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'''塩井 雨江'''(しおい うこう、[[1869年]][[2月13日]]([[明治]]2年[[1月3日 (旧暦)|1月3日]]) - [[1913年]]([[大正]]2年)[[2月1日]])は、[[詩人]]、[[国文学者]]。 |
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[[兵庫県]]出身。本名・正男。1895年[[東京大学|東京帝国大学]][[東京大学大学院人文社会系研究科・文学部|文科大学]]国文科卒。[[落合直文]]に師事。1895年﹃帝国文学﹄の創刊とともに編集委員となり、擬古文で名を知られた。立教学校︵現・[[立教大学]]︶で教授を務めた後<ref>{{Cite journal|和書 |author=海老澤 有道 |title=明治反動期におけるキリスト教教育の一齣 : 立教学校文学会刊﹃八紘﹄紹介を兼ねて |journal=史苑 |publisher=立教大学文学部 |year=1962-01 |volume=22 |issue=2 |pages=1-19 |url=http://doi.org/10.14992/00000967 }}</ref>、1902年[[日本女子大学校]]教授、1911年[[奈良女子高等師範学校]]教授。美文典範で知られる<ref>﹃日本近代文学大事典﹄講談社、1984</ref>。
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[[兵庫県]]出身。本名・正男。1895年[[東京大学|東京帝国大学]][[東京大学大学院人文社会系研究科・文学部|文科大学]]国文科卒。[[落合直文]]に師事。1895年﹃帝国文学﹄の創刊とともに編集委員となり、擬古文で名を知られた。詩人として[[新体詩]]の普及に貢献する一方で、国文学者としても活躍<ref>小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) [https://kotobank.jp/word/%E5%A1%A9%E4%BA%95%E9%9B%A8%E6%B1%9F-516780 ﹃塩井雨江﹄ ]‐ [[コトバンク]]</ref>。
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立教学校(現・[[立教大学]])で教授を務めた後<ref>{{Cite journal|和書 |author=海老澤 有道 |title=明治反動期におけるキリスト教教育の一齣 : 立教学校文学会刊『八紘』紹介を兼ねて |journal=史苑 |publisher=立教大学文学部 |year=1962-01 |volume=22 |issue=2 |pages=1-19 |url=http://doi.org/10.14992/00000967 }}</ref>、1902年[[日本女子大学校]]教授、1911年[[奈良女子高等師範学校]]教授。美文典範で知られる<ref>『日本近代文学大事典』講談社、1984</ref>。 |
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==著書== |
==著書== |
2023年7月7日 (金) 05:51時点における版
塩井 雨江︵しおい うこう、1869年2月13日︵明治2年1月3日︶ - 1913年︵大正2年︶2月1日︶は、詩人、国文学者。
兵庫県出身。本名・正男。1895年東京帝国大学文科大学国文科卒。落合直文に師事。1895年﹃帝国文学﹄の創刊とともに編集委員となり、擬古文で名を知られた。詩人として新体詩の普及に貢献する一方で、国文学者としても活躍[1]。
立教学校︵現・立教大学︶で教授を務めた後[2]、1902年日本女子大学校教授、1911年奈良女子高等師範学校教授。美文典範で知られる[3]。