「吉谷宗夫」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
新聞記事のリンク切れを除去、カテゴリ修正 |
編集の要約なし |
||
29行目: | 29行目: | ||
== 経歴 == |
== 経歴 == |
||
[[1954年]]︵[[昭和]]29年︶3月、[[東京医科歯科大学]][[歯学部]]卒業。[[1959年]]︵昭和34年︶、[[博士 (医学)|医学博士]]となる。[[1979年]]︵昭和54年︶4月、栃木県議会議員選挙で県議会議員に初当選<ref name="shimotsuke">{{cite news|title=前足利市長 吉谷宗夫さん死去|newspaper=下野新聞|date=2012-1-11|page=1}}</ref>。[[2001年]]︵[[平成]]13年︶5月まで県議会議員を6期務め<ref name="shimotsuke"/>、この間、[[1992年]]︵平成4年︶3月から[[1993年]]︵平成5年︶3月まで県議会副議長を、[[1995年]]︵平成7年︶5月から[[1996年]]3月まで県議会議長を務めた<ref>{{Cite web|author=栃木県議会|url=http://www.pref.tochigi.lg.jp/p01/assembly/aramashi/rekishi/gicho.html|title=歴代正副議長一覧|language=日本語|accessdate=2012-1-10}}</ref>。
|
[[1954年]]︵[[昭和]]29年︶3月、[[東京医科歯科大学]][[歯学部]]卒業。[[1959年]]︵昭和34年︶、[[博士 (医学)|医学博士]]となる。[[1979年]]︵昭和54年︶4月、栃木県議会議員選挙で県議会議員に初当選<ref name="shimotsuke">{{cite news|title=前足利市長 吉谷宗夫さん死去|newspaper=下野新聞|date=2012-1-11|page=1}}</ref>。[[2001年]]︵[[平成]]13年︶5月まで県議会議員を6期務め<ref name="shimotsuke"/>、この間、[[1992年]]︵平成4年︶3月から[[1993年]]︵平成5年︶3月まで県議会副議長を、[[1995年]]︵平成7年︶5月から[[1996年]]3月まで県議会議長を務めた<ref>{{Cite web|author=栃木県議会|url=http://www.pref.tochigi.lg.jp/p01/assembly/aramashi/rekishi/gicho.html|title=歴代正副議長一覧|language=日本語|accessdate=2012-1-10}}</ref>。県議時代は[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]に所属。
|
||
[[2001年]]︵平成13年︶[[3月19日]]、足利市長[[早川一夫]]が任期途中で死去。市長死去に伴う市長選挙は同年[[5月13日]]行われた。吉谷は県議会議員を辞職して無所属で立候補し、元市議会議員の[[大豆生田実]]を破り市長に初当選を果たす。[[2005年]]︵平成17年︶[[4月24日]]に行われた足利市長選挙でも大豆生田を破り再選<ref>{{cite news|title=足利市長に吉谷氏再選 組織前面 実績を強調 大豆生田氏に1550票差|newspaper=下野新聞|date=2005-4-25|page=1}}</ref>。市長在任中には企業誘致や医療拠点の整備に取り組んだ<ref name="shimotsuke"/>。また、栃木県市長会長なども務めた<ref name="shimotsuke"/>。
|
[[2001年]]︵平成13年︶[[3月19日]]、足利市長[[早川一夫]]が任期途中で死去。市長死去に伴う市長選挙は同年[[5月13日]]行われた。吉谷は県議会議員を辞職して無所属で立候補し、元市議会議員の[[大豆生田実]]を破り市長に初当選を果たす。[[2005年]]︵平成17年︶[[4月24日]]に行われた足利市長選挙でも大豆生田を破り再選<ref>{{cite news|title=足利市長に吉谷氏再選 組織前面 実績を強調 大豆生田氏に1550票差|newspaper=下野新聞|date=2005-4-25|page=1}}</ref>。市長在任中には企業誘致や医療拠点の整備に取り組んだ<ref name="shimotsuke"/>。また、栃木県市長会長なども務めた<ref name="shimotsuke"/>。
|
2013年1月25日 (金) 11:18時点における版
吉谷 宗夫 よしたに むねお | |
---|---|
生年月日 | 1930年7月25日 |
出生地 | 栃木県足利市 |
没年月日 | 2012年1月8日(81歳没) |
死没地 | 長崎県長崎市 |
出身校 | 東京医科歯科大学歯学部卒業 |
前職 | 歯科医師 |
所属政党 |
(自由民主党→) 無所属 |
称号 |
医学博士 旭日中綬章 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2001年5月13日 - 2009年5月12日 |
吉谷 宗夫︵よしたに むねお、1930年7月25日[1] - 2012年1月8日︶は、日本の政治家。歯科医師[2]。栃木県議会議員を6期、足利市長を2期務めた。
経歴
1954年︵昭和29年︶3月、東京医科歯科大学歯学部卒業。1959年︵昭和34年︶、医学博士となる。1979年︵昭和54年︶4月、栃木県議会議員選挙で県議会議員に初当選[3]。2001年︵平成13年︶5月まで県議会議員を6期務め[3]、この間、1992年︵平成4年︶3月から1993年︵平成5年︶3月まで県議会副議長を、1995年︵平成7年︶5月から1996年3月まで県議会議長を務めた[4]。県議時代は自由民主党に所属。 2001年︵平成13年︶3月19日、足利市長早川一夫が任期途中で死去。市長死去に伴う市長選挙は同年5月13日行われた。吉谷は県議会議員を辞職して無所属で立候補し、元市議会議員の大豆生田実を破り市長に初当選を果たす。2005年︵平成17年︶4月24日に行われた足利市長選挙でも大豆生田を破り再選[5]。市長在任中には企業誘致や医療拠点の整備に取り組んだ[3]。また、栃木県市長会長なども務めた[3]。 2009年︵平成21年︶4月26日の足利市長選挙には立候補せず、同年5月12日に任期満了で市長を退任した。なお、この時の市長選挙では元同市副市長が自民党、公明党の推薦を得て立候補したものの、大豆生田に大差で敗れている[6]。この年、旭日中綬章を受章している[3]。 2012年︵平成24年︶1月8日午前5時、旅行先の長崎市内で心筋梗塞のため死去した[3]。81歳没。脚注
|
|
|