佐伯有義
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佐伯 有義︵さえき ありよし、慶応3年10月24日︵1867年11月19日︶[1] - 昭和20年︵1945年︶9月25日︶は、神職・神道学者。富山県出身。
経歴
慶応3年︵1867年︶10月24日、代々立山雄山神社の祠職を勤める佐伯有久の子として、富山県中新川郡立山村岩峅寺に生まれる。明治15年︵1882年︶上京して皇典講究所へ入学、同20年︵1887年︶ に同所を卒業して、﹃古事類苑﹄の編纂等に携わり、同25年︵1892年︶宮内省掌典職を拝命、同28年︵1895年︶には気多神社︵現気多大社︶の宮司に任官、同38年︵1905年︶帝室制度調査局から﹁皇室諸令附式﹂の起草を嘱託され、同45年︵1912年︶六国史校訂材料取調掛、大正元年︵1912年︶大喪使事務官、翌2年︵1913年︶大礼使事務官を歴任し、同14年︵1925年︶に勅任待遇を受け、翌15年︵1926年︶従四位に叙される。昭和2年︵1927年︶に國學院大學の講師、同11年︵1936年︶に同教授となり、その間に無窮會東洋文化研究所講師も兼ねながら、特殊祭儀委員、礼典課長事務取扱を経て、同18年︵1943年︶学位論文﹁古代における朝儀の祭祀につきて﹂で國學院大學の文学博士号を受けた。昭和20年︵1945年︶9月25日、郷里富山での疎開中に没す。享年79。年譜
●慶応3年︵1867年︶10月24日 - 立山雄山神社の祠職佐伯家に生まれる。 ●明治15年︵1882年︶ - 皇典講究所へ入学。 ●明治20年︵1887年︶ - 皇典講究所卒業。 ●明治23年︵1890年︶ - ﹃古事類苑﹄の編纂を嘱託される。 ●明治25年︵1892年︶ - 掌典を拝命。 ●明治28年︵1895年︶ - 気多神社宮司に任官。 ●明治38年︵1905年︶ - 皇室諸令附式の起草を嘱託される。 ●明治45年︵1912年︶ - 六国史校訂材料取調掛に就任。 ●大正元年︵1912年︶ - 大喪使事務官に就任。 ●大正2年︵1913年︶ - 大礼使事務官に就任。 ●大正11年︵1922年︶ - 勲四等瑞宝章を受勲。 ●大正14年︵1925年︶ - 勅任待遇。 ●大正15年︵1926年︶ - 叙従四位。 ●昭和2年︵1927年︶ - 國學院大學講師に就任。 ●昭和11年︵1936年︶ - 國學院大學教授に就任。 ●昭和18年︵1943年︶ - 國學院大學文学博士。 ●昭和20年︵1945年︶9月25日 - 逝去。享年79。この節の加筆が望まれています。 |
栄典
編著書
著書
編書
脚注
参考文献
- 『東洋文化と明日』無窮會、昭和45年
- 『神道人名辞典』神社新報社、昭和61年 ISBN 4-915265-56-0