「太田氏房」の版間の差分
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{{基礎情報 武士 |
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'''太田 氏房'''/'''北条 氏房'''︵おおた うじふさ/ほうじょう うじふさ、[[永禄]]8年︵[[1565年]]︶ - [[文禄]]元年[[4月28日 (旧暦)|4月28日]]︵[[1592年]][[6月7日]]︶︶は、[[後北条氏]]の一族。第4代当主・[[北条氏政]]の三男で、[[北条氏直]]の弟。[[武田信玄]]の孫。幼名は菊王丸および十郎。武蔵[[岩槻城]]主。以前は[[太田源五郎]]と同一人物と考えられてきたが、別人とされる
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| 氏名 = 太田 氏房 / 北条 氏房 |
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| 画像説明 = |
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| 時代 = [[戦国時代 (日本)|戦国時代]] - [[安土桃山時代]] |
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| 生誕 = [[永禄]]8年([[1565年]]){{sfn|黒田|2018|pp=10}} |
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| 死没 = [[天正]]20年[[4月12日 (旧暦)|4月12日]]{{sfn|黒田|2018|pp=11}}([[1592年]][[5月23日]]) |
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| 改名 = 菊王丸{{sfn|黒田|2018|pp=11}}、十郎{{sfn|黒田|2018|pp=11}}([[仮名 (通称)|仮名]])→氏房 |
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| 別名 = |
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| 諡号 = |
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| 神号 = |
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| 墓所 = |
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| 官位 = |
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| 幕府 = |
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| 主君 = [[北条氏政]]→[[北条氏直|氏直]] |
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| 藩 = |
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| 氏族 = [[後北条氏]]→[[太田氏]] |
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| 父母 = 父:[[北条氏政]] |
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| 兄弟 = [[北条新九郎 (氏政長男)|北条新九郎]]、[[北条氏直]]、[[太田源五郎]]、'''氏房'''、[[千葉直重]]、[[北条直定]]、源蔵、[[北条勝千代]]、芳桂院([[千葉邦胤]]室)、竜寿院([[里見義頼]]正室)、[[庭田重貞]]室 |
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| 妻 = 小少将{{Efn|黒田基樹は近世成立の系図史料などでは氏房の妻で「小少将」と称した人物のことを伝えているが、正しくは源五郎の妻で、氏房妻とは別人と考えるのが妥当としている。一方で小少将という名は氏房の妻と考えるのが妥当としている{{sfn|黒田|2017|pp=109}}。}} |
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| 子 = |
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| 特記事項 = |
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'''太田 氏房''' / '''北条 氏房'''︵おおた うじふさ / ほうじょう うじふさ︶は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]から[[安土桃山時代]]にかけての[[武将]]。[[後北条氏]]の家臣。[[北条氏政]]の四男。[[武蔵国|武蔵]][[岩槻城|岩付城]]主。[[太田源五郎]]と同一人物と考えられてきたが、現在では別人とされる。太田姓を称したかは定かではない{{Efn|太田姓を名乗ったとされるのは軍記物のみで、本人は北条姓を名乗り、他者からは﹁岩槻殿﹂と呼ばれていることが朱印状などから明らかになっている。}}。
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==生涯== |
== 生涯 == |
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[[永禄]]8年([[1565年]])、北条氏政の三男として誕生した。[[北条氏直]]の異母弟{{Efn|『駿河大宅高橋家過去帳一切』『今川家瀬名家記』などには、氏房と[[北条直定]]は同母兄弟とされる。しかも、氏房・直定の母は氏房没後の[[文禄]]年間に健在であったと伝えられている<ref>{{Cite book|和書|author=黒田基樹|title=戦国北条家一族事典|publisher=戎光祥出版|year=2018|isbn=978-4-86403-289-6|page=113}}</ref>。}}にあたる{{sfn|黒田|2018|pp=10}}。 |
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[[岩付城]]主・[[太田氏資]]が[[1567年]]に戦死したため、その娘を娶って[[太田氏]]の家督を継ぎ、太田氏房と称したと一般的にいわれている。しかし、氏資の娘は氏房の実兄の[[太田源五郎|源五郎]](あるいは東国丸)に嫁いだともいわれている。また、氏房と氏資の娘の婚儀が行われたは[[1585年]]であるとする文書も存在しており、[[1582年]]に死去したとされる源五郎の後継者としてその未亡人である氏資の娘と婚姻を行った可能性もある。更に太田姓を称したかも定かではない。 |
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天正8年 |
天正8年︵[[1580年]]︶12月、父・氏政、兄・[[北条氏直|氏直]]・同源五郎と並んで菊王丸の名で、[[相模国|相模]]大井宮に料足を寄進しているのが史料上の初見。天正9年︵[[1581年]]︶に[[元服]]し、[[仮名 (通称)|仮名]]十郎を称した{{sfn|黒田|2018|pp=10}}。翌年7月から岩付領支配のための文書を出している。ただし、岩付衆への軍事指揮権や領内裁判権は隠居の氏政が掌握しており、氏房の全権支配が始まるのは天正13年︵1585年︶7月の婚姻以後のことである。
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⚫ | 天正15年 |
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⚫ | 天正15年([[1587年]])、氏房が松浦氏を奉行人とし、与野郷周辺の堤防築造を人足百人宛5日の日限で命じた古文書が指定有形文化財として現存している。 |
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⚫ | 北条氏滅亡後、兄・氏直と共に[[高野山]]で蟄居した。その後、[[寺沢広高]]預かりとなって[[肥前国]]に移され、そこで1592年に病死した。享年28。 |
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== 脚注 == |
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=== 注釈 === |
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=== 出典 === |
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
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;書籍 |
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* 黒田基樹著 戦国北条一族 ISBN 440403251X C0021 |
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* {{Cite book|和書|author=黒田基樹|authorlink=黒田基樹|year=2005|title=戦国北条一族|publisher=[[新人物往来社]]|isbn=440403251X}} |
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* {{Citation|和書|year=1989|title=新説北条五代 早雲と一族、百年の興亡|series=歴史群像シリーズ14|publisher=学習研究社}} |
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* {{Citation|和書|editor=下山治久|editor-link=下山治久|year=2006|title=後北条氏家臣団人名辞典|publisher=[[東京堂出版]]|isbn=4-490-10696-3}} |
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* {{Cite book|和書|author=黒田基樹|date=2017-12|title=北条氏康の妻 瑞渓院 政略結婚から見る戦国大名|series=中世から近世へ|publisher=[[平凡社]]|isbn=978-4-582-47736-8|ref={{SfnRef|黒田|2017}}}} |
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* {{Cite book|和書|author=黒田基樹|date=2018-2|title=北条氏政 乾坤を截破し太虚に帰す|publisher=[[ミネルヴァ書房]]|series=ミネルヴァ日本選評伝|isbn=978-4-623-08235-3|ref={{SfnRef|黒田|2018}}}} |
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*[[黒田基樹]]『戦国大名・北条氏直』[[角川選書]]、2020年。[[ISBN|ISBN 978-4-04-703705-2]]。 |
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;史料 |
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* 『伝心庵過去帳』 |
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{{Normdaten}} |
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{{デフォルトソート:おおた うしふさ}} |
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2023年3月17日 (金) 08:57時点における最新版
太田 氏房 / 北条 氏房 | |
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
生誕 | 永禄8年(1565年)[1] |
死没 | 天正20年4月12日[2](1592年5月23日) |
改名 | 菊王丸[2]、十郎[2](仮名)→氏房 |
戒名 | 梅雲院殿玉翁昌蓮大禅定門[2] |
主君 | 北条氏政→氏直 |
氏族 | 後北条氏→太田氏 |
父母 | 父:北条氏政 |
兄弟 | 北条新九郎、北条氏直、太田源五郎、氏房、千葉直重、北条直定、源蔵、北条勝千代、芳桂院(千葉邦胤室)、竜寿院(里見義頼正室)、庭田重貞室 |
妻 | 小少将[注釈 1] |