利用者‐会話:法難輪戸尊
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こんにちは、法難輪戸尊さん。はじめまして! ウィキペディア日本語版へようこそ!
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利用者:220.218.196.143です。
シャーロック・ホームズシリーズ編集へのご指摘の件、承知いたしました。
当方に荒らし等の意図は一切なくて、純粋にシャーロック・ホームズシリーズへのよりよい理解の助けになればと思ってのことでしたが、
そういった事情であれば、配慮を欠いていたかもしれません。
今後編集の際は、もっとルール・マナーに配慮し、違反しない記述態勢を取りますので、
法難輪戸尊さま、今後とも宜しくお願いいたします。--220.218.196.143 2012年6月23日 (土) 17:22 (UTC)
突然のお願いに対するお返事、ありがとうございます。ウィキペディアは、初見ではまず理解不能なほど複雑なルールであり、出典を示さずに書いてしまうとWikipedia:独自研究は載せない・Wikipedia:検証可能性・Wikipedia:出典を明記するなどに違反するので削除、出典となる資料を丸写しすると各国の著作権法やWikipedia:著作権などに違反するので削除、となってしまいます。というわけで、Wikipedia:信頼できる情報源に該当する資料を参照し、Wikipedia:中立的な観点などにも配慮しつつ、Wikipedia:スタイルマニュアルに従って執筆する必要があるわけです。非常にめんどうくさいですが一定の楽しさがあるのも事実で、私も趣味としてホームズ関連の記事を編集しています︵現状では出典のない記述だらけなので、これ以上増やさないようにしつつ、少しずつ改善しているところです︶。なお、220.218.196.143さんを荒らしと疑っていたわけではありません。非難・詰問されているように感じられたのであれば、お詫びします。今後とも宜しくお願いいたします。--法難輪戸尊︵会話︶ 2012年6月24日 (日) 08:17 (UTC)
あらすじの削除について
ソア橋について、﹁改稿のためあらすじ節削除﹂とありますが、なぜあらすじの削除が必要なのか、もう少し丁寧にご説明ください。--Ks︵会話︶ 2012年7月15日 (日) 08:27 (UTC)
つまり、あのあらすじを投入するために、既存のあらすじを消した、ということですね?私は、このやり方には問題が多いと思います。
●ます、ウィキペディアでは既存の文章はなるだけ生かす、という約束があります。どうしようもないものなら別ですが、一応それがある以上、それに加筆する形が求められます。あなたはこれまであらすじをあちこちに投下しているようですが、そこにはあらすじはなかったのでしょう?でも、ここにはあったのですよ。
●あらすじそのものも問題があります。あなたはWikipedia:あらすじの書き方を挙げていらっしゃいますが、それをちゃんと見てください。まず、最初の章に﹁物語のあらゆる場面、あらゆる出来事に触れる必要はありません﹂とありますね。﹁あらすじは極端に長くならないようにしてください﹂というのもあります。あなたの文は、原稿用紙で6枚ほどもある。原作は何ページですか?ほとんど、会話を抜いて文章を簡略化しただけじゃないですか?
●具体的に挙げれば、﹁私立諮問探偵のシャーロック・ホームズと伝記作家で医師のジョン・H・ワトスンが共同生活を送るロンドンのベーカー街221Bを﹂当たり前ですよね。﹁この世で最も素晴らしい女性﹂無駄な修辞ですよね。﹁+ ギブスンはホームズに向き合うと、グレイスの無実を証明すれば、金も名誉も思いのままだと傲慢な態度で話を始める。しかしホームズは興味を示さず冷ややかに対応し、グレイスとの関係を質問する。遠慮のない質問にギブスンは動揺するが、自分たちの関係は雇主と子どものために雇われた家庭教師というだけで他に何もない、と答えた。ホームズは、真実を話さないのでは依頼は引き受けられないと返し、ギブスンは激怒して立ち去る。しかし、グレイスの無実を証明できると思われる人物はホームズ以外にない。ギブスンは屈服し、戻ってくるとすべてを語り出す﹂このあたりの経緯、無くても困らないと思うのですが。いかがでしょうか?--Ks︵会話︶ 2012年7月15日 (日) 09:20 (UTC)
はじめまして、法難輪戸尊と申します。利用者:Ks様とははじめまして、だと思うのですが。挨拶も何もなく、いきなり﹁このやり方には問題が多いと思います﹂﹁これまであらすじをあちこちに投下しているようですが﹂﹁ちゃんと見てください﹂﹁当たり前ですよね﹂﹁無駄な修辞ですよね﹂などと一方的なご意見を書かれても対処に困ります。事実誤認の点もあり、気はすすみませんが具体的かつ詳細に返答します。できるだけ丁寧な文章になるよう推敲しましたが、随所にトゲが露出している点は、どうかご容赦を。 ﹁ます、ウィキペディアでは既存の文章はなるだけ生かす、という約束があります﹂とのことですが、知っています。これに対してはWikipedia:ページの編集は大胆にに基づく編集である、とお答えします。無論、こうしてKs様から異論が寄せられましたので、しばらくの間あらすじ節の改稿は控えることにしましょう。 ﹁あなたはこれまであらすじをあちこちに投下しているようですが、そこにはあらすじはなかったのでしょう?でも、ここにはあったのですよ﹂とのことですが、これは完全なる事実誤認です。履歴を少し調べるだけで分かりますが、これまで私が改稿を行った記事にも、あらすじはありました。私が始めてあらすじの改稿を行ったのはグロリア・スコット号事件で、その際にはきちんとノートで、このようなあらすじでどうかと意見を募集しています[1]。仮に私がKs様の立場であり、法難輪戸尊などという怪しげな新参者の編集方法がおかしいと思ったなら、まずはその投稿履歴を調べ、他に問題の編集がないか、ノートで関連する議論はないかなどを確認します。そのうえで原作を確認し、ノート:グロリア・スコット号事件で持論を展開するでしょう。 ﹁あなたはWikipedia:あらすじの書き方を挙げていらっしゃいますが、それをちゃんと見てください﹂とのことですが、ちゃんと見ています。自分の編集根拠として挙げた方針ですから。﹁﹁物語のあらゆる場面、あらゆる出来事に触れる必要はありません﹂とありますね﹂とのことですが、﹁あらゆる場面、あらゆる出来事﹂に触れてはいません。﹁ソア橋﹂を読めばすぐに分かることですが詳細に述べますと、原作では冒頭、ワトスンがまとめた依頼の記録が銀行の金庫室に保管してあると述べ、いくつかの“語られざる事件”に言及されています。これはシャーロッキアンにとっては極めて重要な記述ですが、読者にとってはどうでもいいのでカット。また、ギブスンが訪問する前、彼の使用人がやってきて、ギブスンが非情な性格の持ち主であり、妻に虐待を加えていたと訴え、信用しないようにと助言してくる場面もカット。この使用人は物語の後の場面でも登場しますが、グレイスの弁護士などと同様、存在そのものに触れていません。他に汽車内でのホームズとワトスンの会話などもカット。重要な場面、不要な場面を選別し、記述しているつもりです。改めて作品も読まず︵Ks様は記憶に頼っていると判断せざるを得ません︶、想像に基づいて話を進められても困ります。 ﹁﹁あらすじは極端に長くならないようにしてください﹂というのもあります。あなたの文は、原稿用紙で6枚ほどもある。原作は何ページですか?ほとんど、会話を抜いて文章を簡略化しただけじゃないですか?﹂とのことですが、なぜ、自分で原作が何ページなのか、﹁ほとんど、会話を抜いて文章を簡略化しただけ﹂なのか、調べようとしないのですか?原作が10枚であらすじが6枚なら、これは誰が見ても過剰でしょう。ですが、原作が60枚だったら?60000枚だったら? ﹁具体的に挙げれば、﹁私立諮問探偵のシャーロック・ホームズと伝記作家で医師のジョン・H・ワトスンが共同生活を送るロンドンのベーカー街221Bを﹂当たり前ですよね﹂とのことですが、当たり前ではありません。この項目を読む利用者全員が、ホームズについて詳しいとでもお考えなのでしょうか。あらすじの冒頭には、まず登場人物が何者なのかすぐに理解できるだけの簡単な紹介をおき、より詳しい説明が知りたい読者のために内部リンクも設置しておく。私はこういった意図で書いています。﹁ホームズはギブソンの依頼を受け、事件の調査に当たる﹂だけでは、シリーズを読んだことのない読者にはさっぱり分かりません。Ks様自身を基準にするのではなく、他の利用者のことも考慮してください。少なくとも、﹁私立諮問探偵のシャーロック・ホームズと伝記作家で医師のジョン・H・ワトスンが共同生活を送るロンドンのベーカー街221Bを﹂の部分から、削除すべき瑣末な情報があるとは考えません。うまい文章ではないので、推敲の余地はあるでしょうが。 ﹁﹁この世で最も素晴らしい女性﹂無駄な修辞ですよね。﹁+ ギブスンはホームズに向き合うと、︵中略︶ギブスンは屈服し、戻ってくるとすべてを語り出す﹂このあたりの経緯、無くても困らないと思うのですが。いかがでしょうか?﹂とのことですが、この記述には二つ理由があります。一つ目は、この事件において最後の大きなポイントとなる、﹁なぜ妻が自殺したのか?﹂という点に関係してくる、ギブスンの性格を端的にあらわす場面だからです。この部分が欠けると、ギブスンと妻、そしてグレイスの関係が把握しにくくなるのです。二つ目は、この場面に言及している資料があることです。﹃シャーロック・ホームズの事件簿﹄収録の短編に関しては、いわゆる﹁聖典性﹂についての疑いがあります。しかし、マーチン・デイキンは﹁ホームズが金鉱王ニール・ギブソンに対してとった態度は、ホームズの最良の姿である﹂として聖典のひとつと認め︵コナン・ドイル著、ベアリング=グールド解説と注﹃詳注版 シャーロック・ホームズ全集9﹄小池滋監訳、筑摩書房︿ちくま文庫﹀、1998年、93頁 ISBN 4-480-03279-7︶、W・W・ロブスンも﹁登場人物の性格描写、とりわけニール・ギブスンの性格描写は、充分に納得がいくものであり、プロットの取り扱いも優れている﹂としてその正当性を認めています︵コナン・ドイル著、W・W・ロブスン注・解説﹃シャーロック・ホームズ全集 第9巻 シャーロック・ホームズの事件簿﹄小林司・東山あかね、高田寛訳、河出書房新社、2002年、555頁 ISBN 4-309-61049-8︶。いずれこの件について加筆を行なう予定で、一連のあらすじが削除されてしまうと、彼らが何に基づいて意見を述べているのか不明になってしまうのです。私は何も考えずに編集しているのではなく、項目の将来像を見据えたうえで、こうしたあらすじを書いています。 最後に、あらすじの長さに関しては相対的な部分が大きいと考えます。現状のソア橋の項目では記述の大部分をあらすじが占め、このままではたしかに不適当です。しかし、私が同様にあらすじの改稿を行なった記事の現状をご覧ください。﹁赤毛組合﹂﹁最後の事件﹂﹁空き家の冒険﹂など、加筆によってあらすじの占める割合が大幅に低下していることがお分かりいただけると思います。そして、どの項目にも、まだまだ加筆の余地はあるのです。 以上、回答といたします。--法難輪戸尊︵会話︶ 2012年7月15日 (日) 14:21 (UTC)
はじめまして、法難輪戸尊と申します。利用者:Ks様とははじめまして、だと思うのですが。挨拶も何もなく、いきなり﹁このやり方には問題が多いと思います﹂﹁これまであらすじをあちこちに投下しているようですが﹂﹁ちゃんと見てください﹂﹁当たり前ですよね﹂﹁無駄な修辞ですよね﹂などと一方的なご意見を書かれても対処に困ります。事実誤認の点もあり、気はすすみませんが具体的かつ詳細に返答します。できるだけ丁寧な文章になるよう推敲しましたが、随所にトゲが露出している点は、どうかご容赦を。 ﹁ます、ウィキペディアでは既存の文章はなるだけ生かす、という約束があります﹂とのことですが、知っています。これに対してはWikipedia:ページの編集は大胆にに基づく編集である、とお答えします。無論、こうしてKs様から異論が寄せられましたので、しばらくの間あらすじ節の改稿は控えることにしましょう。 ﹁あなたはこれまであらすじをあちこちに投下しているようですが、そこにはあらすじはなかったのでしょう?でも、ここにはあったのですよ﹂とのことですが、これは完全なる事実誤認です。履歴を少し調べるだけで分かりますが、これまで私が改稿を行った記事にも、あらすじはありました。私が始めてあらすじの改稿を行ったのはグロリア・スコット号事件で、その際にはきちんとノートで、このようなあらすじでどうかと意見を募集しています[1]。仮に私がKs様の立場であり、法難輪戸尊などという怪しげな新参者の編集方法がおかしいと思ったなら、まずはその投稿履歴を調べ、他に問題の編集がないか、ノートで関連する議論はないかなどを確認します。そのうえで原作を確認し、ノート:グロリア・スコット号事件で持論を展開するでしょう。 ﹁あなたはWikipedia:あらすじの書き方を挙げていらっしゃいますが、それをちゃんと見てください﹂とのことですが、ちゃんと見ています。自分の編集根拠として挙げた方針ですから。﹁﹁物語のあらゆる場面、あらゆる出来事に触れる必要はありません﹂とありますね﹂とのことですが、﹁あらゆる場面、あらゆる出来事﹂に触れてはいません。﹁ソア橋﹂を読めばすぐに分かることですが詳細に述べますと、原作では冒頭、ワトスンがまとめた依頼の記録が銀行の金庫室に保管してあると述べ、いくつかの“語られざる事件”に言及されています。これはシャーロッキアンにとっては極めて重要な記述ですが、読者にとってはどうでもいいのでカット。また、ギブスンが訪問する前、彼の使用人がやってきて、ギブスンが非情な性格の持ち主であり、妻に虐待を加えていたと訴え、信用しないようにと助言してくる場面もカット。この使用人は物語の後の場面でも登場しますが、グレイスの弁護士などと同様、存在そのものに触れていません。他に汽車内でのホームズとワトスンの会話などもカット。重要な場面、不要な場面を選別し、記述しているつもりです。改めて作品も読まず︵Ks様は記憶に頼っていると判断せざるを得ません︶、想像に基づいて話を進められても困ります。 ﹁﹁あらすじは極端に長くならないようにしてください﹂というのもあります。あなたの文は、原稿用紙で6枚ほどもある。原作は何ページですか?ほとんど、会話を抜いて文章を簡略化しただけじゃないですか?﹂とのことですが、なぜ、自分で原作が何ページなのか、﹁ほとんど、会話を抜いて文章を簡略化しただけ﹂なのか、調べようとしないのですか?原作が10枚であらすじが6枚なら、これは誰が見ても過剰でしょう。ですが、原作が60枚だったら?60000枚だったら? ﹁具体的に挙げれば、﹁私立諮問探偵のシャーロック・ホームズと伝記作家で医師のジョン・H・ワトスンが共同生活を送るロンドンのベーカー街221Bを﹂当たり前ですよね﹂とのことですが、当たり前ではありません。この項目を読む利用者全員が、ホームズについて詳しいとでもお考えなのでしょうか。あらすじの冒頭には、まず登場人物が何者なのかすぐに理解できるだけの簡単な紹介をおき、より詳しい説明が知りたい読者のために内部リンクも設置しておく。私はこういった意図で書いています。﹁ホームズはギブソンの依頼を受け、事件の調査に当たる﹂だけでは、シリーズを読んだことのない読者にはさっぱり分かりません。Ks様自身を基準にするのではなく、他の利用者のことも考慮してください。少なくとも、﹁私立諮問探偵のシャーロック・ホームズと伝記作家で医師のジョン・H・ワトスンが共同生活を送るロンドンのベーカー街221Bを﹂の部分から、削除すべき瑣末な情報があるとは考えません。うまい文章ではないので、推敲の余地はあるでしょうが。 ﹁﹁この世で最も素晴らしい女性﹂無駄な修辞ですよね。﹁+ ギブスンはホームズに向き合うと、︵中略︶ギブスンは屈服し、戻ってくるとすべてを語り出す﹂このあたりの経緯、無くても困らないと思うのですが。いかがでしょうか?﹂とのことですが、この記述には二つ理由があります。一つ目は、この事件において最後の大きなポイントとなる、﹁なぜ妻が自殺したのか?﹂という点に関係してくる、ギブスンの性格を端的にあらわす場面だからです。この部分が欠けると、ギブスンと妻、そしてグレイスの関係が把握しにくくなるのです。二つ目は、この場面に言及している資料があることです。﹃シャーロック・ホームズの事件簿﹄収録の短編に関しては、いわゆる﹁聖典性﹂についての疑いがあります。しかし、マーチン・デイキンは﹁ホームズが金鉱王ニール・ギブソンに対してとった態度は、ホームズの最良の姿である﹂として聖典のひとつと認め︵コナン・ドイル著、ベアリング=グールド解説と注﹃詳注版 シャーロック・ホームズ全集9﹄小池滋監訳、筑摩書房︿ちくま文庫﹀、1998年、93頁 ISBN 4-480-03279-7︶、W・W・ロブスンも﹁登場人物の性格描写、とりわけニール・ギブスンの性格描写は、充分に納得がいくものであり、プロットの取り扱いも優れている﹂としてその正当性を認めています︵コナン・ドイル著、W・W・ロブスン注・解説﹃シャーロック・ホームズ全集 第9巻 シャーロック・ホームズの事件簿﹄小林司・東山あかね、高田寛訳、河出書房新社、2002年、555頁 ISBN 4-309-61049-8︶。いずれこの件について加筆を行なう予定で、一連のあらすじが削除されてしまうと、彼らが何に基づいて意見を述べているのか不明になってしまうのです。私は何も考えずに編集しているのではなく、項目の将来像を見据えたうえで、こうしたあらすじを書いています。 最後に、あらすじの長さに関しては相対的な部分が大きいと考えます。現状のソア橋の項目では記述の大部分をあらすじが占め、このままではたしかに不適当です。しかし、私が同様にあらすじの改稿を行なった記事の現状をご覧ください。﹁赤毛組合﹂﹁最後の事件﹂﹁空き家の冒険﹂など、加筆によってあらすじの占める割合が大幅に低下していることがお分かりいただけると思います。そして、どの項目にも、まだまだ加筆の余地はあるのです。 以上、回答といたします。--法難輪戸尊︵会話︶ 2012年7月15日 (日) 14:21 (UTC)