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「南日恒太郎」の版間の差分

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恒太郎の末の息子に関する記述
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''' ''' [[]]4[[930 ()|930]][[1871]][[1112]] - [[]]3[[1928]][[720]][[]][[]][[]][[]][[]]12[[ ()|]][[]]3[[]][[]]

'''南日 恒太郎'''(なんにち つねたろう、[[明治]]4年[[9月30日 (旧暦)|9月30日]]([[1871年]][[11月12日]]) - [[昭和]]3年([[1928年]])[[7月20日]])は、明治から大正にかけての英語教育者。[[富山県]]生まれ。弟に[[田部隆次]]、[[田部重治]]がいる。[[神田乃武]]とともに明治期英語教育の先駆者で、[[学習院]]教授ののち、大正12年、[[富山高等学校 (旧制)|富山高等学校]](現・[[富山大学]])校長となるが、昭和3年、寒中水泳中に心臓麻痺を起こして急死した。

息子は旧制熊谷中学校(現埼玉県立熊谷高等学校)教諭、東洋大学教授、法政大学教授を歴任した、南日凱夫である。


末の息子は南日俊夫である。気象庁研究所海洋研究部長であり、1979〜1982には日本海洋学会の会長であった。


姪に[[村松剛]]・[[村松英子]]の母がおり、孫が英子の夫である。

== 著書 ==

== 著書 ==

* 難問分類英文詳解 ABC出版社 1903

* 難問分類英文詳解 ABC出版社 1903


2009年10月7日 (水) 02:13時点における版


  493018711112 - 31928720123



19791982


著書

  • 難問分類英文詳解 ABC出版社 1903
  • 和文英訳法 有朋堂 1904
  • 英文解釈法 有朋堂 1905
  • 英和双解熟語大辞典 神田乃武共著 有朋堂 1909
  • 英文和訳法 有朋堂書店 1914
  • 英詩藻塩草 北星堂書店 1916
  • 袖珍英和辞典 熊本謙二郎共編 有朋堂 1923
  • 熟語大辞典 神田乃武共編 有朋堂
  • 英詩文鑑賞 北星堂書店, 1932