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反軍演説

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反軍演説(はんぐんえんぜつ)は、1940年昭和15年)2月2日帝国議会衆議院斎藤隆夫が行った演説日中戦争に対する根本的な疑問と批判を提起して、演説した。

経緯

演説


[1]











[2] ︿ 寿

除名
















37

 296 : 寿

 144
 121 : 

23 : 西

7 : 






 
 ︿
 
 )


[3]
  • 第一は、政府の無能
  • 第二は、議長が速記録を削除したこと
  • 第三は、政党の意気地なきこと

除名後の翼賛選挙


1942175




逸話

斎藤は「支那事変処理に関する質問演説」(反軍演説)の練習を鎌倉の海岸で何度も行い、そのためによく声をからしていた。これを心配した斎藤の妻乙女は、海岸へ練習をしに行く斎藤に手製のキャラメルを持たせた。この甲斐あって斎藤は以後、声をからすことなく練習に没頭でき、最終的には演説全文を暗記するまでになった。もちろん当日も原稿を見ることなく演説を果たした。

脚注



(一)^ 

(二)^ 

(三)^ 

関連項目

外部リンク