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==生涯==

[[金沢市]]に生れる。[[1910年]]明治学院卒業。ヨーロッパ中世に関心を持っていた彼は、まず[[ダンテ・アリギエーリ]]の『[[神曲]]』と『[[新生 (詩集)|新生]]』を翻訳した。[[1934年]]に[[ジャン・カルヴァン]]の『[[キリスト教綱要]]』を翻訳し、戦後の[[渡辺信夫]]訳がでるまで用いられた。「キリスト教綱要」の原稿は背丈の高さほどに達したという。[[中村敏]]は、戦前にアジアで「キリスト教綱要」の全訳を持っていたのは日本だけであり、日本では高度な神学書がいち早く翻訳されてきたと言っている。<ref>[[日本福音同盟]]『21世紀の福音派のパラダイムを求めて』[[いのちのことば社]]</ref>

[[金沢市]]に生れる。[[1910年]]明治学院卒業。ヨーロッパ中世に関心を持っていた彼は、まず[[ダンテ・アリギエーリ]]の『[[神曲]]』と『[[新生 (詩集)|新生]]』を翻訳した。[[1934年]]に[[ジャン・カルヴァン]]の『[[キリスト教綱要]]』を翻訳し、戦後の[[渡辺信夫]]訳がでるまで用いられた。「キリスト教綱要」の原稿は背丈の高さほどに達したという。[[中村敏]]は、戦前にアジアで「キリスト教綱要」の全訳を持っていたのは日本だけであり、日本では高度な神学書がいち早く翻訳されてきたと言っている。<ref>[[日本福音同盟]]『21世紀の福音派のパラダイムを求めて』[[いのちのことば社]]</ref>



[[アウグスティヌス]]の『[[告白 (アウグスティヌス)|告白]]』(『懺悔録』)、[[トマス・ア・ケンピス]]の『[[キリストに倣いて]]』も訳している。

[[アウグスティヌス]]の『[[告白 (アウグスティヌス)|告白]]』(『懺悔録』)、[[トマス・ア・ケンピス]]の『[[キリストに倣いて]]』も訳している。



==キリスト教綱要==

キリスト教綱要の訳者序で、2000年の長きキリスト教史上、あらゆる意味においての最大著作は、アウグスティヌスの『[[神の国]]』と[[トマス・アクィナス]]の『[[神学大全]]』とカルヴァンの『キリスト教綱要』との3書だとし、今日の我々にとって最も重要なのは、カルヴァンの『キリスト教綱要』であると述べ、「「カルヴィニズムは欧州を救うた」。それはまた世界をも救わねばならぬ。」「世界の将来は、カルヴィニズムの「神」にかかっているのである。」と主張している。

キリスト教綱要の訳者序で、2000年の長きキリスト教史上、あらゆる意味においての最大著作は、アウグスティヌスの『[[神の国]]』と[[トマス・アクィナス]]の『[[神学大全]]』とカルヴァンの『キリスト教綱要』との3書だとし、今日の我々にとって最も重要なのは、カルヴァンの『キリスト教綱要』であると述べ、「「カルヴィニズムは欧州を救うた」。それはまた世界をも救わねばならぬ。」「世界の将来は、カルヴィニズムの「神」にかかっているのである。」と主張している。


==讃美歌==

[[賛美歌]]の翻訳者であり、[[讃美歌 (1954年版)]]には、9番[[ちからの主を]]、12番[[めぐみゆたけき主を]]、24番[[父の神よ、夜は去りて]]、75番[[ものみなこぞりて]]、96番[[エサイの根より]]、102番[[もろびと声あげ]]、108番[[いざ歌え、いざ祝え]]、258番[[主よ、深き淵の|貴きみかみよ]]、304番[[まことなるみかみ]]、334番[[いつわりの世に]]、417番[[久しく待ちにし]]が収録されている。



==脚注==

==脚注==


2010年6月21日 (月) 16:32時点における版

中山昌樹

  1886410 - 194442


19101934稿[1]



20003


 (1954)912247596102108258304334417

脚注

  1. ^ 日本福音同盟『21世紀の福音派のパラダイムを求めて』いのちのことば社

著書

翻訳

参考

  • 「CALVIN」No.4 1962年12月10日 カルヴァン著作刊行会