2021721

(23)^ The head of Leda c.1505-6, RCIN 912518.  . 2021721

参考文献