「久保猪之吉」の版間の差分
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日本の[[耳鼻咽喉科学]]の先駆者「イノクボ先生」と呼ばれる。1903年に[[アルベルト・ルートヴィヒ大学フライブルク]]に留学すると{{仮リンク|グスタフ・キリアン|en|Gustav Killian}}教授の下で気管支鏡検査法・キリアン披裂を学び、1907年に帰国して京都帝国大学福岡医科大学教授に就任。耳鼻咽喉科教室を創設し、日本で初めて食道直達鏡を行った<ref>{{cite web|url=http://www.med.kyushu-u.ac.jp/campus/scene/popup03.html|title=日本耳鼻咽喉科学の開拓者 久保猪之吉|publisher=九州大学|accessdate=2015-12-08}}</ref>。[[1913年]]には[[コペンハーゲン]]で開催された第1回万国耳鼻咽喉科学会に日本代表として出席し、およそ半年かけてヨーロッパ諸国を視察している<ref>{{cite book|和書|title=鼻科学|author=久保猪之吉|publisher=博文館|location=東京|year=1913|NDC=496.5}} 3冊 (上・中・下) 1154ページ。</ref>。視察は[[1924年]]にも行った。[[1935年]]に名誉教授となり、東京へ移ると[[ルドルフ・トイスラー]]が創設した[[聖路加国際病院]]で耳鼻咽喉科の顧問を務めた。1939年死去、[[青山墓地]]に埋葬される。 |
2022年8月31日 (水) 10:23時点における版
大礼服着用の久保猪之吉(1934年) | |
生誕 |
1874年12月26日 日本・福島県二本松市 |
死没 |
1939年11月12日(64歳没) 日本・東京 |
国籍 | 日本 |
研究分野 | 耳鼻咽喉科学 |
研究機関 | 京都帝国大学福岡医科大学 |
出身校 | 東京帝国大学 |
主な受賞歴 | レジオンドヌール勲章 (1934年) |
補足 | |
国立科学アカデミー・レオポルディーナ会員 (1928年) | |
プロジェクト:人物伝 |
人物・来歴
陸奥国二本松藩の藩士久保常保の子として現在の福島県二本松市に生まれる。猪之吉の兄たちは、二本松藩士久保長一郎、戊辰戦争・二本松少年隊の久保鉄次郎13歳と久保豊三郎12歳として知られる。1900年、東京帝国大学医科大学を卒業、岡田和一郎の副手をつとめた後1903年に結婚、イタリアへ留学すると1907年に帰国し京都帝国大学福岡医科大学教授となる。俳人久保より江の夫。長塚節の主治医[1][2]。 日本の耳鼻咽喉科学の先駆者﹁イノクボ先生﹂と呼ばれる。1903年にアルベルト・ルートヴィヒ大学フライブルクに留学するとグスタフ・キリアン教授の下で気管支鏡検査法・キリアン披裂を学び、1907年に帰国して京都帝国大学福岡医科大学教授に就任。耳鼻咽喉科教室を創設し、日本で初めて食道直達鏡を行った[3]。1913年にはコペンハーゲンで開催された第1回万国耳鼻咽喉科学会に日本代表として出席し、およそ半年かけてヨーロッパ諸国を視察している[4]。視察は1924年にも行った。1935年に名誉教授となり、東京へ移るとルドルフ・トイスラーが創設した聖路加国際病院で耳鼻咽喉科の顧問を務めた。1939年死去、青山墓地に埋葬される。 また、歌人としては、落合直文に師事し、1898年尾上柴舟らと﹁いかづち会﹂を結成した。その後は俳句を始め、高浜虚子に師事する。1922年、初めて不如帰に取り上げられる。妻のより江とともに雑誌﹁エニグマ﹂︵1913年︶ を発行し、福岡在住のあいだ夫妻の住まいは文化人のつどうサロンともなり、柳原白蓮などの文人、また九州以外からも俳人や文人が集った[5]。栄典
●1931年︵昭和6年︶4月15日 - 従三位[6] ●1928年 ドイツ自然科学アカデミー・レオポルディーナ会員[7] ●1934年 フランスのレジオンドヌール勲章を受勲久保記念館
九州大学馬出キャンパスには博士の名を冠した博物館﹁久保記念館﹂および﹁久保猪之吉博士像﹂、﹁久保通り﹂[8]および﹁歌碑﹂[9]が存在する。久保記念館は1927年に開館した日本第1号の医学史専門の博物館で、1907年に久保が創設した耳鼻咽喉科教室の20周年を記念して建てられた。和風と西洋風の折衷様式の2階建てで収蔵品[10]には久保が洋の東西を問わず集めた耳鼻咽喉科に関わる書籍、論文、標本、機械、医療器具、図画に加えて、かつての同僚や知人から贈られた記念品も含む [11]。生涯に学術論文530本、医学史を取上げた原稿を多数執筆し、医学の分野のほかにも新聞寄稿ほか論考やエッセーなど[12]172本書いている。ギャラリー
脚注
執筆・編集
医学書、論文を除く。 ●久保猪之吉﹃耳鼻咽喉科史料展覧会目録及解説﹄久保記念館、千代町 (福岡県)、1927年。 ●久保猪之吉、松井太郎、掛下玉男、香宗我部壽 著、九州帝国大学医学部耳鼻咽喉学教室 編﹃九州帝国大学医学部耳鼻咽喉科学教室廿年史﹄ 第1巻、九州帝国大学、福岡、1927年。 ●久保ゐの吉﹃春潮集﹄京鹿子発行所、京都、1932年。 ●久保 猪之吉﹃外国船﹄久保猪之吉、福岡、1933年。 ●久保猪之吉﹃医学論文の書き方﹄ 後篇 第1、久保猪之吉、東京、1934年。 ●久保猪之吉﹃科學論文の書き方﹄ 後篇︵訂正第3版︶、養賢堂、東京、1938年。参考文献
● Festschrift Ino. Kubo zu seinem 60. Geburtstag, 26. Dezember 1934, von seinen ausländischen Freunden gewidmet. Tokyo: Herald Press. (1934) ﹃イノ・クボ60歳記念――1934年2月26日、海外の友人寄稿集﹄久保猪之吉の還暦祝いにヨーロッパとアメリカ・カナダから寄せられた友人や知人およそ50人の文章を378ページにわたりまとめたもの。ドイツ語、英語、フランス語、イタリア語などで執筆。 ●久保 猪之吉、高島巌 著、中野善達 編﹃聾唖 ; 歌ふ子供たち﹄ 第12巻、クレス、2008年9月。﹁日本耳鼻咽喉科學全書 第3卷ノ2 (聴器疾患 (2) ノ2) ﹂ (克誠堂書店昭和9年刊) と﹁歌う子供たち﹂ (萬里閣昭和14年刊) の複製。ISBNは﹃要支援児教育文献選集﹄1セットに対して。ISBN=978-4-8773-3432-1 ●ヴォルフガング・ミヒェル﹁﹃久保記念館‥日本初の医学博物館﹄九州大学医学部耳鼻咽喉科学教室開講百周年記念誌、2009年、143-149頁 (PDF) ﹂ ●柴田浩一﹃耳鼻咽喉科のパイオニア 久保猪之吉﹄梓書院、2018年︵243ページ︶ISBN: 978-4870356306関連項目
●柳原白蓮 ●聖路加国際病院 ●九州大学病院外部リンク
- 耳鼻咽喉科の先駆・権威者 久保猪之吉 - 二本松市 (アーカイブ)
- 日本耳鼻咽喉科学の開拓者 久保猪之吉 -九州大学
- Leopoldina - ドイツ国立科学アカデミー・レオポルディーナ (英語・ドイツ語)
- 地域社会貢献活動:ふるさと歴史シリーズ「博多に強くなろう」 - 西日本シティ銀行