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土気城

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土気城
千葉県
土気城遠景
土気城遠景
別名 金城、貴船城
城郭構造 連郭式平山城
天守構造 なし
築城主 大野東人
築城年 神亀年間か
主な城主 大野東人千葉氏土気太郎畠山重康酒井氏
廃城年 1590年天正18年)
遺構 土塁、堀
指定文化財 なし
位置 北緯35度31分51.83秒 東経140度17分28.94秒 / 北緯35.5310639度 東経140.2913722度 / 35.5310639; 140.2913722
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クラン坂

土気城とけじょう)は日本。所在地は千葉県千葉市緑区土気町。

概要

土気城は神亀年間に大野東人によって築かれたと伝わるが、後に千葉氏の勢力下に入り長らく千葉氏の武将が拠った。後に中野城主の酒井定隆が攻め、その後150年間酒井氏が本拠とした。

構造

土気城は東に向けて突き出した舌状台地上に占地し、台地上に切れ込んだ谷と空堀を利用して台地上を遮断し、城域は三角形状を有する。

城域内は本丸・二の丸・三の丸及び出丸に区分されており、それぞれを空堀が遮断するが、特に二の丸と三の丸の間の空堀は二重になっている。出丸は、三の丸の端に位置する貴船神社が鎮座した郭と、井戸沢の向かいの尾根上に築かれた水沢郭の二つがあり、三の丸端の郭は馬出様となっている。

前述馬出状の出丸から三の丸二の丸を経る経路が大手道となるが、本丸から直接金谷方面に下りる経路が搦め手にあたり、比高差のあるこちらの経路には空堀を兼ねたクラン坂と呼ばれる切り通しが設けられている。

歴史






2100

退退

18

遺構



沿革








7退

18

関連項目