出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
天道︵てんとう︶は太陽または日輪である。
日本の天道
日本では、一般的にお天道様︵おてんとさま︶とも言うように、太陽神としても知られる。太陽は神として祀られたのである。信仰心が伴わなくても太陽を﹁お日様﹂と呼び、お月様、お星様と同様に自然崇拝の対象であった。天照大神は天童の神格化であり、仏教の大日如来とも習合した。また対馬の天道信仰においては日の神の子として、天童︵てんどう︶という言葉もある。てんとうむし︵天道虫︶という太陽に見立てた虫もいる。千葉県では天道念仏と称して、春2月・3月に祭壇を作り、踊り念仏で作物の豊作を祈るなど、農耕儀礼に展開した。修験道もかかわり、祭壇には出羽三山を祀った。中央に湯殿山を拝していたのは太陽崇拝であり、湯殿山は、胎蔵界大日如来を本地、天照大神を垂迹としたからである。地名では、名古屋市天白区天道、福岡県飯塚市天道、鹿児島県出水郡長島町の天道山、山形県天童市などがある。
対馬の天道信仰
対馬では独自の天道信仰が残る。太陽の光が女性の陰部に差し込んで孕み、子供を産むという太陽感精神話が伝えられ、母神と子神として祀るようになったという。母神を山麓に子神を山上に祀り、天神たる太陽を拝むことが多く、山は天道山として禁忌の聖地とされる。子神は天童や天童法師とも言われる。石塔を作って山と太陽を拝む信仰があり、対馬の南岸に位置する豆酘の東の浅藻にあるオソロシドコロ、八丁角が名高い。多久魂神社に奉仕していた供僧も神仏習合によって天道を祀り、赤米の赤に託して豊穣を祈願した。北部の佐護湊の天神多久魂神社も天道信仰である。天道の祭りは、太陽を拝むと共に、山を崇拝し、米や麦の収穫感謝を願った。対馬の中部では、旧6月のヤクマの祭りで石塔を立てて拝む習俗が天道信仰の名残りで、麦の収穫祭でもあった。木坂や青海では現在もおこなわれている。天道信仰は母子神が基盤にあったので、八幡信仰と習合した。太陽によって孕んだ子供を天神として祀る天道信仰の上に、母神︵神功皇后︶と子神︵応神天皇︶を祀る八幡信仰が重なった。母子神信仰は、日本神話と結び付けられて、豊玉姫命と鵜茅草葺不合命とも解釈された。しかし、母子神信仰の基層には、海神や山神の祭祀があり、太陽を祀る天道信仰が融合していた。元々は自然崇拝に発した祭祀が、歴史上の人物に仮託され、社人による神話の再解釈が導入され、明治時代以降は国家神道の展開によって、祭神が日本神話の神々に読みかえられ、式内社に比定されて祭神も天皇につながる神統譜に再編成された。