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'''嘉穂劇場'''︵かほげきじょう︶は[[福岡県]][[飯塚市]]に |
'''嘉穂劇場'''︵かほげきじょう︶は[[福岡県]][[飯塚市]]にある[[劇場]]である。建物は国の[[登録有形文化財]]。[[特定非営利活動法人]]によって運営されている。初代理事長は伊藤栄子。2代目理事長︵現職︶は伊藤英昭。
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==歴史== |
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[[2003年]]︵平成15年︶[[7月19日]]の大雨により、劇場がある飯塚市の中心部一帯が浸水し、客席や舞台、花道等が浮き上がり、1階内部が使用不能になる被害を受ける。九州演劇協会会長・玄海竜二より連絡を受けた[[津川雅彦]]らが芸能人仲間に呼びかけ、[[中村玉緒]]、[[明石家さんま]]、中村勘九郎︵現・[[中村勘三郎_(18代目)|18代中村勘三郎]]︶ら大物が駆け付けた復旧チャリティイベントが行われ、イベントに先立ち飯塚市中心商店街で﹁お練り﹂も行われた。このイベントでは、[[田村正和]]や[[木村拓哉]]らの私物がチャリティオークションにかけられ、東京でも滅多に無い豪華なイベントとして話題となった。
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[[2003年]]︵平成15年︶[[7月19日]]の大雨により、劇場がある飯塚市の中心部一帯が浸水し、客席や舞台、花道等が浮き上がり、1階内部が使用不能になる被害を受ける。九州演劇協会会長・玄海竜二より連絡を受けた[[津川雅彦]]らが芸能人仲間に呼びかけ、[[中村玉緒]]、[[明石家さんま]]、中村勘九郎︵現・[[中村勘三郎_(18代目)|18代中村勘三郎]]︶ら大物が駆け付けた復旧チャリティイベントが行われ、イベントに先立ち飯塚市中心商店街で﹁お練り﹂も行われた。このイベントでは、[[田村正和]]や[[木村拓哉]]らの私物がチャリティオークションにかけられ、東京でも滅多に無い豪華なイベントとして話題となった。
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約1年かけて復旧工事が行われ、翌年9月に復興し、11月には、浸水被害直後の9月に公演予定だった九州の人気劇団[[ギンギラ太陽'S]]の公演も行われた。開場より伊藤家の家族経営により営業を続けてきた唯一の民営の芝居小屋であったが、復旧に際して公的資金の支援を受ける必要があったことから、[[特定非営利活動法人]](NPO)化された。現在は、栄子が高齢となったこともあり第一線を引退、養子として入った伊藤英昭 |
上記水害の後、約1年かけて復旧工事が行われ、翌年9月に復興し、11月には、浸水被害直後の2003年9月に公演予定だった九州の人気劇団[[ギンギラ太陽'S]]の公演も行われた。開場より伊藤家の家族経営により営業を続けてきた唯一の民営の芝居小屋であったが、復旧に際して公的資金の支援を受ける必要があったことから、[[特定非営利活動法人]](NPO)化された。現在は、栄子が高齢となったこともあり第一線を引退、養子として入った伊藤英昭夫妻が中心となって運営にあたっている。
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== 劇場の様式と規模 == |
== 劇場の様式と規模 == |
2010年2月7日 (日) 11:59時点における版
歴史
1931年︵昭和6年︶、当時の嘉穂郡飯塚町で伊藤隆により設置される。前身は1921年︵大正10年︶に大阪・中座を模して建てられた木造3階建ての﹁株式会社中座﹂であり、1928年︵昭和3年︶に焼失し、翌年に再建されるも1930年︵昭和5年︶の台風で倒壊した。
観客は当時筑豊地域の中心産業であった石炭炭鉱の労働者とその家族が中心で、大衆演劇や歌手の公演などで賑わった。しかし石炭産業の衰退もあって、1962年︵昭和37年︶には延べ266日であった公演数は、1970年代には10~15日に落ち込む。こうした事態を打開すべく、隆の死後経営を引き継いだ娘・栄子の奮闘もあり、1979年︵昭和54年︶から毎年9月に九州演劇協会による﹁全国座長大会﹂が開催されるようになったことや、レトロな雰囲気が人気となり、近年では、年間30~40日の公演が行われていた。
2000年︵平成12年︶7月30日には椎名林檎の一夜限りのライブイベント﹁座禅エクスタシー﹂の会場に使われた。
2003年︵平成15年︶7月19日の大雨により、劇場がある飯塚市の中心部一帯が浸水し、客席や舞台、花道等が浮き上がり、1階内部が使用不能になる被害を受ける。九州演劇協会会長・玄海竜二より連絡を受けた津川雅彦らが芸能人仲間に呼びかけ、中村玉緒、明石家さんま、中村勘九郎︵現・18代中村勘三郎︶ら大物が駆け付けた復旧チャリティイベントが行われ、イベントに先立ち飯塚市中心商店街で﹁お練り﹂も行われた。このイベントでは、田村正和や木村拓哉らの私物がチャリティオークションにかけられ、東京でも滅多に無い豪華なイベントとして話題となった。
上記水害の後、約1年かけて復旧工事が行われ、翌年9月に復興し、11月には、浸水被害直後の2003年9月に公演予定だった九州の人気劇団ギンギラ太陽'Sの公演も行われた。開場より伊藤家の家族経営により営業を続けてきた唯一の民営の芝居小屋であったが、復旧に際して公的資金の支援を受ける必要があったことから、特定非営利活動法人(NPO)化された。現在は、栄子が高齢となったこともあり第一線を引退、養子として入った伊藤英昭夫妻が中心となって運営にあたっている。
劇場の様式と規模
- 客席:1階 450~800人、2階 300~400人(状況によって変化可能)
- 舞台設備:
- 廻り舞台(直径 15.8m、手動回転式)
- セリ(廻り舞台前方と花道)