「原甚之丞」の版間の差分
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[[第二次世界大戦|戦後]]は[[起業|起業︵銀行・証券会社等︶]] も助ける。送迎への[[伊勢神宮|神宮]]からの配慮もあり、長く[[伊勢神宮]]崇敬会の役員を務める。大地主。[[数寄者#歴史|近代数寄者]]。[[千利休|利休]]四百回忌展覧に所蔵茶道具所望される<ref>[http://www.omotesenke.jp/chanoyu/nenpyo/nenpyo_me3_j.html
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[[第二次世界大戦|戦後]]は[[起業|起業︵銀行・証券会社等︶]] も助ける。送迎への[[伊勢神宮|神宮]]からの配慮もあり、長く[[伊勢神宮]]崇敬会の役員を務める。大地主。[[数寄者#歴史|近代数寄者]]。[[千利休|利休]]四百回忌展覧に所蔵茶道具所望される<ref>[http://www.omotesenke.jp/chanoyu/nenpyo/nenpyo_me3_j.html 茶の湯 心と美 茶の湯の歴史] 2019年2月10日閲覧。</ref>。[[日本画]]、[[洋画]]、[[工芸]]への造詣深く、屢屢執筆依頼されるも応じなかったという<ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3430444/468 ﹃人事興信録 第13版下﹄] ハ114頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2019年1月8日閲覧。</ref>。
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茶の湯 心と美 茶の湯の歴史] 2019年2月10日閲覧。</ref>。[[日本画]]、[[洋画]]、[[工芸]]への造詣深く、屢屢執筆依頼されるも応じなかったという<ref>[http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3430444/468 ﹃人事興信録 第13版下﹄] ハ114頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2019年1月8日閲覧。</ref>。
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== 系譜 == |
== 系譜 == |
2019年2月21日 (木) 09:54時点における版
はら じんのじょう 原 甚之丞 | |
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![]() 原甚之丞 (1950年代) | |
生誕 |
原 治 1907年2月 ![]() |
死没 | 没年不明 |
国籍 |
![]() |
民族 | 日本人 |
職業 |
実業家 大地主 |
活動期間 | 20世紀 |
活動拠点 |
![]() |
肩書き | 伊勢神宮崇敬会役員 |
配偶者 | 原マサ (旧姓・西居) |
子供 |
由比子 (二女) 博子 (三女) 乙彦 (養子) |
親 |
原甚之丞 (実父) 原テル (実母、旧姓・正木) |
原 甚之丞 (はら じんのじょう、1907年2月 - 没年不明) は、日本の実業家。長く伊勢神宮崇敬会の役員を務める。近代数寄者。
略歴
1907年、大阪の旧家、江戸期前からの大地主の家系、実業家の先代甚之丞、テル (旧姓正木、公益財団法人正木美術館 ・正木家[1][2][3][4][5] より嫁す) の長男として生まれる。1925年家督を相続し、前名・治を改め、襲名する。当時別荘地・浜寺[6][7] 在住。戦前は、和泉織物(株) (東洋紡績の前身の一つ。#日本綿業倶楽部[8] ) の経営に携わる。 戦争の折、空襲に備え、太閤秀吉ゆかりの﹁恵水﹂と名付けられた井戸や太閤茶室などを有し紀州侯も宿泊したという天下茶屋︵殿下茶屋︶是斎屋︵昭和20年戦災にあう。現在天下茶屋公園︶の邸主であり、その邸内において明治天皇駐蹕遺址碑︵明治元年4月20日及び明治10年2月14日、明治天皇が駐蹕臨幸した地︶を建立したことで知られる高津︵久右衛門︶家が、甚之丞を頼り、同家に疎開している[9][10][11] 。 戦後は起業︵銀行・証券会社等︶ も助ける。送迎への神宮からの配慮もあり、長く伊勢神宮崇敬会の役員を務める。大地主。近代数寄者。利休四百回忌展覧に所蔵茶道具所望される[12]。日本画、洋画、工芸への造詣深く、屢屢執筆依頼されるも応じなかったという[13]。系譜
●父 - 原甚之丞 (大阪の旧家・当主、実業家、大地主) ●母 - 原テル (1885年2月生まれ。旧姓・正木、公益財団法人正木美術館・正木家・米太郎二女) ●妻 - 原マサ (1910年生まれ。旧姓西居、西居家・鴫雲二女) ●二女 - 由比子 (戦後婿養子をとる) ●三女 - 博子 (中井家に嫁す)脚注
(一)^ 文化遺産オンライン 正木記念邸母屋 2019年2月12日閲覧。
(二)^ 正木孝之邸 (現 正木美術館) 2019年2月10月閲覧。
(三)^ 公益財団法人正木美術館 正木孝之と正木美術館 2019年2月12日閲覧。
(四)^ コトバンク 正木美術館 2019年2月10日閲覧。
(五)^ 田中日佐夫﹃美術品移動史 近代日本のコレクターたち﹄日本経済新聞社、1981年、370-375頁。
(六)^ 吉田高子﹁大正7年開発 の浜寺住宅地 とその屋敷地構成 について﹂近畿大学理工学部研究報告40号55頁 (2004年)2019年2月10日閲覧。
(七)^ 田中和彦﹁昔は別荘地、今は高級住宅街~南海﹁浜寺公園﹂駅﹂(更新日 2010年05月21日) 2019年2月10日閲覧。
(八)^ 日本の近代遺産50選25綿業会館 紡績業の黄金期映す… 2019年2月12日閲覧。
(九)^ ﹁明治時代﹂30頁
(十)^ 関西名士写真録93頁 : 大阪砂糖取引所 理事長 高津久右衛門氏 2019年2月18日閲覧。
(11)^ 太閤殿下気分で紀州街道をウォーク︵天下茶屋・天下茶屋公園︶2019年2月10日閲覧。
(12)^ 茶の湯 心と美 茶の湯の歴史 2019年2月10日閲覧。
(13)^ ﹃人事興信録 第13版下﹄ ハ114頁︵国立国会図書館デジタルコレクション︶。2019年1月8日閲覧。