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'''加藤 督朗'''︵かとう まさあき、[[1978年]]︵[[昭和]]53年︶[[9月28日]] - ︶は、[[日本]]の[[男性]]元[[キックボクサー]]。[[東京都]][[墨田区]]出身。PHOENIX主宰。'''スネーク加藤'''のリングネームで知られる。元[[世界プロムエタイ連盟|WPMF]]世界[[ウェルター級]]王者。
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'''加藤 督朗'''︵かとう まさあき、[[1978年]]︵[[昭和]]53年︶[[9月28日]] - ︶は、[[日本]]の[[男性]]元[[キックボクサー]]。[[東京都]][[墨田区]]出身。PHOENIX主宰。'''スネーク加藤'''のリングネームで知られる。元[[世界プロムエタイ連盟|WPMF]]世界[[ウェルター級]]王者。
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2019年3月31日でPHOENIX会長職を辞任し、株式会社FAITHを立上げ |
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2019年5月1日にキックボクシングジムFAITHを人形町でオープン。 |
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東京都中央区日本橋人形町1-2-3カスタリア人形町IIIB1F |
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== 来歴 == |
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[[タイ王国|タイ]]の[[パタヤ]]で「ISS[[ムエタイ]]チャレンジ 2002 チャンピオン決定戦」に出場。ローレック・ゲーンノラシンに2R[[ノックアウト|KO]]負けし、王座挑戦に失敗した。 |
[[タイ王国|タイ]]の[[パタヤ]]で「ISS[[ムエタイ]]チャレンジ 2002 チャンピオン決定戦」に出場。ローレック・ゲーンノラシンに2R[[ノックアウト|KO]]負けし、王座挑戦に失敗した。 |
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2002年4月、清水貴彦にドロー。 |
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2003年6月、宍戸大樹に判定負け。2003年、浜川憲一にKO勝ち。2003年11月。山本優弥にミドルキック2発で58秒KO負け。
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=== 世界王座獲得 === |
=== 世界王座獲得 === |
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== 戦績 == |
== 戦績 == |
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* プロキックボクシング: |
* プロキックボクシング: 43戦 22勝 16KO 17敗 4分 |
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<!--43戦 22勝 16KO 17敗 4分--> |
<!--43戦 22勝 16KO 17敗 4分--> |
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<!--引退してから3戦また試合してました--> |
<!--引退してから3戦また試合してました--> |
2020年1月31日 (金) 02:31時点における版
基本情報 | |
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通称 | スネーク加藤 |
階級 |
ライト級 スーパーライト級 ウェルター級 |
身長 | 1.84 m (6 ft 1⁄2 in) |
体重 | 68キログラム (150 lb) |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1978年9月28日(45歳) |
出身地 | 東京都墨田区 |
スタイル | キックボクシング、空手 |
プロキックボクシング戦績 | |
総試合数 | 43 |
勝ち | 22 |
KO勝ち | 16 |
敗け | 17 |
引き分け | 4 |
加藤 督朗︵かとう まさあき、1978年︵昭和53年︶9月28日 - ︶は、日本の男性元キックボクサー。東京都墨田区出身。PHOENIX主宰。スネーク加藤のリングネームで知られる。元WPMF世界ウェルター級王者。
2019年3月31日でPHOENIX会長職を辞任し、株式会社FAITHを立上げ
2019年5月1日にキックボクシングジムFAITHを人形町でオープン。
ホームページ:
https://faithkickboxing.com
住所:
東京都中央区日本橋人形町1-2-3カスタリア人形町IIIB1F
TEL:
03(6231)1250
2002年12月、タイ国国王生誕祭にて10万人の観衆の前でチッチャイ・サッパンニーにTKO
来歴
幼少期
1994年︵平成6年︶6月、15歳で士道館扇橋道場の革命塾に入門。アマチュア制がなかったため、高校生にしてフェザー級でプロの試合に出る。しかし、5戦して4敗1分と1度も勝てなかったため、士道館総本部道場の若虎寮に入寮してキック漬けの毎日を送る。6戦目の三津山文朗戦で初勝利を飾り、﹁スネーク﹂のあだ名を授かる。 以後ジュニアライト級に転向。さらに1997年︵平成9年︶11月22日のエスィー樋口戦でライト級に転向すると、1998年︵平成10年︶1月の初代MA日本ジュニアライト級王座決定トーナメントに出場。しかし、1回戦で山崎道明に5R判定で破れる。同年10月25日にMA日本スーパーフェザー級暫定王者決定戦で天野哲成と対戦するが、5R判定3-0で敗れる。日本王座獲得
暫定王座決定戦に敗れた後、2戦を挟んで1999年︵平成11年︶6月18日にMA日本ライト級王座決定戦に出場。井上哲に5R判定3-0で勝利し、第12代MA日本ライト級王座を戴冠する。その3か月後に士道館を退館し、同時に王座も返上するとタイに渡る。南太平洋王座獲得
2001年︵平成13年︶7月にオーストラリアでWMTAサウスパシフィック︵南太平洋︶スーパーライト級王座決定戦に出場する。当初はISKAの世界タイトル王座決定戦でシャノン・フォレスターと対戦する予定だったが、加藤がISKAの世界ランカーでなかったことが問題になり世界戦は認められなくなったため、南太平洋人でないにもかかわらず、WMTAの南太平洋王座に挑戦することになった。結果はフォレスターに勝利を収め、南太平洋王座を獲得した。世界王座初挑戦
タイのパタヤで﹁ISSムエタイチャレンジ 2002 チャンピオン決定戦﹂に出場。ローレック・ゲーンノラシンに2RKO負けし、王座挑戦に失敗した。2002年12月、タイ国国王生誕祭にて10万人の観衆の前でチッチャイ・サッパンニーにTKO
世界王座獲得
2004年1月、サムゴー・ギャットモンテープに判定負け。 2004年︵平成16年︶4月27日に、タイのルンピニー・スタジアムでWPMF世界ウェルター級王者決定戦に出場し、ガオラン・カウイチットと対戦。2R目に肘打ちで顔面を斬った後、膝で顔を蹴り上げダウンを奪い、そのままKO勝ちになった。同年7月にルンピニー・スタジアム認定ウェルター級ランキング1位に認定された。 2004年7月、ジャン・スカボロスキーにKO負け。引退
2004年11月28日のキエラン・ケッドル戦をもって引退。試合は5R判定3-0で勝利を収めた。現在は加藤自身の開いたキックボクシング&フィットネスジム﹁PHOENIX﹂で会長を務め、会員に指導している。獲得タイトル
戦績
- プロキックボクシング: 43戦 22勝 16KO 17敗 4分
関連項目
外部リンク
前王者 武藤隆行 |
第12代MA日本ライト級王者 1999年6月18日 - 1999年 |
次王者 井上哲 |